「鞘当」(さやあて)
些細なことがきっかけで生まれる喧嘩のことを、俗に「さや当て」と言います。
この「さや」とは刀を収める「鞘」のことで、
元々は腰に刀を差した武士が道ですれ違う時、
鞘が当たったととがめ立てすることを意味する言葉であり、
「鞘咎め(さやとがめ)」という表現もあります。
1697年、初代市川團十郎が江戸中村座で「大福帳参会名古屋」という芝居を上演。
この中に、遊里で遊女葛城をめぐって争っている不破伴左衛門と名古屋三山が、
刀の鞘が当たったことから争いになるという「鞘当」という一幕があり、
「さや当て」という言葉は、この歌舞伎から生まれたと言われています。
この鞘当の物語は、歌舞伎十八番にも「不破」として選ばれていますが、
現在はあまり上演されることはなくなってしまっています。
しかしこの場面は、1823年に江戸市村座で上演された
四代目鶴屋南北「浮世柄比翼稲妻」の一部を独立させ「さや当て(鞘當・鞘当)」として上演。
本花道と仮花道を1つの道に見立て、不破と名古屋が一触即発となる場面は、有名なシーンになっています。
そして、一人の女性を二人の男性が争うことを「恋の鞘当て」と言うのも、
この物語の内容から来ているわけですね。