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マーマレードをたっぷりと
作 ソンブレロ
 



    〈第1場〉

    こじんまりとしたレストランバーの店内。
    中央のテーブル席に男(男1)が一人。
    やがて店主である女(女1)がトレーを
    持って現れる。


女1 下げるわよ。

    女1、トレーに皿をのせる。
    男1、空になったカップを持ち上げて
    アピールする。
    女1、無言のまま去るが、やがて戻り
    コーヒーを注ぐ。

女1 例の絵の件、明日までの約束だけど、大丈夫よね?
男1 ああ、狭い部屋にぎっしりあって邪魔で仕方ない。
 早く引き取ってもらいたいくらいだ。
女1 依頼主は公会堂の裏通りにあるホテルのオーナーよ。
男1 だからなに?
女1 言うのを忘れてたけど、引き取りに行けないから持ってきて
 くれって。
男1 うん?
 持って来い?
女1 それから飾り付けまでお願いしたいって。
男1 おいおい。
女1 壁に印があるからそこに鋲を打つところからね。
男1 やれやれ、画家のプライドもなにもあったもんじゃないな。
女1 仕事がもらえただけ有り難く思ってよね。
 こっちからお願いして描かせてもらったんだから。
男1 オレが頼んだわけじゃない……。
女1 なにか言った?
男1 いや……。

    男1、コーヒーを飲む。

女1 絵を描く仕事はないかって言ったの誰?
 本当だったら仲介料でももらいたいところだわ。
男1 わかったよ。
 どれだけ忙しいのか知らないが……。
女1 新しい市長の就任記念のパレードがあるから、そのせいでしょ。
男1 パレードとホテルとどう関係があるんだ?
女1 パーティーの準備よ。
 後で新市長が回って来るらしいわ。
 ホテルだけじゃなくてあちこちのお店にもね。
 費用は市長持ちですって。
男1 それはずいぶん気前がいいな。
 まあ、いまは就任したての期待もあって風に乗っているが、人の
 気持ちは冷めやすい。
 点数稼ぎは怠らずってわけか。
女1 オードブルは市長の好みを取り巻きの人たちから聞いて用意
 するみたい。
男1 どうせ顔を出すだけだろうに……。
 不毛だな。
女1 うちにもそんな話があったの。
男1 この店に?
 じゃあここでもパーティーか?
女1 うぅん、断ったわ。
男1 どうして?
 費用は市長持ちなんだろ?
女1 だからなに?
 自分がいま言ったじゃない?
 不毛だって。

    男1、コーヒーを飲む。

男1 まあ、それにしても前の市長は馬鹿な分だけ可愛げがあっ
 たな。
女1 パンがなければケーキを、野菜がなければフルーツを食べ
 ればいいなんて言ったりね。
男1 名家のご令息らしい浮世離れしたセリフだ。
 ただ、税を多く納める者は優遇されて当然だ、って言ったのは
 まずかった。
女1 あれでみんなそっぽを向いちゃったわね。
男1 ああ、自損事故だ。
 世襲政治も永遠には続かない。

    男1、コーヒーを飲む。

男1 なにかかけてくれないか。
女1 なにか?
男1 なんでもいいよ。
 音が聴きたいんだ。
 それと、こっちを一杯(手でグラスを表す)、出してくれ。
女1 今日はもう終わったの。
 それ飲んだら帰って。
男1 いいだろ。
 絵は仕上げた。
 そして自ら納品だ。
 しかも飾るところまで。
女1 だから逆だってば。
 恩を売られる筋合いはないの。
男1 ああ、そうだったよ。

    女1、去る。
    曲が流れる。
    やがて、女1、酒の入ったグラスを持って
    現れる。

女1 はい。

    男1の目前にグラスを置く。
    入口に人の気配。
    女1、反応する。
    女(女2)が様子をうかがうように現れる。

女2 あの……。
 遅くにごめんなさい。
 もしかしてそちらの人が絵描きさん?
男1 うん?
女2 ちょっとだけ話がしたいの。
 いい?
男1 ああ、まあ……。
女2 よかった。
 市場のはじっこで酒盛りしていた人たちが教えてくれたの。
 おそらくここにいるだろうって。
男1 で?
女2 絵を描いていただけない?
 お友達にプレゼントしたいの。
男1 プレゼント?
女2 もうすぐ離ればなれになっちゃうから。
 なにか記念になるものをあげたいなって思って。
男1 絵を贈るなんてなかなかいい趣味だな。
 でもオレでいいのかな?
女2 ええ、もちろん。
 市場の並びに芝居小屋があるでしょ?
 上演中の看板の絵が素敵で気になっていて……。
 誰が描いたのか聞いたらあなたのことを教えてくれたの。
男1 意外に近くにいたもんだ。
女2 それで決めたの。
 この人に頼んでみようって。
 芝居小屋のご主人も言ってたわ。
 彼ならヒマだろうし安いからちょうどいいって。
男1 おいおい。
 正直すぎるぜ。
女2 でも絵描きさんって大変ね。
 あんなに腕がいいのに認められるにはとても時間が掛かるんでしょ?
男1 ああ、まあ。
 出世したらこんなに簡単には会えないだろう。
 いまがチャンスだ。
女2 じゃあ……?

    男1、酒を一口飲む。

男1 条件が合えば。
 これでもプロなんでね。
女2 お礼はするわ。
 お金はないけど……。

    女2、首に提げていたネックレスを外す。

女2 これで。
男1 うん?

    男1、品定めをする。

男1 いくらで買った?
女2 もらったの。
 誕生日にね。
男1 本物だって?
女2 知らない。
 でもわざわざ偽物をくれる人なんている?
男1 見てくれないか。

    女1、受け取ったネックレスをしばし
    見つめる。

女1 わからないわ。
 預かっていい?
 知り合いに宝石商がいるの。
女2 ええ、どうぞ。
 また来るから。
女1 なにか飲む?
女2 ありがとう。
 でも帰らなきゃ。
 抜け出してきたの。
男1 門限に厳しいご家庭かな?
女2 うぅん、教会よ。
 川の向こうにある公園のそばの……。
男1 ああ……。
女2 スープが配られるの。
 ベッドも毛布も貸してくれるし。
男1 それは家出ってことかい?
女2 自立よ。
 施しを受けるだけじゃないの。
 床の掃き掃除、チャペルの講壇や椅子の雑巾がけ、炊き出しの調理
 や食器の洗い物だってするし。
 部屋はベッドだけの大部屋だけど、ちょっと抜け出しても仲間が
 ごまかしてくれるから助かるわ。
男1 じゃあまた頃合いをみて抜け出してくるといい。
女2 そうね、そうする。
 じゃあ……。

    女2、去る。
    沈黙。
    曲が終わっている。

男1 教会か……。
 炊き出し目当てによく行ったっけ。
女1 いつの話?
男1 昔だよ、大昔。
 真面目な奴はちゃんと説教を聞いてからスープをもらっていたが、
 オレは要領よくいつもどさくさに紛れて列に並んでた。
 ははは。
 酒が薄まったかな。
 足してもらえるか?
女1 気のせいよ。
男1 じゃあせめてもう一曲頼むよ。

    女1、去る。
    曲が流れる。
    男1、飲んでいる。
    やがて女1、花束を抱えて現れる。

女1 誰かと思ったら花屋さんだった。
 これ、あなたにだって。
 配達の子が気を利かせて届けてくれたわ。
 今夜のうちにお願いって依頼主に頼まれたんだって。
男1 オレに……?
 誰?
女1 さあ、読んでみたら、これ。

    女1、花束に添えられたメッセージカード
    を手渡す。

男1 うん?
 へえ……。
女1 誰なの?
男1 知り合いのギャラリーのオーナーからだ。
 お。
 今宵の支払いは当方へ回してください、か。
 よし、注ぎ足してくれ。
 祝杯だ。
女1 うそ。
男1 ほら。

    女1、メッセージカードに目を通す。

女1 あなたの作品に関われていることに誇りを感じます……。
 どうしたのかしら?
男1 さあ、きっとオレの絵が売れたんだろう。
 思いのほか高く。
 仕入れが安い分儲けはたっぷりだ。
 それよりまだいいだろう?
 飲み代のあても出来たしな。
女1 ちょっと褒められたからって調子に乗らないで。
 もう……。
男1 ああ、そうか、わかったよ。
 店を変える。

    男1、立ち上がる。

女1 明日の行き先大丈夫よね?
男1 公会堂の裏通りの安ホテルだろ。
 問題ない。
 じゃあ。
女1 これ、どうするの?
男1 悪いけど預かってくれないかな。
 いや、もらってくれないか?
 オレの部屋には飾る場所も花瓶もないしな。

    男1、去る。
    女1、花束をテーブルの上に置き、グラスを
    片付ける。
    音と明り、ゆっくりと絞られる。
    やがて暗転。





    〈第2場〉

    明転。

    翌日。
    前場と同じ場所。
    奥(もしくは脇)に花が飾られている。

    中央のテーブル席に男1。
    男1の目前にボトルとグラス。
    女1、トレーを持って脇のテーブルに
    寄りかかっている。
    テーブルの上に紙袋。


男1 うらぶれた安ホテルと言えばそれまでだが、お世辞にも歴史
 を感じるとも言えない。
 絵は場に馴染むとあらためて思った。
 うす汚れた壁に掛けると絵まで身を落としたように輝きを失う。
 どんな名画でも同じだろう。
女1 オーナーに挨拶した?
男1 ああ、さすがに悪びれていた。
 小太りで血色のいい、人の良さそうな男だった。
 休んでくれって、ビールとナッツを出してくれたよ。
女1 へえ、なにか話でもしたの?
男1 いや、パーティーの準備に追われていたからな。
 ロビーにスペースを確保しようと物を寄せたり、白布で覆ったり、
 大忙しだ。

    入口に人の気配。
    女1、反応する。
    静かに男(男2)が現れる。

女1 いらっしゃい。
男2 どうも……。
女1 どこへでもどうぞ。

    男2、男1の存在を確認する。
    二人、目が合う。
    男2、会釈する。

男2 そちらの方にちょっと。
女1 え、ええ……?
男2 突然失礼します。
 少しだけいいですか?
男1 うん?
男2 お会いできて光栄です。
 
    男2、名刺を差し出す。

男1 弁護士?
男2 ええ、市議会の執務室に席を置いています。
 じつは唯一の趣味が絵画のコレクションでして……。
男1 ほう……。
男2 絵が好きなだけの素人コレクターですが、あなたの作品もあ
 ります。
男1 まあ、どうぞ。

    男2、男1の向かいの席に座る。
    女1、去る。

男2 先日偶然入った隣町のギャラリーであなたの作品を拝見しま
 した。
 オーナー様とお親しいようで……。
男1 そう、古い付き合いなんで。
 彼はオレの姿かたちまで説明してくれたのかな?
男2 と言いますと?
男1 初対面のはずだけど……?
男2 ああ、それはなんと言うか、芸術家特有のオーラと言いましょ
 うか……。
男1 はははは。
 で、なにかお眼鏡にかないましたかね?
男2 ええ、幸運にも。
 あなたの作品をすべて譲っていただきました。
 こう言ったらなんですけど、法外に安いと思いました。
男1 飲み代として描いたんだ。
 彼とは飲み仲間でもあるんでね。
男2 あなたの作品をきっかけに話に花が咲きました。
 その中でこちらによくいらっしゃると伺ったので、もしかして
 お会いできるのではと……。
 最近はどんな作品を?
男1 ああ、まあ、お恥ずかしながら日銭を稼ぐような仕事ばか
 りでね。
 芝居小屋の看板とか、バーやホテルの装飾用の風景画だとか。
 はは、落ちぶれたと思うだろうけど……。
男2 いえ……。
男1 そうか、落ちぶれたって言うのはいい時代があった奴の言
 うことだった。
男2 世の中が追いついていないだけかと。
男1 用件がほかにあるなら先に聞こうか。
男2 ああ、失礼しました。
 じつはお仕事を依頼したくて参ったのですが、肖像画をお願い
 しようかと……。
男1 肖像画?
 まあ、条件次第だけど。
男2 おっしゃっていただけますか?
男1 交渉ごとは嫌いなんで。
男2 相場がわかりませんが、決して損はさせないつもり
 です。
男1 じゃあ提示してもらおう。
 オレの想像する額を上回っていたら即決。
 でなければ残念。
 かけ引きはなし。
男2 わかりました。

    男2、鞄から小切手を取り出し、
    迷わず額を書き記す。

男2 これでいかがでしょう。

    男1、手渡された小切手の額を見て
    内心驚く。

男1 まあ、一杯いこう。
 話は終わりだ。

    男1、女1にグラスを要求する。

男2 では?
男1 ああ、祝杯を。

    男1、女1からグラスを受け取る。

男1 安酒だけど……。

    男1、二つのグラスに酒を注ぐ。
    二人、グラスを小さく掲げる。

男1 (小切手を懐に仕舞いながら)で、肖像っていうのは誰の絵を?
男2 申し遅れました。
 市長の肖像をお願いします。
男1 市長って、新しい市長の……?
男2 はい。
 臨時協議を行った結果、あなたにお願いすることが決定いたしま
 した。
 突然の報告となりましたことをお詫びします。
 
    女2、紙袋を抱えて現れる。

女2 どう?
 描いていただけそう?
男1 あ、ああ、そう……。
女1 ごめんなさい、預かっていたものね、まだ見せていないの。
 宝石商の人が旅に出ていて……。
 もう少しで戻ると思うわ。
女2 そう……。
 ねえ、この上の階ってなにがあるの?
女1 なにって、ただの物置よ。
女2 もしよかったら明日のパレードの時に入ってもいい?
 上からの方が眺めがいいし。
女1 見物目的だけならどうぞ。
 ただし窓は開けないでね。
 埃が入るといやだから。
女2 ええ、もちろん。
 約束するわ。
女1 あ、そうか、どっちみち開かないんだったわ。
 かすがいを打ってあるから。
女2 そう……。

    沈黙。

女1 どうかした?
女2 本当は少しだけ窓を開けたかったの。
 だってパレードよ。
 鼓笛隊の演奏も聞きたいじゃない?
女1 演奏ね……。
男1 例の就任記念パレードのことか?
 前の市長が自分の当選を祝うつもりだったろうに。
 肝心の選挙で負けて主役の座を奪われるとはな。
 先頭の山車には新市長が上ることになる。
 石でも投げたい気分だろう。
女1 そう言えばね……。

    女1、テーブルに置いた紙袋から
    トマトを取り出して見せる。

女1 これ。
 さっき売りに来たの。
 トマトペーストを作りたいと思っていたからちょうどよかったわ。
 その袋も、そうじゃない?
女2 ええ、そうよ。
 私はもらったんだけどね。
女1 じゃあ言われたでしょう?
 これは単なるいやがらせや悪戯ではない、悪政に対する抗議の一投
 だとかなんとか、そんなことをね。
 真に受けることないわ。
女2 ええ、でも自分の意思で投げたかっただけ。
男1 投げる?
 なんの話だ?
女1 パレードの先頭の新市長を狙ってってこと。
 アンチたちがトマト売りを装って配って歩いているの。
 新市長は三食トマトを食べるほど好きだって教えてくれたわ。
男1 就任早々でもうアンチがいるのか……。
 不動産王の子息でいわゆる成り上がり二世だ。
 単なるやっかみや商売上の敵がいてもおかしくはないが……。
女2 私はただ面白そうだからやろうと思っただけ。
男1 面白半分ならやめた方がいい。
 命中したらそれこそ……。
女2 どうなっちゃう?
男1 警備は万全だ。
 それにこの前の道はほかより狭い。
 すぐさま警護班に見つけ出されて大衆の面前で晒しものにされる
 かもな。
女2 晒しものに?
男1 ああ、でもその渦中に新市長が割って入り、こう言うだろう。
 もし私になにか訴えたいことがあるのなら市長室を訪ねたまえ。
 きちんと向き合って意見を交わそう、とかなんとか言ってその場
 を納める。
 トマトを投げたことには触れない。
 その器の大きさとスマートな対応に新市長の株は確実に上がる。
 なんてな。 
 はは。
女2 トマトを投げることであの人の人気が出たりするの?
 じゃあやめるわ。
 馬鹿らしい。
男1 いや、あくまで想像さ。
 政治家はその手のプロだ。
 不意のアクシデントさえも自身の好感度向上に繋げるくらいの
 対応力はあるだろうっていう。
 もちろんやめる方が賢明だ。
 なんの得もない。
女2 ふうん……。
 試してみようかな。

    女2、トマトを手に取って弄ぶ。

女2 器の大きさとか、スマートな対応が出来るかとか。
女1 窓は開かないわよ。
 ねえ、それ私にくれない?
 なにかご馳走するから。
女2 ありがとう。
 でも……。
男2 (男1に)よかったらこの後、私の行きつけの場所にご一緒
 いただけませんか。
 ほんのお近づきの印に。
男1 ああ、そりゃいい。
女2 この先にテラスのあるお店があったわ。
 そっちをあたってみようかな……。

    男2、立ち上がって女2に近づき、
    手を差し出す。

男2 私にもらえますか?
女2 誰?
男1 議会の弁護士先生だよ。
男2 他愛ない好奇心だけで自身の前途を閉ざすこともないでしょう。
 そのトマト、私が買い取ります。
 ここにちょうど良さそうな金額があって……。

    男2、懐に手を入れる。

男1 この人の言うとおりだ。
 軽い気持ちでやったことが取り返しがつかなくなることもある。

    男2、封筒を差し出す。

男2 これで。
女2 いらないわ。
男2 いや、クリーニング代に。
女2 え。

    男2、女2に封筒を押しつけ、トマト
    の入った袋を取り上げ、中から一つ選
    ぶ。

男2 うん。

    男2、ふいに女の胸元にトマトを近づける。

女2 なに?
男2 私が言うのもおこがましいが、あなたが思っている以上に
 世の中は厳しいものです。

    女2の胸元でトマトを握りつぶす。
    赤い汁が服を染める。

女2 なにするの。

    女2、男2に封筒を投げつけてから
    袋を奪い返してトマトを投げつける。

男2 そうだ、投げるなら私にだ。
男1 おいおい。

    女2、悔しまぎれに次々とトマトを
    投げつける。
    瞬時に明りが落ちる。
    
    暗転中。
    鼓笛隊の演奏など賑やかなパレード
    の音が近づいてくる。
    ピークを迎えた後、ゆっくりと音が
    絞られる。





    〈第3場〉

    明転。

    数日後。
    前場と同じ場所、設定。
    男1、中央のテーブルに寄りかかっている。
    女1、床にモップをかけている。


男1 高い塀に立派な門がまえ。
 堅牢な石造りさ。
 門番もいる。
 もちろんオレのことは話が通ってる。
 そこを抜けると芝生の庭。
 噴水があって、ちょっとした公園みたいだ。
 その向こうに屋敷が見える。
 扉の前に下女が待っている。
 ガキの頃に薪割りの仕事をもらって通った屋敷を思い出した。
 その時の下女は意地悪だった。
 でも今回は違う。
 深々と頭を下げたあと、熟練の作り笑顔を浮かべている。
 ははははは。
 聞いてるか?
女1 聞こえてはいるわ。
 で、描いたの?
 それともお屋敷見学して終わり?
男1 もちろん描いたさ。
 主人と、つまり新市長とシャンパンで乾杯してからな。
 だだっぴろいリビングでお待ちかねだった。
女1 リビングで描いたの?
男1 いや、三つの部屋を使って。
女1 三つ?
男1 三枚描いた。
 それぞれ違う部屋で。
 服を着替えて髪型を整え直して。
 正装したオーソドックスなやつ、分厚い本が積まれた長机で考え
 事をしているやつ、一人がけソファで寛いでいるやつ。
女1 ずいぶん頑張ったわね。
 あなたにしては。
男1 ああ、頑張った。
 日に三枚だなんてな。
女1 あちらさんもね。
 そこどいてくれる?

    女1、追い払うようにモップをかける。

男1 いや、危うくもう一枚描かされそうになった。
 だから集中力が限界を越えたって言って断ったくらいだ。
女1 タフなモデルさんね。
男1 ああ、自己顕示欲、主張欲の塊のような人物だった。
 悪い意味じゃない。
 それぐらい活力旺盛じゃないと政治の世界では生き残れない。
女1 今度は銅像のオーダーが来たりして?
男1 就任早々だが、国政への野望があることは話の端々から感じた。
 一都市のトップなんて第一ステップに過ぎないんだろう。
女1 そんな人によく目を付けられたものよね。
男1 なぜオレを選んだのか、魂胆はわかってる。
 前の市長との差をつけたかった。
 庶民派ってことを強調したかった。
 ただ、奴だって本当はチマチマした選挙活動なんてしたくなかっ
 たはずだ。
 たとえば教会のような大きな組織票が欲しかっただろう。
 だが教会には宗派の問題がある。
 あっちを立てればこっちが立たない。
 財閥もそうだ。
 八方美人は一歩間違えれば総スカンを食う。
 急がば回れ。
 庶民重点にハンドルをきった。
 そこでオレだったんだ。
 無名だったのが功を奏した。
 協議なんてのは形だけで、あの弁護士の助言と市長の一存で決め
 たんだろう。
 こんな才能を放っておいたのは世の罪だ、ひいては政治の罪だと
 言い放った。
 はははははは。
 聞いてるか?
 うん?
 どう思う?
女1 なにを?
男1 なにをって……。
女1 悪いけど後にしてくれない?
男1 ああ、じゃあパンを焼いてくれないか?
 卵を添えて。
女1 生憎だけどまだお店開けてないの。
男1 じゃあいいよ、チーズやクラッカーでも。
 酒はしこたま飲んだけど、ほとんど食べていなくて……。
女1 調子にのって……。
男1 ああ、調子にのったんだ。
 まあでものりたくもなる。
 たまにはそういうときもあっていいだろ。
 例の弁護士先生と待ち合わせをしていたんだ。
 三枚も描いた慰労さ。

    女1、構わずに手を動かしている。

男1 なあ、なんでもいいから……。
女1 広場の噴水で顔でも洗ってきたら。
男1 もう洗ってきたよ。

    女1、振り向きもせずモップがけを
    続ける。

男1 わかったよ。
 頼まない。 
 あ、いや、別の話だけど……。
 この上って物置だったよな?
女1 だったらどうだっていうの?
男1 貸してもらえないかな?
 ちょっとの間だけでいいから。
女1 どういうこと?
男1 だから、使わせてもらえないかって……。
女1 絵を描くために?
男1 ああ、まあ、それもあるけど……。
 大家のやつが、ちょっとな……。
女1 え。
男1 なんて言うか、まあ、調子にのりすぎたって言ったろ。
 夕べの話だよ。
 遅くに帰って、それで、喧しいって……。
 隣の部屋の奴と揉めてさ。
 夜中に大家を呼びやがって。
女1 で、なに、気まずくて戻れない?
男1 いや、気まずいって言うか……。
 まあ、売り言葉に買い言葉ってやつでさ……。
 出ていけだと。
女1 なにやってるの。
男1 ただでとは言わないよ。
女1 知らない。
 もう一度頭を冷やしてきたら?
男1 なにもいらない。
 ベッドひとつ置くだけだ。

    女1、無視している。

男1 わかったよ。
 邪魔したな。

    男1、去る。
    女1、何事もなかったように作業を
    続ける。
    やがて静かに女2、床を掃きながら
    現れる。

女1 ここはいいわ。
女2 じゃあ終わり?
 上は全部掃いちゃったし。
女1 あとは拭き掃除。
 床のモップがけをお願いね。
女2 なんだ。
 最初から言って欲しかった。

    女2、女1が指さした方向にある
    モップを手に取る。

女1 あ、名前も聞いてなかったわね。
女2 名前ね……。
 忘れたわ。
女1 なにそれ。
 カッコつけてるの?
女2 カッコよかった?
 名前を忘れたって言うと。
女1 うぅん、逆。
 ちょっと滑稽に聞こえたわ。
女2 そうね、自分で言って恥ずかしかった。
 もちろん忘れてないけど、ちょっと今は思い出したくないってだけ。
 あ、誰か来た?
女1 みたいね。
女2 見てくる。

    女2、去る。
    女1、作業に戻る。
    やがて、女2、細長い包みを抱えて
    現れる。

女2 お届け物だって。
 馬鹿に重いんだけど……?
女1 引きずって構わないわ。
 そのあたりにでも置いて。

    女2、包みを椅子の背に立てかける。

女2 なんなの?
女1 ああ、斧。
女2 え、斧?
女1 そう、開けてもらえる?

    女2、包みを開ける。

女1 一番大きくて重たいのを買ったの。
女2 なんに使うの?

    女1、斧を持ち上げてみる。

女1 ちょっと重すぎたかしら……。

    女1、斧を振り上げて構える。

女2 あ、そうか、厄介なお客をそうやって脅しておとなしくさせ
 るとか?
女1 そう、たまにいるの。
 酒癖の悪いのが。

    女1、振り下ろす。

女2 貸して。

    女2、真似して振り上げようとして
    よろける。

女1 ふふふふふ。
女2 ねえ、もう一晩泊めてもらうにはどのくらい働けばいい?
女1 教会で嫌なことでもあった?
女2 今週はちょっとした集まりがあってね、お互いの悩みや不安
 を打ち明け合って、それを一緒に考えたり助言したりするんだけ
 ど……。
女1 そういうの苦手?
女2 退屈なの。
 それに個人の悩みや不安を人前で晒すなんて私には出来ない。
 だから意見が対立するのをひたすら待つ。
 火花が散り始めたら油を注ぐの。
 でも燃え上がる前に神父さんが鎮めに入っちゃう。
 それぞれの言い分を整理して、もう一段深いところで考えるよう
 にって。
 つまらない。
 盛り上げたいだけの私は扇動者のレッテルが貼られる。
 いつも不利。
 いつも札付き。
 でも仕方ないわ。
 原因は自分にあるんだし。
女1 じゃあ問題ないわね。
 自己完結しているのなら。
 貸して。

    女1、斧をゆっくり振り上げてから
    下ろす。 

女2 ねえ、その腕力はどうして?
 もしかして生まれつきの力持ち?
女1 軍隊にいたの。
 これより重い武器や兵糧を運んだこともあったわ。
 じつは私も特別腕力があるわけじゃないの。
 ただ持ち方のコツを掴んだだけでね。
女2 へえ、力じゃなくてコツね。
 軍隊か……。
 私、向いてたりしないかな?
女1 どうかしらね。
女2 あなたはどうだった?
女1 向いているかどうかはわからないけど、二度行ってるの。
 一度目は新米兵士らしく下働きで、二度目はほぼ事務仕事。
 でもクビになっちゃった。
女2 あ、悪いこと聞いちゃった?
女1 うぅん、平気。
 名誉除隊って体裁整えられてね。
 職務貢献は認めるけど、除隊してくれって。
女2 認められたのに辞めろ……?
女1 余計なことしたのよ。
 部隊にとってはね。
 内部の情報漏洩の危険について調べることを任されていたの。
 その任務については全うしたつもりだし、評価もされたけど……。
 調査をしていたら組織の中の余計なものまで見えてきてね。
女2 見ちゃいけないもの見ちゃった?
女1 幹部への賄賂、背任、外部との癒着、横領、知れば知るほど
 裏は……。
 私の上官はまともな人だったけど、全体が悪すぎてどうにも出来
 ない。
 その報告書は買い取られたわ。
 勲章なんかよりよっぽど有り難いくらいの額でね。
 それでこのお店の借金を払っちゃった。

    女1、斧を振り上げる。

女1 新米の兵隊はまずこんな斧を持たされるの。
 木を切り倒して野営場を作る役目があるから。
 じつは少し鍛え直そうと思ってね。
 まともに持てないと笑い者だから。
女2 笑い者……?
女1 市長が変われば法令も変わる。
 市民憲章、新しくなったの、全部目を通したから。
 兵役の権利ってところにね、国籍、性別、経歴の一切を問わず志願
 可能って。
 つまり、いまなら出入り禁止だった私でも志願可能にはなった。
女2 入りたいの?
女1 国のためには義を感じないけど、それ以外のために感じること
 はあるかもしれないし……。
女2 それ以外って……?
女1 わからないけど、いつかもしかしたら誰かのために、とかね。
女2 いつかもしかしたら誰かのため……。
 なにかちょっとカッコいいかも、そういうの。

    女2、兵隊の真似をしてモップを
    肩に担ぐ。

女2 こんなかんじ?
 ワンツー、ワンツー、ワンツー……。

    女2、行進してみせる。

女2 ワンツー、ワンツー、ワンツー……。
 小さくひとまわりして元に戻る。
 全体、止まれ。
 ワンツースリー、と。

    女2、静止して敬礼。

女2 さて、ではモップがけに行って参ります。
 あ、上にあるたくさんの絵ってあの人が描いたの?
女1 そう、支払いの代わりにね。
 ここだけじゃないわ。
 あちこちのお店でそんなことやってるの。
女2 へえ、なにか出来ることがひとつでもあればそうやって自由に
 なれるのね。
女1 うぅん、わたしたちの優しさ、寛大さがあればこその自由だか
 らね。
女2 あ、なるほど。
 では。

    女2、敬礼して去る。
    女1、その背中を見送りつつ、自分の
    作業に戻る。
    ゆっくりと明りが絞られる。
    やがて暗転。





    <第4場>

    明転。

    数日後。
    前場と同じ場所、設定。
    中央のテーブル席に女1。
    男2、やや離れた位置で斧を弄んで
    いる。
    やがて女1のそばまで歩み寄る。

男2 市政は模索を続けてきた。
 正義を問うて。
 平穏を願って。
 繁栄を求めて。
 専制政治は遙か昔に滅び、時代は民主的政治へ。
 しかし、開かれた市政はお題目、現実は財閥などの富裕層と
 骨がらみの関係を築いてきた世襲政治。
 諦念が支配する世に明るい未来はあるのか。
 市民とともに、市民の目線で、社会を変えていこうと新市長
 は立ち上がった。
女1 ええ。
男2 新市長は地位や名誉に執着せず、富にも無欲である。
 体制に屈せず、しがらみに縛られない。
 人を愛し、平和を愛し、芸術を愛する。
女1 素敵ね。
男2 え。
女1 ああ、どうぞ。
男2 新市長は新人議員時代から医療、教育、福祉の課題に向き
 合い、病院、学校、養老院の建設を推進。
女1 (小声で)父親が不動産王だったしね。
男2 また、積極的に移民を受入れたことで労働力不足を補い、
 生産性を改善させ、自給率を向上させた。
女1 きつい労働を移民に押しつけてるって噂だけど。
男2 芸術文化の振興のため、劇場や音楽堂を新設し、名高い
 歌劇団やオーケストラの招聘にも協力した。
女1 そのわりに人気はないみたい。

男2 大きく咳払い。

女1 ごめんなさい。
 続けて。
男2 新市長は志し高い方だが、順序をわきまえておられる。
 国を変えるにはまず一都市からだと。
 そう、ここが、我が市がモデルになる。
 このたび市民憲章が数十年ぶりに改められたことはご存じかと
 思う。
女1 目は通したわ。
男2 序章には次の一文が加えられている。
 市民は市民であることに誇りを持ち、常に実直、公正、敬意を
 旨とし、勤勉、勤労に励み、しかるべく税を納め、市政の方針、
 決めごとに従順であること。
 以上を肝に銘じていただきたい。
 では、質問をいくつか。
 先週行われたパレードでの市民の反応、行動の調査結果を踏ま
 えてお聞きする。
 正直に答えていただきたい。
 パレードの際、窓から顔を出し、小旗を振って迎えなかったの
 はいかなる理由からか。
女1 旗がないから。
男2 いや、小旗を買わなかったのはわかっている。
女1 そうよ、買わなかったからないの。
 嘘じゃないでしょ?
男2 腐ったトマトを受け取ったこともわかっている。
女1 熟しきったトマトよ。
 しかも貰ったんじゃなくて買ったの。
 それにしてもすべてお見通しなのね。
男2 なぜ買ったのか?
女1 必要だったからよ。
 トマトペースト用にちょうどよく熟したのを選んだの。
 現に投げなかったでしょ?
男2 小旗を買わなかった理由を伺おう。
女1 欲しくないから。

    男1、現われる。

男1 見慣れない光景だな。
 なにが始まった?
女1 見てのとおり、尋問よ。
男1 尋問?
男2 いえ、市長の支持率の調査です。
 市議会から調査係を任命されまして。
 もちろん私だけじゃなく議場の係員総出で。
 こちらではその予行演習も兼ねさせていただいています。
男1 わざわざそんな小道具を担いで回るのかい?
男2 あ、いや、これは……。
女1 そう、小道具としていいでしょ?
 威圧的なかんじが出てね。
 貸して。

    女1、斧を手に取る。

女1 私のなのこれ。
 市民憲章読んでないでしょ?
 自分の身は自分で守るようにって。
 最終章に一文加わっていたわ。
 女でも子供でもね。
男1 用意がいいな。

    女1、斧を椅子の背に立てかける。

女1 支持率調査なんて建て前よ。
 小旗を振らなかったり、トマトを受け取っただけで反対派とみな
 されるみたい。
男1 そう言えば、小旗を売っていた奴とトマトを配っていた奴が
 一緒にコーヒースタンドで休憩していたってな。
 酒場の仲間うちで話題になってたよ。
 つまり、反対派がどの程度いるかを把握するのと、この啓蒙活動
 がセットになっているってわけかな?
男2 ええ、まあ、お察しの通りです。
 市政の変化や方向性を直接お伝えする機会にしたいとのお考えか
 らです。
男1 改革派らしく豪腕で敏速なのはいいが、あんまりアクセルを
 強く踏まない方がいい気がするが……。
 あ、そうだ、オレの描いた肖像画が新聞に載ったって?
 おかげで取り巻く環境がすこぶる良くなった。
 ツケはきくしオレを追い出した大家もコロッと態度を変えたしな。
女1 ねえ、質問はおしまい?
男2 ああ、もうひとつだけ。
 市長の誕生日が近いんです。
 祝福の品を贈りたいという声にお応えしまして、市庁舎で贈り物
 の受付窓口を設置しています。
 先ほどから説明差し上げたことで市政への理解、市長に対する心
 象の変化が現われた裏付けとして、この予定をお聞かせください。
女1 予定?
男2 なにを贈るかってことです。
女1 なにか言った方がいいみたいね。
男2 出来れば具体的な回答を。
女1 じゃあ……。
 お菓子を作るわ。
 市長さんもすぐには手をつけられないでしょうから焼き菓子が
 いいかしらね。
 クッキーとかスコーンとか。
男1 そもそも食べ物なんかに手をつけないだろう。
男2 贈り物は通し番号がふられ、贈り主の名前と拇印を添えて
 保管されます。
 妙なことをすれば足がつきます。
 クッキーかスコーン。
 問題ありません。
 では、これで以上になります。
女1 ご苦労様。
男1 じゃあ一杯もらっていいかな?
女1 まだ準備中よ。
男2 (男1に)じつは相談したいことがありまして……。
男1 店を変えるかい?
女1 私が出て行くわ。
 買い出しに行くから少しここに居て。
 飲み物は適当にやってくれていいから。
男1 ああ、留守番の褒美だな。

    女1、去る。
    男1、ボトルとグラスを探しあてて
    戻る。

男1 いいやつを選んだ。
 はは。

    男1、グラスを置き、酒を注ぐ。

男2 早速ですが……。
 市庁舎内の本会議場への通路には、先代の市長たちに贈られた
 絵画やブロンズ像などの高価な美術品が並んでいます。
 大規模な美術館かと見紛うほどですが、近々それらを処分する
 ことになっているんです。
男1 売り払うってわけか。
 相当な額になるだろうな。
男2 恐らく。
 複数の画商に預けるか、オークションにかけるかを関係者で検討
 しているところです。
 売却益は何らかのかたちで市民に還元することになるかと思いま
 す。
男1 それはまた市政のいい点数稼ぎになりそうだ。
 ただバラマキはやめた方がいい。
 あぶく銭は人の心を浮つかせ、堕落させるだけだ。
 市政への評価も下がる可能性だってある。
男2 なにかいいアイデアがありますか?
男1 祭りはどうだろう?
男2 祭り?
男1 ああ、子供たちが主役の芸術祭だ。
 子供が絵を描いたり工作したり、それを露天商のように道路に
 並べて大人たちが買う。
 金じゃなくてキャンディーやチョコレートで。
 映画もつくる。
 本物の機材を使って、大人たちはアシスト役にまわり、子供たち
 が撮る。
 演劇、音楽、ダンスもいいな。
 町をあげた芸術の祭典だ……。
 なんてな。
 思いつきさ。
男2 いえ、貴族趣味を一掃して、子供たちを中心とした手作りの
 市民活動に費やす。
 最良の使いみちかもしれません。
男1 アイデア料をもらわなきゃな。
男2 ええ。

    男2、鞄から小切手帳を取り出す。

男1 冗談だよ。
男2 ああ、間違えました。

    男2、手帳になにかを記し、その
    ページを破って男1に手渡す。

男2 こんなメモ書きで申し訳ありませんが、内示書がわりに。
 いまのアイデアが実現したときのあなたの役職をと思って……。
男1 役職?
 芸術監督……。
男2 ええ、もちろんお受けいただければ相応の報酬もご用意し
 ます。
男1 ははは、いいね。

    男1、グラスを掲げる。
    男2、それに応える。
    ゆっくりと明りが絞られる。
    やがて暗転。





    <第5場>

    明転。
 
    数日後。
    前場と同じ場所。
    花は半分程度になり、花瓶も小さい
    ものになっている。

    テーブルを寄せて中央にスペースが作られ、
    女2がモデルとして座っている。
    手に何本かの花。

女2 もうすぐ?
男1 ああ、仕上げだ。

    男1、画板を使って筆を走らせている。

男1 うん、よし。

    男1、手を止め、立ち上がり、女2が
    持っていた花を花瓶に戻す。

女2 終わり?
男1 ああ。
 題して、祝福する女。
 なんてな。
女2 なにを祝福するの?
男1 それはまあ……。
 明るい未来ってところかな。
 贈るのに相応しいだろ?
女2 見ていい?

    女2、返事を聞くより先にのぞき込む。

女2 へえ……。
男1 うん?
女2 これ私?
男1 不満かい?
女2 ちょっと綺麗すぎるし、それにこんなに明るい笑顔っ
 て……。
 ほかのにすればよかったかな、花とか鳥とか。

    男1、描き上げた絵をテーブルの
    上に置く。

男1 いやならいいんだ。
 でもオレはこの絵を気に入っている。
 損も得もない純粋な気持ちで描けたのは久しぶりだ。
 もともとはこうだったはずだ。
 好き勝手に描く。
 売れることもあれば駄目なこともある。
 そんな具合さ。
 さて、仕事だ。

    男1、イーゼルにキャンバスをセット
    する。

女2 忙しいのね?
男1 ああ、両手で描きたいくらいだ。
 いや、その前に一息入れるか。

    男1、去る。
    女2、絵を手に取り、眺めている。
    男1、ボトルとグラスを持って戻り、
    脇(もしくは奥)のテーブルに置く。

女2 すごくいいと思う。
男1 うん?
女2 ごめんなさい。
 そう思ったんだけど、素直じゃなくて。
 友達もきっと喜んでくれると思うわ。
 もう行っちゃったけど……。
男1 行った?
 どこへ?
女2 遠くへ。
 手紙をくれるって。

    男1、両方のグラスに酒を注ぐ。

女2 私ももらっていいの?
男1 もちろん。
 慣れないことをして疲れただろう。

    二人、座る。

女2 ありがとう。
 じゃあ……。
 いい絵が描けますように。
男1 ああ。

    二人、グラスを掲げる。
    各々会話の合間に飲む。

女2 お酒好きそうね。
男1 おかげで失敗も多い。
女2 飲み過ぎるからでしょ?
男1 でも飲まなきゃやってられないときもある。
 オレだって人並みにへこむからな。
女2 それは絵のこととかで?
男1 ああ……。
 売れないのは慣れてる。
 生きてるうちに日の目を見られるなんて一握りの画家さ。
 そもそも絵なんてそういうもんだ。
 だが一旦持ち上げられてから突き落とされるのはけっこう堪
 える。
女2 持ち上げられたの?
男1 昔の話さ。
 国立美術館の建立に託けたコンペがあって、画商の奴が勝手
 にオレの絵を出品したのがきっかけだった。
 結果はグランプリ。
 芸術財団の会長がすぐに近寄ってきた。
 財団のため、芸術振興のためだってその会長に頼まれて何枚
 も描いた。
 でもそれは嘘ですべて横流しをしてたんだ。
 内部告発があったらしくバレた会長は捕まった。
 株で大きな借金を作っていたらしい。
 オレはのせられただけだった。
 絵の価値もオレの評価も急落した。
 もらった賞牌は不名誉な遺産に成り下がり、祝い金は全部ヤケ
 酒に消えたよ。
 にわかに近づいてきた連中はみんな散っていった。
 へこんだね。
 世間の評価なんて泡みたいなものだってことを学んだ。
 勝手にやってくれだ。
 はははは。
女2 それ見習うわ。
 勝手にやってくれ、ね。

    男1、女2のグラスに酒を注ぎ足す。

女2 お酒が入るとお喋りになっちゃうんだけど……。
男1 いや、和やかでいい。
 そのための休憩だ。
女2 じゃあ聞いていい?
男1 うん?
女2 どうして画家になろうと思ったの?
男1 子供の頃から働いてたんだ。
 食べるために。
 その反動だよ。
女2 いまは自由だものね。
男1 ああ、時々不自由が恋しくなるほどな。
女2 あの人は恋人なの?
男1 あの人?
女2 わかるでしょ?
男1 いや……。
女2 照れてるの?
男1 なんで?
女2 ふふふ。
 今度はどんな絵を描くの?
男1 ああ、まあ、それらしいのを描くよ。
女2 それらしい?
男1 税務署のフロアに飾る絵なんだ。
 オレらしいじゃ駄目だ。
 それらしいやつじゃないと。
 それにしても税務署とは皮肉なもんだ。
 ろくに税金を払ったことがない男が。
 笑える。

    男1、グラスを置いて一息つく。

男1 まあ、どっちにしろオレにはこれしかない。
女2 そうよ、せっかく忙しくなってきたんだもの。
男1 ああ、そのおかげでこうしてまだ生きていられる。
 兵隊にも行かずに。
女2 へえ、画家ってそうなの?
男1 現にオレは一度も召集名簿に名前が載っていない。
 もっとも月に一度の役場への確認義務を果たしたためしもない
 が……。
女2 確認していないの?
男1 見るまでもないさ。
 もし載っていたとしたら召集を無視した罪になる。
 捕まらなかったのが載っていなかった証拠さ。 
 まあ、それが唯一の利点だ。
 酒場の仲間には行ったきり戻らなかったり、大怪我をしてなん
 とか帰ってきたのもいたのに。
 中には召集を受けていないのに行った奴もいる。
 身代わりで。
女2 身代わり?
男1 借金を返せない奴は貸主の代わり。
 あと、雇い主の倅の代わりになった奴もいたな。
 何らかの負い目があったり義理や立場があったりってわけさ。 
女2 身代わりって言うから、なにかもっと美しい理由なのかと
 思ったわ。
男1 なんだそれ?
女2 体が弱い友達の身代わりになるとか、好きな人を戦場に行
 かせたくないとかね。
 たとえばあなたは絵の才能があるでしょ?
 もし私が恋人だとして、あなたの身代わりになって絵を描き
 続けてもらうっていう……。
男1 ははははは。
 役に立てそうかい?
女2 やってみなくちゃわからないじゃない?

    女2、脇に置かれていた斧を持ち上げ
    てみせる。

女2 新米はこういう斧で木を切らされるんですってね。
男1 おいおい。
女2 大丈夫。
男1 じゃないだろ。
 足元がふらついてるぜ。
女2 力はなくてもコツさえつかめば……。
男1 ははははは。
 無理するなって。

    男1、立ち上がりキャンバスに
    向かう。

男1 じゃあ次のタイトルはこれだ。
 斧と戯れる女兵士。
女2 やっぱりそう?
 遊んでいるように見えちゃうのね。

    女1、現われる。
 
女1 ただいま。
女2 あ、おかえりなさい。
女1 見慣れない光景ね。
男1 ああ、まあ、凝り固まった頭を解しているところさ。
 世の中なにが絵になるかわからない。
 頭の柔軟体操だ。
女1 へえ、大変ね。
 大画伯先生ともなると。
 
    女1、去る。

男1 相変わらず皮肉がきついな。

    女1、戻る。

女1 テーブルをもとに戻してね。
男1 あ、ああ……。
女2 ねえ、こんなのはどう?

    女2、床に座り顔の前に斧を
    立てて片手で支えている。

男1 うん、いいな。
 女兵士の休息……。
 
    男1、酒を飲み干してイーゼルを
    脇に寄せる。

男1 開店時間らしい。
女2 そうね。
 私ってなんの役に立てるのかな……。
男1 え。
女2 うぅん。

    女2、斧を脇に置き、テーブルと椅子
    を元の位置に戻す。

    女1、トレーにワインボトル、グラス、
    チーズをのせて現われる。

女1 よかったらどう?
 返礼品なの。
 市長の誕生日プレゼントのお返し。
男1 チーズとワインが?
女1 市長の誕生年のワインですって。
 ワインは市長の情熱、チーズは魂が込められているって。
 受付係の人がわざわざ説明してくれたわ。
男1 それは有り難すぎて客には出せないな。
 さあ。

    女2、男1に促されて席に着く。
    男1、ボトルを手に取り、それぞれ
    のグラスにワインを注ぐ。

男1 じゃあ熱い情熱と魂をいただくか。

    三人、グラスを掲げ、飲む。

男1 なんだよこれ、美味いな。
女1 いけないの?
男1 いや、ただ、こういうのはまずい方が話のタネになるん
 だけどな。
 なにが情熱だよ、まずいくせにってさ。
女1 あ。
 さっき市場で買った物がもう届いたのかしら。
女2 見てくる。

    女2、去る。

女1 ねえ、来週ちょっと付き合ってもらえない?
男1 どこに?
女1 隣町のリコルドってレストラン。
 わかるでしょ?
男1 ああ、あの店にはオレの絵がいくつもある。
 飲み代として描いたやつだけど。
女1 それ引き取りに行くから。
 お店畳むんだって。
男1 へえ。
 じゃあ画商にでも頼めばいいだろうに……。
女1 聞かれたの。
 もしよかったら譲ろうかって。
 どこかに流れちゃうよりいいでしょ?
 あ、荷物が多すぎたかしら。
(女2に)ねえ、ちょっと大丈夫?
 
    女1、去る。

    ゆっくりと明りが絞られる。
    やがて暗転。





    <第6場>

    明転。

    数日後。
    前場と同じ場所。
    花瓶はない。

    女2、テーブルを拭いている。
    やがて男2、現われる。


男2 こんにちは。
女2 いらっしゃい。
 私だけよ。
男2 はあ。
女2 留守を任されているの。
 出直す?
男2 いえ……。
女2 じゃあかけたら?

    男2、座る。

男2 先日は失礼しました。
 あらためてお詫びします。
女2 これなら出来るけど。

    男2、テーブルに置かれた紙切れを
    見た後、静かに立ち上がる。

男2 座っていると眠りそうなので……。
女2 寝てないの?
 目が赤いわ。
男2 夜は眠れない、おかげで昼間は頭がさえない。
 でも夜は逆に目がさえる。
 このところその繰り返しです。
 夢はよく見ますか?
女2 え。
男2 夢。
女2 時々ね。
男2 私もそうでしたが、毎日見るようになりました。
 寝入った矢先に。
 そしてすぐ覚める。
 短くていつも同じような夢です。
 聞いてもらえますか?
女2 うぅん聞きたくないわ。
 そんな話。
男2 そうですよね。
 人の夢の話ほど退屈なものはない。

    男2、再び座って紙切れを眺めて
    いるが、すぐに眠気に襲われる。

男2 おっと。
女2 寝てもいいわよ。
男2 いえ……。
 コーヒーをいれてもらえますか。

    男2、女2の去り際に声をかける。

男2 あ、いや、コーヒー豆を。
女2 え。
男2 豆だけをもらえますか。
女2 豆を?
男2 ええ、ほんの少しでいいので。

    女2、去る。
    短い間ののちひとつかみのコーヒー豆
    をのせた皿を持って現われる。

女2 どうぞ。

    男2、目前に置かれたコーヒー豆を
    つまんで口に入れる。

男2 徹夜明けによく囓ったものです。

    沈黙。

男2 私への印象はよくないままでしょうが……。
女2 べつに。
男2 当然です。
 もし私が消えてなくなっても誰にも悲しまれない、そんな人間
 ですから。
女2 ずいぶん卑下するのね。
男2 じつは私は市長の直轄という立場で、市政に関する様々な
 調整役を担っていました。
 汚れ役もありました。
 いや、恨まれ役と言った方が相応しいでしょうね。
女2 恨まれ役……?
男2 ええ、たとえば……。
 前の市長に従属的な議員たちに圧力をかけて辞職を迫ったり、
 そのほかの議員たちにも愚劣なやり方で新市長への忠義を試
 したり……。
女2 試すって、もしかして……。
男2 え。
女2 うぅん……。
男2 前の市長の写真を床に置くんです。
 大写しの顔写真を。
 つまり踏み絵です。
 踏んだ者は留まることを許し、踏まなかった者は退職勧告と
 市外への退去を命じました。
 多くの議員は前市長の顔を踏みつけましたよ。
 もっとも踏んだ者も、今後は新しい市長の靴の裏を舐め続け
 るという根気を試されるわけですがね。

    沈黙。

男2 そしてこの一連の施策の考案者は私ひとりによるものと
 いうことになっています。
 責任も恨みつらみも私だけにふりかかるわけです。
女2 ずいぶん損な役目ね。
 なにか悪いことでもした?
男2 いや、私のような新参者は人の嫌がる役目を引き受けた
 方が身のためかと思いまして。
女2 新参者って?
男2 前市長時代には法令執務に関わっていましたから。
 私はいつも強い方についてきました。
 旗色が悪くなればすぐに乗り換える。
 前市長の弱みを売って今の立場を得たんです。
 まあこんな身ですから内外ともに味方はいません。
女2 でしょうね。
 まるで自分から嫌われようとしてるみたいだもの。
男2 ええ、結局は自ら選んだ道です。

    男2、立ち上がる。

男2 所詮裏切り者はどんなに信頼を得ようと尽くしても限界
 があるわけです。
 わりと底の浅い限界が。

    男2、外套のボタンを外す。
    ワイシャツではない服が覗く。

男2 軍服です。
 いつでも行けるようにしておけと言われていましてね。
女2 今度はなにをするの?
 隊長?
 それとももっと偉い人?
男2 とんでもない。
 一兵卒。
 一番下っ端です。
 つまり私の役目は終わったのでしょう。
 吸いとるだけ吸いとった後は、囚人兵士と同じように前線行き
 の片道切符を渡されるわけです。

    沈黙。

男2 このことは黙っていてもらえますか?
 あの二人にも。
女2 また来るの?
男2 ええ、自分の口から伝えたいので。
 あ、水を一杯いただけますか。

    女2、去る。
    男2、立ち尽くしていたが、やがて座る。
    女2、戻り、水の入ったグラスを男2の
    目前に置く。

男2 どうも。

    男2、一口飲む。

男2 バスターミナルの隅に靴磨きの少年がいましてね。
 私が磨いてもらおうと近づいても目を合わせもしない。
 台の上に靴をのせても黙ったままで……。
 頼めるかって聞いたら首を横に振るんです。
 休憩中なのか、私を拒んでいるのかわからないまま足を引っ
 込めると、横からべつの足が出て台に靴をのせるんです。
 で、少年はその靴を磨きはじめる。
女2 予約でも入っていたのかしらね?
男2 さあ。
 仕方なく傍らで彼の仕事ぶりを眺めていました。
 いくら待っても私の番は回って来ない予感を覚えながら。
 くる日もくる日も、ずっとです。
女2 ずっと?
 そんな馬鹿な話あるかしら?
男2 まったくです。
 馬鹿げています。
 いくら現実じゃないとしても。
女2 え、それって……?
男2 ええ、夢の話です。
 すみません、つい……。

    男2、水を飲む。
  
男2 さっき内外ともに味方がいないと言いましたが……。
 それは仕方ないと思っています。
 ただ、最後の砦が崩れそうになっているのはどうにかしない
 と……。
女2 砦?
 それも夢の話?
男2 いえ、自分の中のことです。
 失礼、夢より退屈な話でした。

    男2、水を飲み干す。

男2 パンを焼いてもらえますか?
女2 ええ、コーヒーいれる?
男2 そうですね。
 あと、パンは二つに切って下さい。

    男2、女2の去り際に声をかける。

男2 もしよかったら半分いかがですか?
女2 え。
男2 パンの半分を。

    沈黙。

男2 私と分け合うのは嫌ですか?
女2 いま欲しくないだけ。
男2 じゃあ、あとで食べては?
女2 あとで……?
男2 それも嫌ですか?

    沈黙。

男2 失礼しました。
 余計なことを言いました。
 忘れてください。

    女2、去るがすぐに戻る。

女2 関係ない話だとは思うけど……。
 思い出したの。
 神父さんからよく聞かされた言葉を……。
男2 ええ……。
女2 パンは分け合って食べよ。
 誰であろうと傍らにいる者と。
 たとえその者が心を閉じ、感謝の意を示さなくとも。
 たとえその者が独り占めしたことがあったとしても。

    沈黙。

女2 そんな言葉を。
 でも関係ないわね?
男2 教会に通っているんですか?
女2 まあ、熱心な信徒じゃないけど。
男2 じつは私も一時……。
 遠い昔のことですけど。
女2 そう……。
 じゃあこれは?
 前後は覚えてないけど……。
 えーっと、誤った行動を起こそうとしている者には、たと
 えばそばにある果実を搾って……。
 その汁で衣服を汚してでも食い止めよ、そうすればお互い
 それ以上争うことはない、だったかしら……。
 そんなくだりが教典に載っていて、みんなで朗読した覚え
 があったわ。

    沈黙。

男2 トマトは果物かというと微妙な存在ではありますが……。
 正しくはナス科の野菜だそうですね。
 まあ、あの時は手近にあったので代用したわけで……。
女2 じゃあ……?
男2 ええ、ちなみにですが、そのくだりなら確か……。
 果実の搾り汁は神の血を意味し、神の生命の一部を自分の
 一部とすることで今日の命が繋がり、万事に感謝の心を持
 つことができよう、誤った行動を起こそうとしている者に
 は、神の血で衣服を汚し、人前に出られなくしてでも食い
 止めよ、たとえ反発を食い、互いの身が汁まみれになった
 としても両者が血を流すまでには至らない、ではなかった
 かと。
女2 ずいぶん物覚えがいいのね。
男2 唯一の取り柄です。

    沈黙。

女2 偉い人がよくすることじゃない?
男2 え。
女2 周りの人にやらせて、自分は知らなかったって言うの。
 でもそんなわけないって。
 みんなわかっているんじゃないかしら。

    沈黙。
    やがて女1、男1、現われる。
    男2、外套のボタンを留める。

男1 店を畳むくらいだから困ってはいるんだろうが……。
女1 何回同じこと言うの?
男1 なにも画商の倍の値で引き取らなくても……。
 それならオレがいま描いた方がいいくらいだ。
女1 じゃあ描いて。
 すぐに同じ数だけ。
男1 すぐにって……。
女1 なに?
男1 わかったよ、もういい。
 で、二階に上げなくていいのか?
女1 ええ、ご苦労様。
男1 (男2に)もしかして待たせたのかな?
男2 いえ、近くに来たので寄っただけで……。
男1 これ、号外だってさ。
 役所のスタッフたちが配ってたよ。
 わが市が模範都市の指定を受けたって。
 あ、知ってたかな?
男2 いえ……。
男1 ほら、国家模範都市って。
 皆様のご尽力に感謝、だと。
女1 一番多く兵隊を派遣したってことみたい。
男1 また国への点数を稼げたな。
 監獄の囚人たちも恩赦という名目で出兵させるらしい。
 手柄をたてれば報奨金は惜しまないなんてそそのかされて、
 前線に送られるんだろう。
 口減らしが出来て国への貢献も出来る。
 市長の株は更に上がる。
 やるもんだ。
 ははははは。
 読むかい?
男2 いえ。
男1 捨てようかと思ったんだけど、よく見たら裏面がピザと
 ドリンクのクーポン券になってるんだよ。
 市内のどこの店でも使える。

    男1、折りたたんで懐に仕舞う。
    男2、席を立つ。

男2 (女2に)やっぱり失礼します。
男1 へえ、意外に恰幅がよかったんだな。
男2 ただの着ぶくれです。
 では、私はこれで。
男1 ああ、じゃあ。
女2 いいの?
男2 また来ますよ。
 靴を磨いてもらえない理由を考えてから。
 じゃあ……。

    男2、男1と女1に頭を下げ、
    去る。
    
    ゆっくりと明りが絞られる。
    やがて暗転。





    <第7場>

    明転。

    数日後。
    前場と同じ場所。
    花瓶はない。

    中央のテーブルに女1。
    頬杖をつき、虚空を見つめている。
    やがて男1、現われる。

男1 珍しい光景だな。
女1 そう?
男1 なにかあったか?
女1 べつに。

    女1、立ち上がる。

男1 あの娘あれから戻らないのか?
女1 もともとここの住人ってわけじゃないけどね。
男1 一杯出してくれ。
女1 まだお日様真上よ。
 こんな時間に……。
男1 こんな時間にバーは盛況だったぜ。
女1 行ったの?
男1 前を通っただけだ。
 顔なじみが教えてくれたよ。
 召集名簿にオレの名前があったって。

    沈黙。

男1 まったく……。
 なにがどうなってるんだ。
 なんでオレが……。
女1 例外なんてないはずじゃない?
 で、なに?
 勇気づけるためのお酒。
 それとも慰め?
男1 いいからくれよ。
 どうせこれはなにかの間違いだ。
 役所だかどこかの手落ちに決まってる。

    女1、去る。
    男1、座る。

男1 そうだ、あの弁護士に頼もう。
 それなら話が早いだろう。
 奴ならきっと……。
 なあ。
 あれから来てないのか?
 うん?

    女1、酒の入ったグラスを持って
    現われる。

女1 来ないわ。
男1 この次来たら話がしたいって伝えてくれ。

    男1、一口飲む。

女1 ねえ、あの娘に絵を描いてあげたじゃない?
 あれ、無償でよかったのよね?
男1 寄付やボランティアは主義に合わない。
 でもあれは特別だ。
 久しぶりに気持ちだけで描けたしな。
女1 じゃあ対価はいらないわね?
男1 そう言えばネックレスを預かってたな。
 返していいよ。
 プレゼントだったらしいし。
女1 ええ、彼女が戻ったら取りに行くわ。
 貸金庫に預けてあるの。
男1 貸金庫?
 ずいぶん大袈裟だな。
 
    女1、バッグから封筒を出し、
    男1に手渡す。

女1 例のネックレスの鑑定書よ。

    男1、鑑定書を取り出して見る。

男1 ふぅん……。
 オニキス、カーネリアン……。
 なんだこれ。
女1 材質とか石の名前でしょ。
男1 へえ……。
 うん?
 この数字は?
女1 価値よ。
 最低でもその金額で引き取り手はあるってこと。
男1 ほう……。
 ちょっとした額だな。
 参ったね。
 ははははは。
 あ、そうだ……。
 これ、オレの依頼料だったよな?
女1 なに、意外に価値があって気が変わった?
男1 そもそもオレは寄付やボランティアはしない主義だ。
 貫かなきゃな。
女1 へえ、首尾一貫、素敵ね。
男1 冗談だよ。
女1 じつは私もなの。
 その鑑定書のこと。
男1 え。
女1 偽物。
 私が書いたの。
男1 なんのために?
女1 あなたがどんな反応をするかと思って。
男1 まったく……。
 趣味が悪いな。
 こんなものをわざわざ……。

    男1、破ろうとする。

女1 やめて。
 本物だから。
男1 なに。
女1 冗談。
 私が作ったなんて。
 返して。

    女1、鑑定書を封筒に仕舞う。

男1 それにしてもどうだ、いささか高価な誕生日プレゼント
 だな。
女1 ええ、まあ、そうね……。
男1 考えたくはないが、まさか……。
女1 え。
 まさか?
男1 ああ、いや、どう思う?
女1 もしかして……?
 実は良家のお嬢様とか?
男1 あ、そっちか。
女1 え、どっち?
男1 いや、だから、その……。
 家を出れば咎める者もいないし奔放になる。
 いまは教会に身を寄せているが、良からぬ仲間、良からぬ誘いが
 あっても不思議じゃないし……。
女1 ああ、そうね、なにかうしろめたいことをして手に入れたん
 じゃないかって?
男1 いや、まあ、下衆の勘ぐりだよ。
女1 あなた正直よね。
 じつは私も頭をよぎったの。
 鑑定書を見たときにね。
男1 しかしもらったって言ってたんだ。
 疑うのも疑われるのも互いにストレスだ。
 それに聞いたところで本当のことを言うとも限らない。
女1 あ。

    女2、現われる。

女2 こんにちは。
女1 ご無沙汰だったわね。
女2 描いてもらった絵を友達に渡しに行ったの。
 いろいろ乗り継いで行くのに三日、帰りも二日かかっちゃった。
男1 それはけっこうな長旅だ。
女2 ええ、ちょっとした冒険みたい。
 ひとりで遠くに行ったのって初めてだったから。
 でもよかった。
 友達に会えたし。
女1 お疲れだったわね。
 まあ、掛けたら。

    女1、去る。
    女2、座る。

女2 プレゼントの絵もとても喜んでくれたわ。
 彼女の笑顔を見たら長旅の疲れなんか吹っ飛んじゃった。
 あらためまして、ありがとう。
男1 そりゃ、どうも。
 ところでその友達って、どうしてまたそんなに遠くに行くことに
 なったんだ?
女2 それは、まあ、ちょっとした事情って言うか……。
 はっきり言っちゃうと、この町にいられなくなったからよ。
 それで家族みんなで移住したっていうわけ。
男1 いられなくなった?
女2 そう、で、どうせならなるべく遠くへ離れたいってことでね。
男1 へえ……。
 じゃあ、それには、なんて言うか、それなりの理由があるんだろ
 うな……?
女2 ええ、あるわ。
 でも彼女はしっかり現実を受入れているみたい。

    女1、戻り、女2の目前にグラスと
    ストローを置く。

女1 冷たいものでもいかが。
女2 ありがとう。
 ねえ、お願いなんだけど……。
 少しの間ここに匿ってもらえない?
 あ、うぅん、置いてもらえない?
女1 どういうこと?
女2 私を探している人たちがいるみたいなの。
 顔写真を持ってお店だとか通りすがりの人に聞き回っていて……。
 このあたりに居ることはわかっているみたい。
男1 だったら自分から出て行った方がいい。
 その方が罪も軽くなるはずだ。
女2 罪?
 まあ、そうね。
 覚悟はしてる。
 自由じゃなくなることは仕方ないって。
男1 ここにいたって不利になるだけだ。
女2 迷惑ってこと?
男1 いや……。
 ただ、逃げても疲れるだけで割に合わないってことさ。
 預かっていたネックレスもすぐに返すよ。
女2 え、そんなに役に立たないものだった?
 でもお礼になりそうなものってほかにないわ。
男1 いや、いいんだ。
 あのときは楽しく描けた。
 久しぶりに。
 それに誕生日のプレゼントなんだろ?
女2 え、ああ……。
 プレゼント、そう言ったわね……。
男1 けっこう高価なものみたいだぜ。
女2 え、ええ、まあ……。
男1 気前のいい贈り主なのかな?
女2 そうでもないでしょうけど……。
男1 けど?
女2 なんて言うか、それについては、ちょっとね、恥ずかしい
 話って言うか……。
男1 そういう話ならオレだって負けない。
 山ほどある。
 そんな奴の前なら気にすることもないだろう?
女1 席を外すわ。
女2 うぅん、いいの。
 バレなければいいんだから早く手放しちゃおうなんて考えて……。

    女2、グラスを手に取りストローを
    弄ぶ。

女2 でも後悔したの。
 絵のお礼代わりにしたことを。
 返してもらえるって聞いてホッとしたわ。
男1 その正直さは好感が持てる。
 作らず飾らず率直な気持ちを伝えて返せばいい。
女2 返す?
男1 ああ、寛大な人物なら温情を賜れるだろう。
女2 どうして?
男1 え。
女2 大事にしようと思う。
 やっぱり、プレゼントだし。
男1 プレゼント……?
女2 確かにもらったときは全然嬉しくなかったし、迷惑くらい
 に思っていたけどね。
男1 あ、ああ、へえ……。
 うん、そう、もらったものを返すなんて失礼だよな。
 なんだ、はは。
 そもそも絵を贈るなんて善人に限った発想だ、ははは。
女2 え。
男1 いや、その、嬉しくないって言うのは、つまり品物自体が
 気に入らなかったのか、もしくは嫌いな人から贈られたから
 なのか……? 
女2 後者よ。
 そしてその人は私の父親。
 私を捜し回っているのもね。
 ママのことは好きだけどパパとはしょっちゅうやり合ってい
 るの。
 あのネックレスだってひと桁間違えて買ったとかですいぶん
 揉めてたわ。
 見栄っ張りだとか、返してきなさいとか言って。
 最悪の誕生日……。
 そんな家庭内のゴタゴタ、恥ずかしい話ね。
男1 どこにでもありそうな話さ。
 で、パパが心配して探し回っていることに絆されたってわけ
 かい?
女2 嫌いだったの。
 ずるいと思ったし。
 でも、友達に会って、いろいろ話をして、それで思い直した
 の。
女1 その友達って絵をあげた人のこと?
女2 ええ、私のパパも彼女のパパも市議会議員だったのよ。
 新しい市長に代わったときに議員を試したんだって。
 以前の体制を全否定して新市長のしもべとして仕えるか、拒否
 して身を引くか。
 前の市長の顔写真を床に置いて。
 踏んで新市長と握手するか、踏まずに退場するか。
男1 しもべか辞職か……。
女2 友達のパパは踏まなかったから失職させられた上に退去し
 なくちゃならなかったの。
 でも、私のパパは……。
男1 直接聞かなくても自然と耳に入るよな。
 それで嫌いになったってわけか?
女2 だって踏まない方を選ぶって大変だと思うの。
 だからこの前会ったときにね、あなたのパパは偉いなって言っ
 たの。
 踏み絵をさせるような人に仕えるくらいなら辞める方が絶対に
 正しいって。
 彼女はパパを尊敬しているから嬉しそうだったけど……。
男1 けど?
女2 あなたのパパも偉い、ある意味羨ましいって。
 それはただのお世辞か慰めで言ってるんだと思って理由も聞か
 なかったわ。
 でも帰りながらずうっとそのことを考えていたの。
 パパも嫌だったろうな。
 家族のために我慢したんだろうなって。
女1 それならここで隠れていることはないじゃない?
女2 そう、でも私って素直じゃないの。
 この期に及んで、見つけられて渋々出て行く方が体裁をがいい
 かなって、そんなことを気にしているんだから。
男1 わからなくもないが、こんな場末のバーじゃ時間がかかる
 ぜ。
女1 場末で悪かったわね。
女2 じゃあ連れて出てくれない?
 行きつけのお店で見つけたので説得して連れてきたって言って。
男1 楽しい役目じゃないが……。
 今度はそれなりに礼をしてもらうぜ。
 市議の娘と知ったらなにも遠慮はいらない。
 はははは。
女1 ねえ、さっき、覚悟とか、自由になれなくなるって言った
 けど……?
女2 しもべの身内が何週間も行方知らずだったんだもの。
 しばらくは保護監察ってことになるかもしれない。
 まずは尋問、どこでどう過ごしていたか、誰に会ったかとかね。
男1 なんならオレが証言してもいいが、こういうときはあの弁
 護士の出番だ。
 ちょうど用事がある。
 ついでに頼んでやるよ。
女2 え、ええ、ありがとう……。
男1 じゃあそういうことで、乾杯でもするか。
女1 なんの乾杯?
男1 今後の幸運を祈って。
 まあ、景気づけってことでさ。
女1 景気づけね……。

    女1、去る。

女2 あの人、あれから来た?
男1 弁護士か?
 いや……。
女2 そう……。

    女1、手に大きな封筒を持って現
    われる。

女1 速達よ。
 配達員も慣れたものね。
 留守ならここだと思ったって。
男1 誰からだって?
女1 見て。

    男1、封筒に記された文字を見た
    あと神妙な面持ちで開封する。

男1 なんだこれ……。

    男1、封筒の中から書簡を取り
    出し目を通す。

男1 まったく……。
女1 なに?
男1 ただの事務連絡さ。
 見当違いのな。
 集合場所、日時……。
 なにが時間厳守だ。

    男1、書簡を傍らに置き、封筒の中に
    手を入れる。

男1 うん……?

    男1、封筒の中から紐付きの入隊証
    を取り出す。

男1 こいつを首にかけて来いって言うのか……。

    男1、入隊証を首にかける。

男1 はじめてネックレスっていうのをしたよ。
 どうだい?
女1 入隊証って書いてあるの?
女2 どういうこと?
男1 パーティー会場のパスだ。
 はは、酔狂なパーティーの。

    男1、入隊証を首から外し、指で回
    してから遠くへ飛ばす。

男1 ただの手違いだ。
 飲もう。
 さあ。

    女1、去る。
    ゆっくりと明りが絞られる。
    やがて暗転。





    <第8場>

    明転。

    数日後。
    前場と同じ場所。
    女1、小さな花瓶にさしたドライフラワー
    を整えている。
    やがて男1、現われる。
    女1に存在を示してから無言で座る。

女1 どうだった?
男1 うん?
女1 首尾良くいった?
男1 なにについて?
女1 いろいろ。
男1 あの娘は戻ったよ。
 ここを出て間もなく捜索隊に呼び止められてさ。
女1 捜索隊?
男1 ああ、パパとその一行さ。
 すぐそこの店で偶然見つけたから説得して連れてきたって……。
 用意したセリフを言ったら、ずいぶん丁重に礼を言われたよ。
 それでそのままさ。
女1 あっけなかったわね。
 あの弁護士先生は音沙汰ないままよ。
男1 なにかまたあらたな任命でも受けたかな。
女1 頼りにしてたのにね。
男1 いや、もういいんだ。
 昨日役場で確認してきた。
 手違いなんかじゃない。
 でもそれで考えが変わった。
 たとえ弁護士が掛け合って好転したとしても、オレが召集を受け
 たことは変わらない。
 問題はそこさ。
 オレは絵描きで、いわば芸術家の端くれなはずだ。
 肖像画だって任された。
 だから市長が言った兵役に例外なしって言葉も真に受けなかった。
女1 自分は特別だって?
男1 ああ、馬鹿だった。
 自分でも嫌になる。
 いままでは運が良かっただけなのに……。
 だから行くよ。
女1 え。
 行く?

    沈黙。

男1 ちょっと褒められると日和りかける。
 どこが芸術家のはしくれだ。
女1 まるで腹いせみたいね。
男1 このままじゃ自分が嫌いになりそうなんだ。
 なににも命をかけずに……。

    沈黙。

女1 なにか飲む?
男1 ああ、コーヒーを。
女1 どうしちゃったの?
 もう日は暮れてるわよ。
男1 眠いんだよ。
 でもまだ眠れない。
 いま描いている絵を仕上げるまでは。
女1 誰かに頼まれたの?
男1 いや……。
 もらってくれないか?
 ツケの精算だよ。
 最後の絵になるかもしれないしな。
女1 そんなに真面目な兵隊になるつもり?
男1 いや、ただ、なにが起こるかわからないし……。
 少なくともこの界隈を歩いているよりはいろいろあるだろう。
女1 どうせなら命がけで描き続けるわけにはいかないの?
男1 え。

    女1、脇に置かれた斧を持ち
    上げる。

女1 筆より重いもの持ったことあったっけ?
男1 オレの部屋のドアは建て付けが悪くて開けるたびに力ずくだ。
女1 新兵は歳に関係なくこき使われるわよ。
 務まりそう?
男1 やるしかないだろう。
女1 代わってあげてもいいけど。
男1 なにを?
女1 兵隊。
 本人の同意があれば手続きひとつよ。
 サインだけ。
 難しい話じゃないわ。
男1 はははは。
女1 以前は本人の同意すらいらなかったんだけどね。
 手続きって面倒になる一方よね。
 役所に行って召集名簿を見て、この人の代わりになるって申告し
 て、おしまいだったのに。
男1 詳しいな。
 ここの客にそんなのがいたのか?
女1 そう、聞いた話よ。
 でも本当なの。
 で、どう?
男1 どうって……。

    女1、斧を担いだり振り下ろし
    たりして見せる。

女1 腕力なら同じくらいはありそうでしょ?
男1 はは、本気か?
女1 冗談で言う?
男1 客が困るだろ?
女1 大していないけどね。
男1 オレだって困る。
女1 長旅に出たと思えばいいじゃない。
 以前にもあったでしょ?

    男1、立ち上がって女1から斧を
    取り上げる。
    その重さに内心驚く。

男1 ああ、そう言えば一度出かけると長かったよな。
 どれだけ旅好きなんだって思ったよ。

    男1、斧を傍らに置く。
    女2、息せき切って現われる。

男1 どうした?
 脱走か?
女2 うぅん、急に解放されたの。
 でも理由がわかった。
 これ、見て。

    女2、手に持っていた紙を広げて
    見せる。

女2 号外よ。
 あちこちで配っているわ。
男1 うん?
 なに、市長が……?
女2 そう、市長が逮捕されたって。
女1 逮捕?
女2 軍隊の偉い人にお金を渡して取引していたんだって。
 だからもらった人も同じく逮捕。
女1 見せて。

    女1、号外に目を通す。

男1 市長の奴、なにを買おうとした?
女1 この市から送り出した兵士たちに勲章を出すようにって要求
 したんだって。
 なにも手柄も立ててないのに。
男1 見せかけの名誉で貢献をアピールか。
女1 それと、移民の兵士の数が制限を大きく上回っていたことを
 黙認させていたんですって。
 模範都市になったって号外が出たばかりだったのにね。
男1 しくじったな。
 出世を急ぐとこういうことになる。
女1 当市の召集名簿はただちに回収して見直すって書いてあるわ。
男1 見直す?
女1 白紙に戻すってこと。
 該当する各個人においてはすべての準備活動を解除のこと、だっ
 て。
女2 もう行かなくていいってこと?
女1 ええ、ほかの都市の何倍も兵を出していたんだもの。
女2 (斧を持ち上げる動作で)じつは密かに鍛えようかななんて
 思ったりしたけど……。
男1 なんのために?
女2 あてはないわ。
 ちょっと真似してみたくなっただけ。
 どっちみち誰の役にも立てないでしょうけどね、ふふ。
女1 やっぱりお酒にする?
男1 ……。
女1 ねえ。
男1 え。
女1 お酒にするかって聞いてるの。
男1 ああ、いや……。

    男1、斧の柄を持って眺める。

男1 長旅か……。
 そう言えばなにも土産はなかったよな……。
 はは。
女1 今ごろなんの話?
男1 今ごろ思い出したんだ。
 いや、違う。
 思い出せないんだ。
 その間オレはなにをしていたんだ。
 一体……。

    男1、斧を持ったまましゃがみ、
    片膝をついて目を閉じる。
    やがて立ち上がろうとするが、
    よろける。

女1 ちょっと……。
女2 大丈夫?
男1 ああ……。

    男1、斧をなんとか傍らに立てかけ、
    椅子にもたれ掛かって座る。
    目を閉じたまま眠ったように動かな
    い。

女1 なに?
 急に眠たくなった?
男1 描きもせず、昼酒を食らい、夜ごと飲んだくれ……。
 ふふふふふ。

    男1、寝言のようにつぶやいたのち、
    泣いているのを誤魔化すように笑う。
    短い眠り。
    やがて目を開け、勢いよく体を起こす。

男1 いまオレ寝てたか?
女1 みたいね。

    男1、さりげなく涙を拭う。

女1 どうしちゃったの?
男1 ああ、ちょっと目眩がしてそのまま……。
 浅い眠りだったが、絵を描けって声がして驚いて目が覚めた。
 言ってないよな?
女1 誰も言わないわ。
男1 その声が雷のように頭から落ちて体に響いて……。
 はは、人の夢の話ほど退屈なものはない。
 まあ、どっちにしろ描くつもりだったんだ。
 最後って覚悟で描き始めたんだからな。
女2 最後って……?
 あ、聞かない方がいい話?
男1 いや、いままではそれが足りなかった。
 これが最後だっていう緊張感って言うか、覚悟みたいなものが。
 薄っぺらい絵描きだった。
 特別なわけでもない。
 運がよかったわけでも……。

  沈黙。

女1 あ、そうだ。
 ネックレスを預けたままだったわ。
 悪いけど引き取るの付き合ってもらえる?
女2 ええ、もちろん。
男1 なんだか急に腹が減ってきた。
 パンでも焼いてくれないか?
女2 あ、私にも分けてもらえる?
男1 じゃあひとつ追加で。
 朗報を届けてくれた褒美だ。
女2 ええ、でも分けてもらいたいの。
 ねえ、三人でどう?
 ひとつのパンを。
女1 三人で?
女2 ええ、パンは分け合って食べよ。
 誰であろうと傍らにいる者と。
 教会で聞いた言葉よ。
 なにかいまそういう気分なの。
男1 どういう気分だよ?
女2 気分って言うか心境。
 いいなって思ったことは思うだけじゃなくてやってみるっていう
 ね。
 そういうこと。
 わからなくてもいいの。
女1 ご希望にお応えするわ。

    女1、去る。

女2 さっき最後の絵って言ったけど、あの人に絵を贈るってこと?
男1 いや、ここの支払いの埋め合わせさ。
 召集名簿に載ったんだ。
 もしもの場合は……。
 こんなオレでも最後に描いた絵っていうのは多少は価値が上がる。
女2 それ意味あるかな……。
 価値なんて。
男1 うん?
女2 この上にあなたの絵がたくさんあるの。
 私、掃除を頼まれたんだけど、どこを掃けばいいのか、どこを拭
 けばいいのかわからないくらい綺麗だったわ。

    女1、蜂蜜入りの瓶を持って現われる。

女1 ねえ、ちょっとこれ開けてくれない?
男1 なんだそれ。
女1 さっき買った蜂蜜よ。
 ちょっといいのを選んだの。

    男1、蜂蜜の瓶を受け取る。

男1 オレと同等の力があるって言ったのは誰だよ?
 お、硬いな。
女1 開いたら持ってきて。

    女1、去る。

女2 ねえ、贈ってあげたら?
 埋め合わせなんて言わないで。
男1 どう違うかな?
女2 全然違うと思う。
 東側の奥の壁が空いているの。
 素敵なペンダントライトが吊されていて……
 そこは埋め合わせの絵を飾るためじゃない気がする。

    沈黙。

女2 あれ。
 誰か来たんじゃない?

    女2、去るが、封筒を持って戻る。

女2 あなた宛だって。
男1 うん?
女2 宛名も差出人も書いてないけど……。
 メッセンジャーはあなたに直接渡すようにって言われたって。
男1 誰?
女2 見ていいの?
男1 ああ、読んでくれ。

    女2、開封して目を通す。

女2 あ、あの弁護士さんからよ。
 戦地からですって。
男1 なんだって?
女2 読むね。
 なにも告げずに軍に加わったこと、気がかりでなりませんでした。
 戦地にいる関係上、正規のルートでは伝えられないため、このよ
 うな形で送らせていただきました。
 お互いの名前を出さない無礼をご容赦ください。
 早速の本題ですが、私は現市長の不正に関する噂を耳にしました。
 もともと軍の幹部との繋がりに怪しい点があり、密かに証拠集め
 を進めていました。
 このたび一定の情報が揃ったことで、報道機関への独自のルート
 を介して当局に伝えました。
 内容についてはいずれ明らかになることですのでここには書きま
 せん。
 この手紙がお手元に届く頃には、すでに市長は失脚しているかも
 しれません。
 いま兵営地ではもっぱらその話題で持ちきりです。
 恐らく召集名簿は一新され、多くの兵士たちは除隊となり、あふ
 れかえっていた兵舎をあとに続々と帰還することになるでしょう。

    男1、苦戦していた瓶の蓋が開く。

男1 はは、やっと開いた。

    男1、立ち上がる。

女2 まだ続きがあるわ。
男1 ああ、でも、自分も帰ってくるっていうんだろう?
 よかったよな。
女2 うぅん。
 私は従軍し続けます。
 ただし国のために尽くしたいわけでも、手柄を立てて身を上げた
 いわけでもありません。
 特定の誰かのためでもありません。
 ではなんのために命を預けるのかと言えば、自身を犠牲にするこ
 とで罪悪感を清算したいというのが正直なところです。
 命を失っても悲しまれない人間が、精神のバランスをとるための
 必要行為かもしれません。
 いずれにしても自分との折り合いの問題です。
男1 折り合いの問題か……。
 それは尊重するしかない。
 戻るも残るも好きにするがいいさ。

    男1、瓶を持って去る。

女2 最近よく思い出します。
 靴磨きをして日銭を稼いでいた子供の頃のことを。
 仲間内では最年長のあなたが私たちにパンを食べさせてくれた
 ことを。
 マーマレードがたっぷりかかったパンをみんなで分け合って。
 仲間の一員として親切にしていただいたのに、なにも告げずに
 いなくなったことを長い間気にしていました。
 あの頃は自分の置かれた状況から抜け出すことばかりを考えて
 いたのです。
 偶然にも馴染みのお客の中に代議士の側近の人間がいて、その
 つてで代議士本人にも顔が繋がり、下男の一人に加えてもらい
 ました。
 鞄持ちや運転手をしながら学校に通わせてもらい、修士まで取
 ることが出来ました。
 私事ばかりを一方的に書き綴り申し訳ありません。
 でも、おかげで胸のつかえから解放されたような気がします。
 あなたと再会できた幸運に感謝いたします。

    男1、カップを持って現われる。

女2 あなた様のますますのご繁栄を祈っております。
 では……。

    女2、男1に手紙を渡す。

女2 あの人、挨拶に来たのに私にだけ告げて、あなたたちには
 言いそびれちゃったみたい。
男1 勇気づけてやったかい?
女2 うぅん、あんまりいいこと言えなかった。
 後悔してるわ。

    女1、ポットを持って現われ、二つの
    カップにコーヒーを注ぐ。

男1 ほら、たったいま届いたんだ。
 弁護士からの手紙。
 戦場からだって。
 どうりで姿を見ないはずだよ。
女1 でもすぐに戻るんでしょ?
男1 そうでもないらしい。
 まあ、人にはそれぞれの考えがある。
 尊重するしかないだろう。
女1 考えって?
男1 誰でも自分のことに精一杯で、他人を思いやる余裕がない
 ときもある。
 仕方ないさ。
 そう割り切れたはずが、あるときひょいっと葛藤が生まれたり
 する。
 分かる気もする。
 自分を嫌いになるのは辛いからな。
 いずれにしても折り合いの問題だ。
女1 折り合いね……。
女2 いい匂いがしてきた。
 そうだ、パンは四つに切るってどう?
女1 え、あとひとつは?
男1 ああ、あの弁護士を仲間に入れてやってもいいだろうな。

    女2、女1の去り際に声をかける。

女2 ねえ、パンにはマーマレードをかけてもらえない?
女1 ハチミツは苦手?
女2 そうじゃないけど、マーマレードがたっぷりかかったパン
 が食べたいの。
 なんだかとっても。
男1 せっかく蓋を開けたのに……。
 まあ、それも考えか。
 尊重しよう。
女1 じゃあどうぞご勝手に。
 わかるところにあるわ。
 好きなだけかけていいから。
 それとパンも切ってもらえるかしら?
女2 ええ、もちろん。
男1 ついでになにかかけてくれないか?
女2 かける?
男1 賑やかすぎず、寂しくもない。
 安らぐようなやつを。
女2 ああ、曲ね。
 探してみる。

    女2、去る。

女1 最後の絵って言ったけど……。
男1 ああ。
女1 もし本当に最後の絵になったとしたら……。 
 一枚や二枚じゃ全然足りないけどね。
 どのくらいの価値を見積もって言ったのかしらないけど。
男1 全然足りないか……。
 だとしたらカッコ悪すぎるな。
女1 すごく悪い。
男1 描くよ。
 農夫が畑を耕すように。
 鍛冶屋が鉄を打つように。
 オレもな。
 ほかに能がない。
 だったら描くさ。
女1 ずいぶん潔いこと言うのね。
男1 まずは埋め合わせからだ。
 地道にやればそんなにはかからないだろう。
 それが終わったら、その次は……。
女1 その次は……?
男1 ああ……。

    曲がかかる。
    二人、短く見つめ合う。
    ゆっくりと明りが絞られる。

    了


 
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