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作 遠藤悠
 



• スナック・店内(現在)(夜)
  ジャズピアノの旋律が流れる店内。
  店の大きなガラス窓から見えるのは夜
  の闇。
  カウンターの横に置かれた人の腰の高さ
  程のクリスマスツリーの電飾が点滅して
  いる。
  店内の明かりに照らされて白い大粒の雪
  が窓の外を舞っているのを浅沼啓介(67)
  はカウンターの中から無表情で見ている。
  店内に客は一人。
  窓に背を向けてカウンター前の椅子に腰
  掛け、ウィスキーの入ったグラスを煽る
  吉岡翔太(25)。
  翔太がウィスキーを飲み干したグラスを
  カウンターに置くと、グラスの中の大き
  めな氷同士がぶつかりカラン、と音を立
  てる。
浅沼「逃げるなよ」
  窓の外を見つめたままポツリと言う浅沼。
  氷のみ入ったグラスを掴んだまま俯いて
  いた翔太、怪訝そうな表情で浅沼を見上
  げる。
翔太「逃げる?」
浅沼「香澄ちゃん、今寒がってるんじゃない
 のか」
翔太「は?浅沼さん、何の話っすか?」
浅沼「手を、握ってやれよ翔太」
  浅沼、翔太を見る。
  翔太、溜め息を吐いて天井を見上げる。
翔太「(軽く笑いながら)ちょっと意味分かる 
 様に言って貰ってもいいっすか?」
浅沼「逃げたら俺と同じ様になるって言って
 るんだ」
翔太「何だよ・・・それ」
  意味が分からない、という渋い表情を浮
  かべる翔太。
  眉間に皺を寄せて浅沼を見る。
  浅沼、昔を懐かしむ様な目で翔太を見る。
浅沼「お前、山岳ベース事件って、知ってる
 か?」
  浅沼の右手が寒さを耐える様に小刻みに
  震える。

• 簡素な小屋の中(45年前)
  震える程強く握り合った男女の手。
  男の右手、女の左手。
  痩せ細った節が目立つ手は、切り傷や痣が至る所に見られる。
  小屋の隅に座った痩せ細り、薄汚れた服装の男女の陰に隠される様にして繋がれている手。
  男女の片方、痩せた髪の長い女、柏木美由希(23)が小屋の隅で震えながら体育座りをしている。
  美由希の落ち窪んだ右目は紫の痣で囲まれ、自らの足の先を一心に見ている。
  美由希の手を握っている男は若き日の浅沼啓介(23)。
  震える唇を動かし、美由希に何か言おうと口を開く。
  が、その瞬間に小屋の中にガタンッという物が倒れる大きな音が響き、啓介は身を竦ませ、前方に目を向ける。
  血の気が失せる程強く美由希の手を握る。
  小屋の中央では8人の男女が輪を作って立っており、その手には角材が握られている。
  男女の足の間から倒れた椅子と、椅子に縄で括り付けられた痛々しく痩せ細った切り傷だらけの手が覗く。
  椅子を取り囲んだ8人の中から一人の男、羽田が角材を振り上げる。
羽田「反省!! 」
  角材が振り下ろされ、肉を叩く鈍い音と
  男の呻き声が小屋に響く。
  羽田に続く様に反省! 反省! と叫び
  角材を繰り返し振り下ろす男女。
  呻き声は小さくなり、男が何かを吐き出
  した水音がすると、男女は角材を握る手
  を下し、肩で息をする。
羽田「・・・敗北死だ」
  角材を手にした男女が羽田を無言で見る。
羽田「安田は革命戦士になれなかった」
  3人が羽田の言葉に鼻で笑い、やっぱりな、安田は軟弱者だ、と呟く。
  他の5人は只管無言で羽田を見ているが、角材を握る手が震えている。
  無表情で小屋の中を見回す羽田。
  羽田の目が美由希を見て止まる。
羽田「今日の総括を終了する。柏木、今日は
 君が当番だ。片付けろ」
  羽田の言葉に息を吐いて角材を隅に纏め
  て置き、小屋から出て行く人々。
  ×    ×     ×
  薄暗い小屋の隅に固まって、体育座りを
  したまま安田の遺体を見つめる啓介と美
  由希。
  安田の吐いた血は酸化して黒くなってい
  る。
  美由希が立ち上がり、フラフラと安田の
  遺体に近付こうとするが、啓介は繋いだ
  手を引いて止めようとする。
  痣に囲まれた右目から涙を流している美
  由希が啓介を振り返り、首を振る。
美由希「安田さん・・・埋めてあげなきゃ」
  啓介、俯き膝の間に顔を埋めて啜り泣き
  始め、美由希の手を離す。

• スナック・店内(現在)(夜)
  握り締めた自分の老いた右手を見つめる現在の浅沼。
  唇を引き結んで浅沼を見つめる翔太。
  ジャズピアノの旋律だけが流れる。
浅沼「美由希は強かったよ。・・・俺よりずっ  
 と強かった。・・・でも、苦手なものがあっ
 たんだ。何か分かるか? 」
  目元を柔らかく細めて翔太を見る浅沼。
  翔太は強く目を瞑り、首を横に振る。
浅沼「寒いのが、苦手なんだよ。北国の出身
 なのに」

• 雪山(45年前)(夕)
  ボロボロの安田の遺体に素手で雪を被せる美由希。
  細い指先は赤くなり、小さく震えている。
啓介「美由希」
  啓介の声に振り向いた美由希が小さく白
  い息を吐き、笑う。
美由希「手、痛い」
啓介「ごめん」
美由希「ほら」
  差し出された美由希の赤い手を握る啓介。
啓介「ごめんな」
  震える声で言う啓介の涙を赤い指先で拭
  う美由希。
  二人から10メートル程離れた後方、角
  材を握り締めた女が険しい顔つきで二人
  を睨み付けている。
  啓介と美由希がキスしたのを確認して足
  早に小屋へと走り去る。

• スナック・店内(現在)
  翔太の前に置いたままのグラスで溶けかけた氷がカラン、と小さな音を立てる。
浅沼「香澄ちゃん、美由希と似てるよ」
  翔太は俯いてカウンターを見詰めたまま
  動かない。
  ぽつ、とカウンターに雫の落ちる音がす
  る。
浅沼「だから、幸せになって欲しい」
  ×     ×     ×
  真っ白な震える手が啓介に向けて伸ばさ
  れる。
  呆然と口を開けて立ち尽くす啓介。
美由希「逃げて・・・」
  美由希の腫れ上がった瞼から覗く裂け目
  の様な細い目から涙が流れる。
  所々切れた唇から弱弱しい呼吸と共に赤
  い涎が零れ落ちる。
美由希「にげて」
  啓介、息を飲み身を翻して雪道を駆け出
  す。
  ×     ×     ×
浅沼「逃げないでくれ」
  翔太が顔を上げ浅沼を見る。
浅沼「手が届かなくなってからじゃ遅いんだ」
  浅沼の頬を涙が伝う。
翔太「啓介さん・・・」
  俯き肩を震わせる浅沼。
浅沼「お前ならあの手を温められる。まだ間
 に合うんだよ」
翔太「・・・俺に、出来ると思いますか? 」
浅沼「(頷く)・・・香澄ちゃんはお前のこと、
 まだ好きだよ」
  ×     ×     ×
  東京駅のホームで悴んだ手に息を吹きか
  ける香澄。

• スナック・店内(2週間前)(夜)
  装飾のされていないクリスマスツリーが無造作に出入り口の脇に寝かせてある。
  現在翔太が座っているカウンターの席に座り、俯いて泣いている香澄。
  顔の前で合わせている香澄の両手は所々痣や傷が目立ち、左手の甲は大きなガーゼで覆われている。
  カウンターの中から痛ましそうに香澄を見つめる浅沼。
香澄「病院でね、翔ちゃん、凄く苦しそうだ
 った・・・私の、せいだ」
浅沼「違うだろ、そんな」
香澄「私がもっと気をつけてれば、もっと抵
 抗してたら」
浅沼「香澄ちゃんは悪くない」
  顔を上げる香澄、右目に眼帯、左の頬に
  は大きな紫の痣がある。
香澄「だって!警察の人にも言われたんで
 すっ、何であんな時間に一人で歩いてたん
 だって。警戒心が足りないって」
浅沼「そんなこと言われたのか?」
香澄「・・・翔ちゃん、悲しそうだった」
  手首の痣を撫でる香澄。
香澄「私が傷つけた」
  香澄の目から涙が溢れる。
  浅沼、両手を握りしめる。
香澄「こんな私は、翔ちゃんの側にいる資格
 なんて無いんです」
浅沼「そんな」
香澄「お母さんがね、帰ってきなさいって。
 だから私帰ります、青森」
  悲しそうに微笑む香澄。

• 東京駅・ホーム(現在)(夜)
  手の平を見つめて立ち尽くす香澄。
  無表情だった顔がくしゃりと歪み、涙が一粒右目から零れ落ちる。

• スナック・店内(現在)(夜)
  ピカピカと点滅するクリスマスツリー。
  カウンターに座り頭を抱える翔太。
翔太「もう逃げたんですよ、俺。病院で、あ
 いつから。・・・目を逸らしたんだ」
浅沼「・・・」
翔太「あいつボロボロなのに、ごめんねって
 言ったんです。・・・俺、怖くなって」
  ×     ×     ×
  病院のベッドに横たわる香澄。
  ガーゼや包帯で覆われた顔を病室の入り 
  口に立つ翔太に向けて、傷だらけの手を
  伸ばす香澄。
  泣きそうに顔を歪めて病室を出て行く翔
  太。
  悲しそうに手を下ろす香澄。
  ×     ×     ×
  カウンターの上で両手を握り締める翔太。
翔太「あれから、香澄の顔見られなくて。昨
 日メールが来て、あぁ、終わったんだなっ
 て」
浅沼「馬鹿野郎」
翔太「・・・だって、俺なんかが何言ってや
 れるんですか。分かんねぇよ」
浅沼「俺だって分からないよ。美由希に何も
 言えなかった。・・・でも、間に合うんだよ
 お前は。今走ればまだ手が届く」
翔太「・・・」
浅沼「何言うかなんて走りながら考えればい
 い。兎に角行けよ」
翔太「啓介さん」
浅沼「行け」
  翔太、急いで椅子から立ち上がり出入り
  口のドアノブを掴み浅沼を振り返る。
翔太「ありがとう」
  頷く浅沼。
  外に飛び出した翔太を見送り微笑む。
  ドアを閉めようとして外を見ると学生運  
  動に参加する前の姿の美由希がふくふく
  とした頬に笑みを浮かべて立っている。
浅沼「・・・美由希、ごめんな」
  笑って首を振る美由希。
  手を振り、夜の闇に消えていく。

• 東京駅・ホーム(夜)
  悴む手を擦り合わせている香澄、近付く雪を踏みしめる音に顔を向け、目を見開く。
翔太「香澄」
香澄「翔ちゃん」
  驚いていた香澄の表情が泣きそうに歪む。
  香澄のすぐ側まで歩み寄った翔太、悴む香澄の手を握る。
翔太「冷たい」
香澄「・・・うん。手、痛い」
  涙を流しながら笑う香澄を抱き締める翔
  太。
  電車がホームに近付き、アナウンスが流
  れる。

                  完


 
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