〈登場人物〉
初子(60)
丑島(47)
寅田(50)
卯咲(22)
辰川(55)
恵巳(38)
午藤(28)
未来(20)
申庄(30)
酉居(45)
戌塚(32)
亥狩(25)
声の出演(男性)
○第一場 プロローグ
暗闇、パソコンのキーボードを打つ音が聞こえる。
時計の音色が2時を伝える。
目を閉じた(盲人の)亥狩(25)が照明に浮かび上がる。
テーブルのパソコンへ向かい、脇には白い杖が立て掛けてある。
手を止めて溜め息――辺りの気配を窺う――大きく深呼吸……
亥狩「(光の精が)……うらうらと、うらうらと、舞う……きらきらと、きら
きらと微笑む……ちらちらと、ちらちらと遊ぶ……すらすらと……さら
さらと、その人は綴る……」
別のテーブルセットにいる初子(60)が照明に浮かび上がる。
橙色の便箋にペンを走らせている。
亥狩「(頭をゆっくり項垂れながら)……さらさらと、さらさらと……認める
……その人は……」
初子「――唖然としてしまいましたわ。これも、時代の流れ、時の動きという
ものなのでしょうか。いいえ、愚痴を零すほど老いてはおりません。…
…ただ、色づく秋に合わせ、寂しさも日々深く――」
壁際に立つ戌塚(32)が照明に浮かび上がる。
ペンを持ち、緑色の便箋に目を通している。
戌塚「――深く、自分を責め、深く後悔している。いつの何処へお前と戻れば
いいのだろうか? いや、心配をするな。心配はいらない。……でも、
自信がない。お前の顔を見た時――」
ソファにいる恵巳(38)が照明に浮かび上がる。
藍色の便箋にペンを走らせている。
恵巳「――顔を見た時、お互いに笑い出してしまったよね。その後、安心した
からか、一緒に泣き出して。覚えている? 今、思い出すと、あの頃が
眩しい。すべてが懐かしい――」
窓際の椅子にいる寅田(50)が照明に浮かび上がる。
紫色の便箋にペンを走らせている。
寅田「――懐かしいな。もしやり直せれば、親孝行の一つも出来るのに。……
いや、無理だな。俺はバカだ。自分勝手で怠け者で、弱虫。会わす顔が
ない。会いに行く勇気がない――」
カウンターにいる卯咲(22)が照明に浮かび上がる。
黄色の便箋にペンを走らせている。
卯咲「――勇気を出して挑戦だよ! そういうのって経験になると思うしね。
私なんか、元気しかないもん。あッ、元気? 私、風邪ひいた。3日も
寝込んだ。あぁ、前略? 拝啓だっけ?――」
初子「その後、いかがお過ごしでしょうか?」
戌塚「俺は、相変わらず各地を飛び回っている」
恵巳「そちらは、もう冬支度かもしれませんね」
寅田「季節の変わり目、温かくしてご静養下さい」
卯咲「いつも、何処にいても想っているよ」
初子「約束の日」
戌塚「その時は」
恵巳「あの頃のように」
寅田「笑顔で」
卯咲「会いたい」
亥狩「(頭を項垂れたままで)……会いたい……うらうらと舞い、きらきらと
微笑み、ちらちらと遊ぶ……(と、サングラスを掛けた顔を上げながら)
さらさらと綴るには、今は、ざらざらと突き刺さるような雑音ばかりが
多過ぎる……」
舞台全体が明るくなって行く。
○第二場 ホテル『Friar John』・ロビー
長い歴史を感じさせ、修理の跡や傷みが所々に目立つ。
ソファとテーブル、数席のテーブルセット、受け付けカウンター。
亥狩・初子・戌塚・恵巳・寅田・卯咲がいる場所は、そのままロビーの
各所になる。
亥狩はパソコンに向かい、初子・恵巳・卯咲は便箋に向かっている。
戌塚は便箋を破り、寅田は便箋を丸め、ゴミ箱へ捨てる。
従業員の申庄(30)が登場、辺りをさり気なく見渡しながら退場。
戌塚と寅田はそれぞれ席に着き、再び便箋に向かうが、思案に暮れる。
亥狩はパソコンを閉じ、便箋と赤色のアクリルシートを取り出す。
初子「(便箋を見たままで)卯咲ちゃん、まだかしら?」
卯咲「(便箋を見たままで)うぅん、何か難しくて」
初子「あら、難しかったの?」
卯咲「初めてだから、思うように上手く書けない。フフフ、照れるしね」
初子「淹れるでしょう? ……コーヒー」
卯咲「(初子を見て)あッ!?」
と、慌てて退場。
オーナーの辰川(55)と不動産会社の丑島(47)が談笑しながら登場。
丑島「――まぁ、外装は購入者の要望に応じてですね。出来れば、あのままの
雰囲気を残したいですけど」
辰川「そうして頂けると有り難いです。祖父の代からの洋館ですし」
丑島「私が子供の頃には、既に歴史的建造物のようでしたよ。シーズンオフは
お化け屋敷みたいで」
辰川「(愛想笑いをしながら)一応、私達住んでいるんですが」
丑島「(便箋に向かう客達に気付いて)あれ? 何か新しい商売でも?」
辰川「いいえ。初子さんがこちらで手紙を書かれていましたら、いつの間にか
自然にお客様も」
卯咲が再登場。
卯咲「ごめんなさい、初子さん。コーヒーメーカーのスイッチね、入れるのを
忘れていた」
初子「構わないわよ。そろそろお暇をしないと。雲行きがまた怪しいわ」
卯咲「(窓の外を窺って)何か、ハッキリしませんよね。グズグズ続きで」
戌塚「今夜から降るそうですよ。豪雨を伴う雨雲が接近しているようです」
辰川「(窓の外を窺って)台風にならなければ良いですがね」
申庄が再登場し、辺りをさり気なく見渡す。
恵巳「大丈夫なんでしょうね? 接近したり上陸したりしても」
丑島「これでも、ここの造りは結構シッカリしていますよ」
辰川「島の私共は台風にも慣れておりますので、ご安心下さい。(と、申庄に
近付いて)申庄君、どうした?」
申庄「……」
丑島「辰川さん、とりあえず外装はいいんですけど、さっき見たボイラー室と
自家発電室は何とかして頂かないと。島の自家発電はどうしています?」
辰川「引いていません。ウチの発電機は父の自慢でしたからそのままで。――
申庄君、何?」
丑島「地下水は? 水位がかなり上がっているでしょう? 雨続きで」
申庄「アマリリス、消えました」
辰川「えぇ!? いつ?(と、辺りを見渡す)」
卯咲「(辰川と申庄に)何か?」
辰川「(辺りを見渡しながら)いや、アマリリスがね」
卯咲「えッ、嘘!?(と、辺りを見渡す)」
丑島「何ですか? アマリリスって」
戌塚「夏の初めに花が咲くヒガンバナ科の多年草でしょう?」
寅田「おッ、流石に詳しいな。写真屋の兄ちゃん」
戌塚「カメラマンですよ。以前、アマリリスを撮影したことが――」
辰川「いいえ、リスなんです。ネズミ目リス科の。すみません」
丑島「申庄君、リスを飼っているの?」
初子「似合わないわね」
恵巳「アマリリスなんて可愛い名前で――」
申庄「アマリリスは、余り物を食べるリスです」
寅田「……えぇーと、余り物とリスで、アマリ、リス。成程、上手いね」
申庄「はい、美味いです。余り物でも僕が作った料理です。おぉー!」
と、床を走るリスの影を追って退場。
辰川「だから、飼っている小屋に鍵を掛けてって言ったんです」
と、後を追って退場。
丑島「チョッ、チョッと。そこら辺をかじられると困るんだけどなぁ」
と、後を追って退場。
卯咲「お騒がせしてすみません(と、会釈)」
初子「久し振りに賑やか。……もうすぐね」
卯咲「えッ? あぁ、はい。あと1ヵ月チョッとになっちゃいました」
寅田「何? 何の話? 仲居さん」
卯咲「仲居さんって…… ここ、閉館するんです。今シーズン限りで」
戌塚「休館じゃなくて、閉館? あぁ、そう。安い絶好のホテルを見付けたと
思ったのに、残念だな」
卯咲「港の近くにも、宿泊施設は何軒かありますよ」
戌塚「いや。撮影の移動のことを考えると、自然の中の方が」
恵巳「私も、また来年、家族で伺おうかと思っていたんですけどね」
寅田「家族で来るなら、港に近い宿の方が便利だろう? メシ屋やコンビニも
あったし。(亥狩に)そっちの兄ちゃんなんか特に。ホラ、目がさ」
卯咲「亥狩さんは常連さんなんで、ここへ来るのも慣れているんです。時々、
自然の中で英気を養った方が、詩人さん的にはいいんですよね?」
寅田「へぇ、詩人? 有名なの?」
亥狩「どうでしょうか。でも、有名なんて言葉は、福寿草の黄色い花の上に、
チョコンと乗っかっている白い雪と同じようなものです」
初子「あら、怖い」
亥狩「(苦笑して)褒め言葉も雪も、いつの間にか消えてなくなるものです」
寅田「ほぉ、成程。落語の謎掛けみてぇだな」
初子「福寿草ね。ご存じでしょう? あれは食べると毒。毒草よ。では、失礼
します。(と、出口へと向かって、卯咲に)最終便のお客様よ」
と、少し足を引き摺りながら退場。
寅田「(卯咲に)あの人、近所? いつからここで手紙を書いてんの?」
卯咲「いつからでしたかね。普段は家で機織りの仕事をしているんですけど、
最近は毎日来ていますよ。一人暮らしでつまらないんじゃないですか」
キャリーバッグを引いて未来(20)が登場、カウンターへ向かう。
卯咲「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
卯咲が差し出す宿帳に、未来は記帳する。
亥狩「――ここで書いている理由はあると思いますよ」
寅田「理由? 何? 誰に書いてんの?」
亥狩「それは、他人の個人的なことです。寅田さんはどなたに?」
寅田「俺のことは、どうでもいいよ……(未来を見て)姉ちゃん、学生?」
未来「(無視)」
寅田「おッ、訳ありか? 失恋でもした? ダメだよ、変なことを考えちゃ。
今の世の中、いいことなんて何もねぇし、夢や希望なんて、屁のおかず
にもならねぇんだからさ。……あれ? 逆だな」
非常ベルが鳴り響く。
申庄・辰川・丑島が小走りに再登場。
丑島「今度は何です?」
辰川「申庄君、厨房は大丈夫だね? お客様、お煙草の消し忘れは? (と、
未来に気付いて)あれッ、未来ちゃん? いらっしゃいッ! いやぁ、
すっかり大きくなっちゃって、綺麗になったね」
未来「どぉも(と、軽く会釈)」
酉居(45)が登場。
卯咲「これ、またアマリリスの悪戯じゃないんですか?」
丑島「またって、前にも?」
酉居「何かあったんですか?」
辰川「(丑島に)ええ、まぁ。確かではないんですが、以前逃げた時もこんな
風に非常ベルが鳴りまして――」
非常ベルが鳴り止む。
辰川「――こんな具合に、何の異常もなく止まりました。すみません」
丑島「(溜め息を吐いて)これも、何とかして頂かないと困りますね」
申庄「おぉ!(と、リスの位置を指差す)」
申庄が動き回るリスを指で追う。
亥狩を除く全員が、その指し示す先を目で追う。
未来「……(辰川に)おじさん、私の部屋は?」
辰川「あぁ。(と、卯咲から鍵を受け取って)いつもの2階の一番奥で」
と、未来に鍵を手渡す。
戌塚「降り出す前に、夕景を撮って来ます」
卯咲「戌塚さん、お夕食は7時からですよ」
戌塚が退場。
申庄「おぉー、アマリリス!」
と、リスの影を指差しながら追って退場。
辰川「卯咲ちゃんも、捕まえて!」
と、後を追って退場。
卯咲「えぇーッ、私もですか?」
丑島「(客達に)すみません。宜しければ、ご協力を」
寅田「おッ、リス狩りか。ネズミ捕りとか猟銃とかはねぇの?」
卯咲・丑島・寅田・恵巳が、後を追って退場。
未来「ウサギがリスを追っ掛けている。ここ、いつから動物園になったのよ?
(と、スマートフォンを取り出して)ゲッ、アンテナ一本」
と、キャリーバッグを引いて退場。
亥狩はパソコンカバンを提げ、杖をついて退場。
酉居「(人々の行方を目で追って)……蚊帳の外か……」
退場しようとするが、立ち止まる。
咳払いをして振り向き、辺りをゆっくりと見渡す。
酉居「(苦笑して)『咳をしても一人』……」
と、退場。
× × ×
舞台全体が徐々に夕闇に包まれて行く。
秋の虫達の鳴き声が微かに聞こえる。
未来がスマートフォンの液晶画面を見ながら登場。
カウンターの脇にある椅子に座り、スマートフォンを操作する。
午藤の声「ご免下さい。――午藤でございます。遅くにすみませんです」
リサイクルショップの午藤(28)が低姿勢で登場。
午藤「(未来に気付いて)あ、今晩は。(と、会釈して)辰川さん、オーナー
さんは、どちらに――?」
未来「奥じゃないですか」
午藤「左様でございますか。ありがとうございます」
と、低姿勢のまま退場。
酉居がやや小走りに登場し、ソファのテーブルの方へ行く。
探すように辺りを見渡す。
酉居「(未来に)あのぉ、夕刊は?」
未来「(無視)」
酉居「――(独り言で)チッ、まだか。っていうか、今日は届くのか?」
未来「(液晶画面を見たままで)その辺りになければ、カウンターの中です」
酉居はカウンターへ向かい、内側を覗く。
未来「(液晶画面を見たままで)そこにもなければ――」
酉居「ありました。(と、夕刊を取り出して)どぉも」
未来「(液晶画面を見たまま独り言で)私は従業員か!?って」
酉居は夕刊をめくりながら、ソファに座る。
杖をつく亥狩、恵巳と寅田が、談笑しながら登場。
寅田「いやいや。俺、字はヘタだけど、性格の地はベター、なんだ。ハハハ」
恵巳「それなら、そのベターな性格のままで書けば宜しいじゃありませんか。
亥狩さんの仰る通り、照れたり格好付けたりしないで、思うまま素直に」
寅田「それが上手く出来ねぇんだよ」
亥狩「パソコンを貸しましょうか? 下書きも漢字の変換も出来ますから」
亥狩・恵巳・寅田は、談笑しながらそれぞれの席に座る。
辰川・卯咲・低姿勢な午藤が、話しながら登場。
辰川「ほぉ、あの漢詩を返還したのですか。所有権を巡って、代々寺と揉めて
いましたのに」
卯咲「面倒なんですよ。身軽になって、島から出て行きたいんでしょう?」
午藤「仰る通りのようでございます、はい。家財道具一切を任された手前共と
致しましても、提携させて頂いております都会のショップ様の方へ転売
することが出来ますので、それはそれでメリットもございます、はい」
辰川・卯咲・午藤は、カウンターで見積書を広げる。
恵巳「デメリットとかはないんですか? 専用のソフトがあって、点字もパソ
コンで入力出来るなんて初めて聞きましたけど」
亥狩「漢字の読み方は誤った変換もありますね。でも、操作自体は簡単です」
辰川「操作は少々厄介ですが、ウチの自家発電機はいかがですか? 年代物で
すので、もし使えなくても部屋のインテリアとかに」
午藤「はぃ? ……前向きに検討させて頂きます。インテリアですか……」
寅田「インテリじゃねぇ俺でも、あれなら下手な字を書かなくて済むわけだ」
卯咲「あれをですか? 下手をすると、余計にお金を取られますよ」
亥狩「下手でも、僕は自分で文字を書いてみたいです……」
秋の虫達の鳴き声が響き渡る。
辰川が客達のいるロビーを見渡す。
辰川「おや、失礼しました。みなさんお揃いでしたか。夕食の準備はもうすぐ
整いますが……丁度いいですね。時間をお借りして、少々話しをさせて
頂きます。既にご存知の方もいらっしゃいますが、私の祖父が創業した
当ホテルは、今シーズンをもちまして閉館させて頂くことになりました」
寅田「おぉ、そうらしいですね。やっぱり経営難とか?」
辰川「ええ。長引く不況に加え、観光客の趣味や娯楽の多様化とでも言うんで
しょうか。マリンスポーツをやられる方はいらっしゃっても、何もない
山の自然を楽しむという方は少なくなりました。同じ島でも、港周辺の
地域とこの山間部とでは格差がございます」
(撮影から帰って来た)戌塚が登場し、席に座る。
辰川「この辺りの島は何処も似たような感じですが、特にここ媒島(なこうど
じま)は、他の島と比べ観光資源がありません。婿島と嫁島の間にある
縁結びの島として人気だった頃もありましたが…… ホテル名の『Fr
iar John』も、元々は人と人との縁を結びたいという願いから
でした」
亥狩「シェークスピアの『ロミオとジュリエット』ですね」
辰川「流石に亥狩さん、よくご存知で」
亥狩「確かこんな話でしたね。ローレンス神父は、ジュリエットを仮死状態に
する計画を立て、それを追放されたロミオに手紙で知らせようとした。
その手紙を預かった人物が、Friar John、修道僧のジョン。
ところが、届けることが出来ずに、ロミオとジュリエットは擦れ違いの
まま悲しい運命を辿った。大切な手紙を届けられなかったFriar
John……」
恵巳「その果たせなかった役目のようなものを、こちらのホテルで? 名前に
そんな由来があったんですか」
卯咲「私、叔父さんのお爺さんの名前がジョンで、揚げ物とか何かのフライが
好きだったんだって思っていました」
寅田「フライ好きなジョン爺さん? 日本人でジョンって、犬の名前じゃねぇ
んだからさ。俺なんか、元々ホテルの名前なんて読めなかったよ」
辰川「実は、今回みなさんをご招待させて頂いたことにも理由がございます」
寅田「えッ? 俺は招待なんて」
戌塚「俺も違いますよ」
辰川「すみません。寅田様と戌塚様以外は、可能性の高い方として招待させて
頂いたお客様です」
酉居「可能性? 何のことです?」
辰川「2年ほど前から、手紙が届いております。春に一通、夏に一通と、季節
ごとに。宛て先が当ホテルになっておりましたので、開封致しましたが、
手紙を読んでみても、私や従業員には心当たりがありません。差出人の
名前がなく、その方の住所も不明です」
恵巳「イヤだ。何かのミステリーみたいですね」
寅田「『媒島の謎! 老舗旅館殺人事件!!』とかか?」
卯咲「誰も死んでいません」
辰川「苦情や嫌がらせではありませんし、急を要する内容でもなかったので、
そのままにしておりましたが、いざ閉館の時が迫って参りますと、本当
の宛て先の方へ、手紙を渡さなくてはならないと思いましてね。幾度か
ご利用頂きましたお客様を、ご招待した次第です」
酉居「この中にその人物がいるんですか?」
辰川「分かりません。しかし、今回が最後の招待客のみなさんです」
全員がそれぞれに顔を見合わせる。
亥狩「Friar Johnの、最後の配達ですね」
エプロン姿の申庄が登場。
申庄「お夕食の準備が整いました」
暗転。
○第三場 同・廊下(深夜)
カエルの鳴き声が聞こえる。
微かな照明の下、亡霊のように佇む酉居が浮かび上がる。
彷徨うようにゆっくりと行き来する。
恵巳が登場。
恵巳「(酉居に気付いて)わぉッ! ……今晩は」
酉居「(バツが悪そうに会釈する)」
恵巳と酉居が擦れ違う。
恵巳「(立ち止まり、振り向いて)……あのぉ、大丈夫ですか?」
酉居「(振り向かずに)……何がですか?」
恵巳「いいえ、何となく……」
酉居はゆっくりと退場し、恵巳も他方へ退場。
× × ×
カエルの鳴き声が激しい雨音へと変わる。
恵巳が再登場。
恵巳「(前方を見て)わぉッ!」
下着姿の寅田が登場。
寅田「どぉも、奥さん。小便?」
恵巳「えッ、まぁ……」
寅田「暑くねぇ? 俺の部屋のクーラー、壊れているみてぇでさ。全然涼しく
ならねぇんだよ。(と、下着の裾をパラパラとめくって)見て、この汗」
恵巳「……操作、間違っていません?」
寅田「それはねぇな。ああいう装置の使い方は慣れているから」
恵巳「そうですか。閉館前ですから、メンテナンスの方がね。節電とか――」
寅田「キャッ!(と、手で胸と股間を隠し、恵巳に擦り寄って)イヤッ!」
恵巳「(硬直して)わぉッ、いけません! いけませんわ!!」
申庄が懐中電灯で床を照らしながら登場。
申庄「(床を見ながら)お騒がせ様です」
寅田「……何? アマリリス?」
申庄「(恵巳と寅田を懐中電灯で照らして)この件は、秘密に」
と、懐中電灯で床を照らしながら退場。
寅田「(恵巳から離れて)うわぁ、暑いなぁ、暑い。雨漏りは大丈夫か?」
恵巳「(気まずそうに)お休みなさい」
恵巳が小走りに退場、寅田は裾をパラパラとめくりながら他方へ退場。
激しい雨音の中、暗転。
○第四場 同・ロビー
暗闇、卯咲と丑島の話す声が聞こえて来る。
卯咲の声「変だなぁって思ったんですよ。閉館が決まって、何故かお客さんが
急に増えたから、ホテルも閉店セール――在庫一斉処分市? ン?
駆け込み寺だっけ? みたいなのがあるのかなぁって」
丑島の声「駆け込み需要って言いたいの? 有名な老舗ホテルなら、そういう
ことがあるかもしれないな。その謎の手紙、何通届いている?」
照明が点くと、カウンターには丑島と便箋に向かう卯咲がいる。
それぞれの席では、亥狩がアクリルシートを指でなぞり、恵巳と戌塚は
便箋に向かっている。
卯咲「さぁ、何通なんでしょう?」
丑島「差出人は男? 女?」
卯咲「さぁ、どっちなんでしょう?」
丑島「卯咲ちゃんや申庄君の関係者じゃないわけだ」
卯咲「私は、親戚のコネで働き始めてまだ2年も経っていないし、申庄さんは
別れた奥さんから養育費の催促が偶に届くだけですもん。今までは招待
したお客さん一人ひとりに確認していたらしいんですけど、叔父さんも
面倒で、諦めモードになっちゃったんですかね。一挙大公開なんて」
初子が登場。
卯咲「おはようございます」
初子「おはよう、卯咲ちゃん。(客達に)みなさん、おはようございます」
と、席に着く。
亥狩・恵巳・戌塚「おはようございます」
卯咲「初子さん、知っていました? ホテルに届いている変な手紙のこと」
初子「……変な手紙?」
卯咲「季節ごとに一通ずつ届いて、差出人やその人の住所が分からなくて、誰
宛てなのかも分からないんですけどね。あッ、でも、その人はこの島の
このホテルのことを知っているんだ」
初子「そう……(と、手紙セットを取り出して)妙な話ね」
丑島「(卯咲に小声で)初子さん宛てってことはないか? この近所だろう?
直に宛て先を書けない理由か何かがあってさ」
卯咲「理由か何かって何です? 一人暮らしなのに」
丑島「(小声で)だから、訳ありっていうか――」
初子「丑島さん、最近の不動産屋さんは大変なのね。油を売ったり、興信所の
真似事をしたり」
丑島「いやいや、下見ですよ。昨日の夜は大雨でしたし、夜中に地震もあった
でしょう? 物件の担当者としては、問題がないかを調べないと」
初子「あら、それはご苦労様ね。その大雨と地震の所為で、鉄塔の建っている
辺りの地盤が緩んでいるんですって?」
丑島「えッ、そうなんですか?」
と、携帯電話を取り出して片隅へ行く。
スマートフォンでメールを打つ未来と、未来に話し掛ける寅田が登場。
寅田「――俺より年下!? ってことは、俺の娘でも可笑しくねぇのか」
未来「(メールを打ちながら)違いますけど」
寅田「いや、俺にも、姉ちゃんぐれぇの娘がいて可笑しくねぇってことだよ。
で、最近はどう? それ、メールってヤツ? 楽しい?」
未来「(メールを打ちながら)まぁ」
と、席に着く。
寅田「それだったら、ペンだこが出来ねぇからいいやな」
未来「ペンタゴン?」
寅田「ペンタ? 最近はそう言うのか?」
戌塚「ペンタゴンはアメリカの国防総省。寅田さんの言っているペンだこは、
指に出来るタコのことでしょう?」
未来「あぁ、聞いたことはあります(と、液晶画面に目を戻す)」
恵巳「最近の子はペンだこが出来るほど字を書きませんよ」
寅田「あぁ、何でもソレだもんな。付録やら炙りやら、川下りやら?」
戌塚「ブログ、アプリ、ライン。わざと間違えているでしょう」
寅田「へぇ、そう言うのか? おッ、詩人の兄ちゃん、それか。字の型を一つ
一つくり抜いてもらっていう手作りの文字シート」
丑島「(携帯電話を切って)確かに、斜面が危ないようですけど、大丈夫じゃ
ないですかね」
工具箱を持った申庄が登場、壁の小さな傷みを修理し始める。
寅田「よぉ、従業員の兄ちゃん、捕まえた? あの、アマリ――」
申庄「(寅田に小走りに駆け寄って)その件は、秘密に」
丑島「ところで、チョッとお伺いしたいんですけど、みなさん、どうしてこの
ロビーで手紙を書かれているんですか?」
初子・亥狩・恵巳・戌塚・卯咲「……」
寅田「……ノリってヤツ?」
戌塚「今書いていないじゃないですか。(丑島に)何となくです。理由なんて」
恵巳「ええ、特には。書くって大袈裟なことではなくて、久し振りに手紙でも
書いてみようっていう、雰囲気を楽しんでいるような感じ」
亥狩「いつもとは違う時間、ですかね」
初子「集中してキッチリと書きたいのなら、自分の狭い部屋にいるでしょうね。
でも、広いここなら、心が解放されて、白紙の便箋に向かい、相手への
想いを自由に巡らせ、あれこれ想像する時間がゆっくりと流れて行く。
贅沢な暇潰しね」
丑島「はぁ、暇潰しですか」
辰川が手紙の束(9通)を持って登場。
辰川「お待たせしてすみません。これが、昨日お話しした手紙です」
丑島・寅田「おぉ。(と、辰川に近付いて)どれどれ」
卯咲「お二人は関係ないでしょう!」
辰川はソファのテーブル上に手紙の束を置く。
恵巳「多分、私も無関係だと思いますよ」
寅田「(一通を手に取って)本当だ。宛て先はフライが好きなジョン爺さん」
卯咲「寅田さん!」
丑島「ジョン爺さんって、誰?」
卯咲「誰でもありません!」
恵巳「あれ? 投函された場所はいろいろなんですね。これは奈良の吉野で、
これが北海道の札幌」
辰川「手紙の中にも、いろんな地名が書かれていました」
卯咲「いいんですか? みんなで勝手に読んじゃって」
辰川「ホテル宛てで届いた手紙ですから、構わないでしょう?」
酉居が朝刊を持って登場。
酉居「新聞、ありがとうございました。(と、手紙を見て)それですか。昨日
言っていた例の手紙」
卯咲「酉居さんは、ご招待のチャンとした関係者ですから、どうぞ」
酉居「いいえ、私は……」
辰川「(酉居に一通を手渡して)ご協力、宜しくお願いします」
丑島「癖のない綺麗な字ですね。女性でしょうか?」
寅田「いやぁ、ウチの現場監督だって上手くて達筆だぞ。これ、自分のことを
俺とか僕とかって書いてねぇのか?」
辰川「確か、『私』でした。手紙の相手のことは、『あなた』と平仮名です」
寅田「私とあなたじゃ、どっちが男か女か分からねぇな。男同士、女同士って
こともあるか?」
午藤が低姿勢で登場。
午藤「ご免下さい。お邪魔致します。回収のついでに、寄らせて頂きました」
丑島「よぉ。回収ってここ?」
午藤「こんにちは。いいえ、この上のお屋敷です。雨がまた降り出す前にと、
はい。それに、謎の手紙のお話も伺っていたものですから」
丑島「へぇ、興味があるのは子作りだけじゃなかったのか」
午藤「変な言い方をしないで下さい。(と、手紙を見て)おぉ、和紙ですね。
しかも、薄く滑らかに仕上げられている手漉きの和紙。私、妻が和紙の
教室を開いているものですから、少々詳しいです、はい」
丑島「あぁ、出産の前と後で同じ体形の奥さんか」
午藤「変な言い方をしないで下さい。もうすぐ5人目が生まれます、はい」
卯咲「他にも何か分かります?」
午藤「はい。――上手に作られています」
丑島「……それだけか?」
午藤「……はい」
寅田「成程、夜間工事しか期待出来ねぇタイプなんだな。ご苦労」
午藤「変な言い方をしないで下さい」
戌塚「――奈良の消印は4月の上旬ですか?」
辰川「(手紙を見て)はい。今年の4月7日ですね」
戌塚「北海道は、2月の5日から10日頃の間?」
辰川「(手紙を見て)えぇー、はい。2月9日です」
初子「そう。春夏秋冬、四季折々なのね」
亥狩「流石、自然を撮るカメラマンさんです」
卯咲「凄い! 何で分かったんですか? 何で何で?」
戌塚「それ、多分旅先からの手紙ですよ。奈良の吉野山は桜の名所、北海道の
札幌は雪祭り。季節ごとに美しい風景や祭事の場所へ行っているんじゃ
ないですか?(と、自分の便箋を破る)」
恵巳「(手紙を見て)そう言われれば、7月の京都の東山って祇園祭ですね。
10月の栃木の日光市は、そう、紅葉ですもの」
丑島「となると、謎の差出人は時間と金に余裕のある人物」
寅田「旅人か放浪者か、洒落たホームレスか?」
辰川「(恵巳・亥狩・酉居・未来に)そういう方に心当たりはありませんか?
ご家族の方でも」
恵巳・亥狩・酉居・未来「……」
酉居「……私はまったく」
恵巳「私もです。手紙を頻繁に書く習慣のある方に覚えはありません。主人も
筆不精ですし、高校生と中学生の子供達はメールですから」
卯咲「ですよね」
停電(舞台全体がやや暗くなる)。
丑島「(天井を見上げて)ここ節電しているんですか?」
辰川「いいえ。ブレイカーが落ちましたかね?」
と、退場。
戌塚「昨夜の落雷の影響じゃないんですか?」
酉居「それ以前のここの設備の問題かもしれませんよ」
卯咲「あッ!?」
と、慌てて退場。
寅田「あぁ、部屋のクーラーも調子が可笑しかったな。可笑しいって言えば、
俺にはよく分からねぇんだけどよ。これ、何でわざわざ手紙なんだ?
観光地から出しているんなら、普通、名所の絵葉書だろう?」
午藤「上手に作れた手漉きの和紙を使いたかったんですよ」
寅田「なら、一緒に写真も入れるだろう。こんな感じの景色だっていう写真」
初子「それは、つまらないわね」
寅田「つまらねぇ?」
初子「そういう素人の写真はお決まりの構図、一方的に押し付けられる景色に
なってしまうでしょう? 文字や文脈、手紙の息遣いから、自分なりに
その発信地の情景を想像することも、受け取った人の楽しみの一つでは
ありません?」
寅田「はぁ、それ、楽しいんですか。詩人の兄ちゃんもそういうもん?」
亥狩「どうでしょうか。僕の場合は視力があった頃のイメージがありますが、
先天性の方は、その想像の基になる記憶がありませんからね。それに、
写真を同封されても困ります。もっとも、点字ではない文字が書かれた
手紙は、盲人には殆ど届きませんよ」
卯咲が再登場。
卯咲「ごめんなさい、初子さん。コーヒーメーカーのスイッチね、入らない。
何か、停電かもしれない」
初子「あら、それは大変ね」
丑島「また問題発生ですか? 困るんだけどなぁ」
と、退場。
卯咲「あ、洗濯の途中!」
申庄「あ、冷蔵庫!」
卯咲と申庄が退場。
一瞬、元の明るさに戻るが、再びやや暗くなる。
未来「(液晶画面を見たままで)――あのぉ、犯人捜しみたいなことを、まだ
続けるんですか? 折角の招待だから、家族を代表して来ましたけど、
天気が悪くて外出出来ないし、ホテルの中もこんな風に空気が重いと、
どんどん気分が暗くなっちゃうんですけど」
酉居「ええ。こんなこと、意味がないです。見ず知らずの宿泊客が集まって、
訳の分からない手紙のことをあれこれと考えるなんて。手紙の宛て先の
人物、この中にはいませんよ」
戌塚「俺は無関係ですけど、確かに該当者がいるような感じじゃないですね。
大体、ホテル宛てで名前も書かれていないっていうことは、何か特別な
理由でもあるんでしょう。(と、自分の便箋を破る)」
未来「(液晶画面を見たままで)――手紙って、微妙ですよね」
亥狩を除く全員が未来の方を向く。
未来「(視線に気付いて)あ、すみません」
初子「微妙?」
未来「(液晶画面を見たままで)スマフォやパソコンは、送られて来たら送信
者のメアドが分かりますけど、名前のない手紙って、一方的な脅迫状み
たいなものでしょ。着信拒否も出来ないし」
亥狩「君は、自分から手紙を書くことは――」
未来「ないですよ。書く必要がありません。ウチの家族は、誰も暑中見舞いや
年賀状も書かないし。紙に書くのって、面倒じゃないですか?」
寅田「まぁ、俺も、今までの人生で一度も手紙なんて書いたことはねぇな」
戌塚「ある程度の文章力がないと、書き続けることは難しいですよね。改めて
そう思いました。メールは用件だけの短い文章で済むのに」
恵巳「私は、手紙には手紙の良さがあると思いますけど……」
酉居「でも、手書きは誤字や脱字があると、常識、学力や注意力、性格までも
疑われます。少しのミスも許されませんよ」
午藤「著名人の手紙なら、ミスはミスで貴重な資料にもなります、はぃ……」
丑島の声「あれを稼働させるんですか?」
辰川・丑島・申庄・卯咲が、再登場。
丑島「使えます?」
辰川「分かりません。でも、島の自家発電を引いていませんから」
卯咲「昼間で良かったですね」
辰川「夜だったら、ロウソクを並べるようでした」
丑島「止めて下さいよ。火事にでもなったら、危ない危ない」
午藤「自家発電機ですか? 宜しければ、私も拝見させて下さい」
辰川「ええ、勿論。父の自慢の発電機です。悪い物ではないと思いますよ」
辰川・丑島・申庄・午藤が、退場。
卯咲「お騒がせしてすみません(と、会釈)」
初子「賑やかね」
未来「(液晶画面を見たままで)自販機、使えます?」
卯咲「えッ? あれも、電気で動いているから――」
未来「(液晶画面を見たままで)ダメでも、開ける鍵の場所を知っているんで」
と、退場。
卯咲「うわーッ、子供の頃からの常連客だと、ああいう風になるんだぁ」
戌塚「――寅田さん。手紙を書くのを諦めたみたいですけど、誰に書いていた
んですか?」
寅田「諦めたわけじゃねぇよ。自分の字に嫌気が差して、チョッと一休みして
いるだけ。あれ? それ、他人の個人的なことじゃなかったっけ?」
申庄が登場し、工具箱を持って退場。
戌塚「……俺、弟に書いていて。でも、何をどんな風に書いたら言いたいこと
が伝わるのか、文章力がなくて書き直してばかりなんですよね……」
寅田「あぁ、そう……まぁ、親兄弟には書き辛ぇやな……」
卯咲「そうそう、何か照れ臭いんですよね。私はギリシャで料理修行中の彼に
書いているんですけど、『何書いてんねん!』って突っ込まれそうで」
恵巳「相手が誰でも、手紙を書くには少し覚悟のようなものが必要ですよね。
突然じゃ、相手は戸惑うし、たった一通じゃ、過ぎた時間は埋まらない。
……私は、故郷の北海道にいる幼馴染みへ書いています。子供の頃は、
仲良しだったのに、もう20年以上も会っていません」
寅田「詩人の兄ちゃんは? 手作りのシートまで用意して誰に――あッ、また
注意されるな。失敬」
亥狩「……僕は、ファンレターです。ラジオ番組の女性パーソナリティーへ。
点字や印字、代筆ではなく、自分で書いた文字の手紙を。目に見える、
形として残る手紙を…… 初子さんがこの場所で書いているのも、何か
特別な理由があるのでしょう?」
初子「私?……私は、ここの陽だまりの中でただ夢を見ているだけ。夢の中に
いるだけよ。うらうらとした陽射し、きらきらと輝く光の粒が、ちらち
らと降り注ぐ――暇潰しの時間――今日のような曇り空は、陽だまりも
なくて、さらさらとは認められないわね」
卯咲「あまり期待の出来ない自家発電機、チョッと見て来ますね」
と、退場。
酉居「もう、充分でしょう。これ以上、無責任な手紙に関わるのは」
恵巳「本当に、心当たりのある方はいません?」
酉居「常連と言われても、私はたった2回です。殆ど縁のないホテルへ宛てて、
こんな手間の掛かることをする知人なんていませんよ」
亥狩「僕の場合は、差出人が知り合いなら点字のはずです。普通の手紙では、
自分一人で読むことが出来ません」
恵巳「私も、思い当たらないんですけどね……」
寅田「結局、該当者ナシか」
酉居「先程も言ったように、ここにいる人間以外なんですよ」
初子「……もしかしたら、誰にも宛てていない手紙、誰にでも宛てた手紙かも
しれないわね」
寅田「何ですか? それ」
辰川・午藤・携帯電話で話し中の丑島が、再登場。
辰川「バタバタしてしまいすみません。今、発電機を修理・点検しております
ので、ご不便をお掛けしますが、しばらくお待ち下さい」
午藤「リサイクルするにも無理のある年代物です。直せますかどうか……」
紙パックの飲み物を持った未来が、液晶画面を見ながら再登場。
未来「(液晶画面を見たままで)あッ、マジ? 電池切れ」
寅田「っていうと、本当に停電なのか? 島全体?」
辰川「はぁ、それは……」
丑島「(携帯電話を切って)ダメ、通行止めになりました。初子さんがさっき
言っていた鉄塔の建っている上の方で、地滑りが起きて。道路は封鎖、
斜面が人工林をそのまま押し流して電線を切って、この山間部は停電に
なっています」
恵巳「(立ち上がって)大丈夫なんですか!? この辺りは? 地盤は?」
丑島「同じ山でも地質が異なりますし、開発の進み具合も違いますから」
未来「充電出来ないじゃん」
戌塚・酉居・恵巳・亥狩・午藤が、一斉にスマートフォンや携帯電話を
取り出す。
寅田「な、何だよ!? みんな持っているのか?」
戌塚「仕事用です」
恵巳「あら、やっぱり電波が弱い」
寅田「詩人の兄ちゃんも持っているの?」
亥狩「メールはしませんよ。こういう自然の中にいる時は、持っていることも
忘れるようにしています」
未来「携帯充電器を持っている方、いません? 家から持って来るの忘れて、
コンビニで買って来るのも忘れちゃったんで…… 電池代は払います」
戌塚・酉居・恵巳・亥狩「……」
寅田「あれ? 充電器とかがなくても使えるもの? えッ、何々? まさか、
ホテルの電気を盗んで――」
恵巳「人聞きの悪い言い方をしないで下さい」
酉居「電池が切れなければ、充電もしませんよ」
辰川「大した金額ではありませんから、結構でございます。ウチの発電機も、
すぐ使えるようになると思いますので、ご安心下さい。それで、手紙の
件はどうなりましたでしょうか?」
戌塚「結論は出たようですよ」
辰川「ほぉ、そうでございますか。それは良かった。それで、どなた様宛ての
手紙だったのでしょうか?」
酉居「誰もいません」
恵巳「心当たりのある方がいないんです。それで、これ以上、手紙の宛て先、
相手の方を詮索するのは止めましょうという感じになりまして」
酉居「個人的な手紙のことですから、他人は干渉しない方がいいでしょう」
辰川「……そうでございますか…… 残念ですね。ホテル名の通り、届けられ
ないまま幕引きですか……」
寅田「旦那さん、一局どう?(と、将棋を打つ仕草をして)気晴らしにさ」
戌塚「地滑りの現場でも撮って来るか」
午藤「宜しければ、ご案内しましょうか? 軽トラですが――」
卯咲の声「叔父さん! 来た来たッ!」
手紙を持った卯咲が小走りに再登場。
卯咲「New謎の手紙!」
辰川「(手紙を受け取って)おや、今年の夏は届かなかったのですがね」
と、封を切って読み始める。
寅田「お、新展開か? テレビのドラマだと、この辺りで次の殺人予告とかが
届くんだよな」
卯咲「勝手に連続殺人事件にしないで下さい」
戌塚「そういうことはよく知っているんですね」
寅田「見放題だからな。チャンとタダで」
未来「よくいる何処かの主婦みたい」
恵巳「こんな主婦はそうそういませんよ」
酉居「かなり暇なんでしょうね」
辰川「(手紙を見ながら)そんな……」
寅田「ホラ、そうだろう。(辰川に)よぉよぉ、一体誰が殺されるんだ?」
辰川「(手紙を見ながら)読ませて頂きます。『今は渋谷の自宅の近くにある
病院です。こうして心穏やかに手紙を認められるとは、人間は不思議な
もの。あなたに、伝えていないことがありました。……私は、余命が、
あと一ヵ月です』――」
全員が辰川の方を向く。
舞台全体が徐々に暗くなる一方、一隅が徐々に明るくなって行く。
吹く風の音が聞こえて来る。
○第五場 同・庭に臨むテラス
一隅、微風が吹いている。
戌塚が登場、風を感じて大きく背伸びをする。
背後から、初子が片足を少し引き摺りながら登場。
初子「いい写真を撮れました?」
戌塚「(振り向いて)あぁ、はい。生憎の天候でしたけど、この島ならではの
壮大さや荒々しさを撮ることが出来ました。陽の光を浴びる景色だけが
自然ではありませんから」
初子「何もない島でしょう?」
戌塚「いいえ。何もないからこそ、何かがあるんですよ。多くの人が忘れてし
まったり、見失ってしまったりした、何か」
初子「そう。いつまでご滞在ですか?」
戌塚「明日帰る予定です。この後は、防寒の準備をして蔵王の樹氷を撮りに」
初子「いいですね、カメラを持って各地を旅して。……私は、この島から出た
ことがありません」
戌塚「一度もですか?」
初子「子供の頃は、体が弱くて。大人になったら、今度は臆病になってしまい
ました…… 各地を飛び回っていると、会える機会はそうないですね」
戌塚「誰とですか?」
初子「弟さん。それで手紙を書いているんでしょう? 電話やメールよりも、
一通の手紙」
戌塚「……旅先からの便りでも、例の手紙とは違いますよ。そんな心の温まる
気楽な感じじゃありません。手紙しか、手段がないだけです」
初子「……?」
戌塚が退場。
初子は風を感じて深呼吸をする。
恵巳が登場。
恵巳「先程は、ご馳走様でした」
初子「(気付いて)いいえ。お粗末様。ホテルの急ごしらえのお昼ご飯では、
賄い切れないですものね」
恵巳「自家製のお漬物、美味しかっです。(風を感じて)天気の所為か、少し
潮風が湿っぽいですね。この島にずっとお住まいですか?」
初子「ここが故郷」
恵巳「お一人で?」
初子「はい?」
恵巳「あ、すみません。一人暮らしと伺ったものですから」
初子「あぁ、ええ。独身のまま、ずっと一人。あなたは、ご主人とお子さんが
二人いらっしゃるんでしょう? お幸せそうね」
恵巳「ええ。これといって、特に問題もありません。……ええ、そう、ないん
です、何も…… 結婚したら奥さんになって、子供が生まれたらママや
お母さんになって。いつの間にか、恵巳という名前が忘れられて、何処
かへ消えてなくなってしまったみたいです……」
初子「そう思う女性、多いようですね」
恵巳「(苦笑して)家族の中で、置き去りにされているような感じです。女性
らしさが少しずつ薄れて、変わらない毎日が不安になって、お腹周りが
太くなった分、胸の奥にあった何かが細くなって……気付いたら、もう
人生の折り返しの年齢。何となく、分かるんですよ。あの手紙を書いた
人の気持ち…… すみません、愚痴です。手紙、初子さんはどなたへ?」
初子「私は……まだお会いしたことのない方へ」
恵巳「あら、素敵ですね。その方から返信のお手紙は?」
初子「そうね……届くことはないの」
恵巳「何故ですか?」
初子「あなた、恵巳さんは? 仲良しだった幼馴染みの方だったかしら?」
恵巳「えッ、ええ。高校まで一緒だった幼馴染みで、将来の夢の話もした親友
でした。でも、その彼女へというより、昔の自分へ書こうとしているの
かもしれません……」
申庄が登場、辺りをさり気なく見渡す。
初子「何をお探し? アマリリス?」
申庄「上がるイス。丁度具合のいい踏み台です」
恵巳「リスではなくイス? あら、それは大変」
初子・恵巳「(クスクスと笑う)」
吹く風の音が聞こえて来る。
一隅が徐々に暗くなる一方、舞台全体が徐々に明るくなって行く。
○第六場 同・ロビー
停電中。
亥狩・戌塚・酉居が、それぞれにいる。
亥狩はペンを持ってアクリルシートの文字をなぞり、戌塚は撮影機材の
手入れをし、酉居は一通の手紙の便箋を見詰めている。
辰川が登場、テーブル上に置かれた数通の手紙を片付け始める。
酉居「(辰川に)えッ?」
辰川「ご迷惑をお掛け致しまして、誠に申し訳ございませんでした。どうか、
お気を悪くなさらないで下さい」
酉居「あ、いいえ。これ、もう少し、このまま拝読させて頂いても……」
辰川「はぁ……」
と、カウンターの方へ行く。
寅田が独り言を言いながら登場。
寅田「年代物なんかじゃなく、あれは骨董品だな。まだまだ時間が掛かるぞ。
(戌塚に気付いて)どうだったよ? 地滑りの現場は」
戌塚「行っていません。余命一ヵ月なんて聞いた後じゃ、行き辛いですよ」
寅田「ほぉ、意外と繊細なんだな」
初子と恵巳が話しながら登場。
初子「――内地のことは分かりませんけど、ここは過ごし易いですよ」
恵巳「そうですか。冬に伺うのもいいかもしれませんね」
寅田「(初子と恵巳に)自家発電機、あれはまだチョッと無理ですね」
恵巳「あら。夜までに直ればいいんですけど」
初子「私も家へ帰ったら、こんな感じかしら?」
初子・恵巳・寅田は、それぞれの席に座る。
丑島と午藤が、それぞれスマートフォンで話しながら登場。
午藤「――一時避難ということで――いいえ、寄り道なんて」
丑島「抜け道なんて尚更危ねぇよ。土木連中の開通工事を」
午藤「海藻と麹? いいですね。あの味噌で頂く海藻は格別です。今日作って
頂いた愛妻弁当の玉子焼きも」
丑島「ひどいらしいな、油が浮いちまって。いくら養殖でも食い物にならねぇ
だろう。組合知っている?」
午藤「はい、愛しています」
丑島「だろうな。じゃ、何かあるといけねぇから、夜も別途宜しく」
丑島と午藤は、同時にそれぞれスマートフォンを切る。
寅田「気持ち悪ぃ遣り取りだな。誰と話していたんだ?」
丑島「あぁ、失礼。会社の同僚に」
午藤「僕は、妻が心配していましたので、はい」
寅田「別々かよ。そのスマフォってヤツは大丈夫なのか?」
丑島「これは電波ですし、基地局も地滑りの現場とは別の場所にあります」
寅田「ほぉ、便利なんだな。簡単で、ペンだこも出来ねぇか」
丑島「何です?」
雨音が聞こえて来る。
辰川「降って来ましたね」
酉居「(便箋を見詰めたままで)……探しませんか?」
寅田「ン? 何を?」
酉居「(寅田に)探しませんか? 手紙の宛て先・相手の方と、差出人を」
寅田「無理だろう。思い当たる人間がいねぇんだからよ」
酉居「このままでいいんですか? このまま無視してしまって」
恵巳「あのぉ、他人は干渉しない方がいいと仰ったのは、そちらですよ」
寅田「そうそう。無責任な手紙に関わりたくねぇってな」
酉居「でも、この差出人の方は、相手の方に伝えたいことがあったから、こう
して手紙を書き続けて来たんでしょう?」
辰川「はい、そうだと思います」
酉居「その想いを届けなくていいんですか?」
戌塚「自分が何を言っているか、分かっています? さっきまでとは矛盾して
いて支離滅裂ですよ」
酉居「探すことが、余命を知らせる場に偶然でも居合わせた、私達の責任だと
思いませんか!?」
寅田「無責任な手紙に、俺達が責任を持つっていうのも、何か変じゃ――」
酉居「死を覚悟した方の手紙ですよ! これが最後の手紙、この一通が遺書に
なるかもしれない!!」
亥狩を除く全員が酉居を見詰める。
初子「……あなた、大丈夫?」
恵巳「チョッと、落ち着かれた方が」
酉居「……すみません。(と、項垂れて)……探して、探して、みませんか?
この10通の相手の方と、書いた方を……」
戌塚「――俺は、別に構いませんよ。どうせ身動き出来ない状況ですから」
寅田「まぁ、言い方は悪ぃけどよ、暇潰しの人助けとでも思えばな」
酉居「ありがとうございます」
恵巳「仕方ありませんね。何をどうすれば宜しいんですか?」
酉居「では、まず差出人と相手の手掛かりから見付けましょう。年齢、性別、
住んでいる場所とか、文面からヒントになりそうな箇所を探して下さい」
戌塚「じゃ、京都から届いた手紙を見せて下さい」
戌塚・寅田・恵巳・酉居は、一通ずつ手に取ってそれぞれ読み始める。
亥狩「僕も、何かお手伝いが出来ればいいのですが」
辰川「お心遣いだけで有り難いです」
丑島「私等も手伝いますよ。通行止めで帰れませんからね」
辰川・丑島・午藤は、一通ずつ手に取って読み始める。
雑誌を手にした未来が登場。
寅田「姉ちゃん、スマフォが使えなくて暇だろう? 犯人捜しを再開すること
になったから、チョッと頭を働かせてくれねぇか。な、お願いします」
と、持っている一通を手渡す。
未来「私、こういうの苦手で――」
寅田「苦手を一つずつ克服することが、大人への第一歩なんだよ。(丑島に)
その使えるスマフォで、聞けば早いんじゃねぇか?」
丑島「誰に何をですか?」
寅田「『渋谷の自宅の近くにある病院』ってあるんだから、渋谷区の病院に」
恵巳「何件あるのかご存知ですか? 大体何て尋ねるんです?」
寅田「一ヵ月ぐらいで亡くなる男か女の患者はいませんか?って」
丑島「そんな好い加減な」
酉居「守秘義務があって教えてくれませんよ」
未来「(寅田に)これ、漢字が読めないからパスしたんでしょ!?」
寅田「俺のアイデアもパスされたよ」
卯咲が登場。
卯咲「あれ? また始めちゃいました? ガスは使えるんで、何か飲み物でも
いかがですか? インスタントのコーヒーか紅茶か、生温いジュース」
と、客達に注文を取って退場。
戌塚「――分かりましたよ。差出人」
寅田・辰川「えッ、本当?」
戌塚「これ、男です。一昨年の祇園祭の時に投函された手紙に、こんなことが
書いてありました。『宵山・山鉾巡行、独特な祇園囃子が、辺りに響き
渡ります。私も、子供の頃に囃子方の稽古をしたことがありましたが、
友達と上手く合わせることが出来ず苦労しました』」
寅田「それが何? 音感の悪ぃヤツってことか?」
戌塚「日本の祭りは、女人禁制の伝統を持つものが多いんです。祇園祭もその
一つで、特に、山鉾巡行の囃子方は男の子しかなれません。子供の頃に
稽古をしたっていうことは、差出人は京都出身の男ということですね」
初子「京都出身の男性?」
と、反応した際に金属製のペンケースを床に落とす。
丑島「初子さん、心当たりでも?」
初子「いいえ……失礼しました」
と、ペンケースを拾う。
辰川「戌塚さん、ありがとうございます。そうしますと、差出人の方は、京都
出身で渋谷区在住の男性ということになりますね」
寅田「ってことは、宛て先の相手は女だな。『私』が男なら『あなた』は女。
男が男に、あなたなんて書かねぇだろう? それとも、こっちか?」
と、手でゲイの真似をする。
丑島「確かに。男が男にあなたと書くのは違和感がありますね」
初子「……私も、お手伝いしましょうか。賑やかで、筆が進みません」
と、一通を手に取って読み始める。
寅田も一通を手にし、亥狩を除く全員がそれぞれの一通を黙読――
雨音に混ざって、振子時計の音が微かに響き渡る。
飲み物を持った卯咲が登場、客達に配膳する。
未来「あのぉ、この漢字、私も読めないんですけど」
亥狩「どんな漢字ですか?」
未来「昔っていう字が偏で、旁は鳥です。『何とかの橋が架かるという七夕の
夜。街の明かりに浮かぶ飾りが、橋も照らせば渡り易いでしょう』って」
亥狩「風流な方のようですね。その漢字は、かささぎと読みます」
未来「鵲の橋?」
亥狩「美しい日本語です。鵲はカラス科の鳥ですが、旧暦の七夕の夜、織姫と
彦星のために、翼を並べて天の川に橋を作るという伝説があります。男
女の恋愛の架け橋です」
恵巳「まぁ、随分とロマンティックな方ですわね」
寅田「キザな男だな。何か、チョッとイヤになって来た」
酉居「いいえ、そう格好付けた人でもないようです。今年札幌から投函された
手紙には、『子供のように雪像に見とれていたら、足元が滑って転倒し、
慌てて立ち上がろうとしたら、また転倒。手を貸してくれた方にしがみ
付いたら、更に一緒に転倒です。恥ずかしくて汗をかきました』とあり
ます」
恵巳「そう言えば、こちらにも似たようなお話しがありました。一昨年の秋の
日光からの手紙です。『いろは坂では観光客の猿達への餌付けが問題に
なっていますが、私は、何故か子猿から紅葉の小枝を差し出されました。
物々交換のつもりなのか、私が餌付けされているのか。これは猿真似で
しょうか?』って。それで、こんなモノも入っていましたよ」
と、封筒から紅葉の葉の押し花を取り出して見せる。
寅田「猿からもらった紅葉の葉っぱか。チョッと親近感が湧いて来たな」
戌塚「この人、完全にオヤジですね」
初子「こちらにも押し花が同封されていましたよ。今年の春、奈良・吉野から
の手紙。『3万本の白山桜が眼下に咲き誇る景色は、まるで薄い桜色の
海が広がっているかのようです。桜色の雫を、あなたにも贈ります』」
と、封筒から桜の花びらが入ったビニール袋を取り出して見せる。
初子「ホラ、桜の花びら。まだ微かに、春の香りがしますね」
恵巳「こんな風に季節の思い出を同封して送れるのは、手紙ならではですね。
メールでは、香りを届けられません」
亥狩「そんな風に形として残るのも手紙ならではです。ボタン一つで削除出来
ません。それに、手書きの手紙は尚更捨て辛いものでしょう?」
辰川「そうですね。私もこれらの手紙を捨てられませんでした」
未来「……自分の手で一枚一枚漉いた和紙の便箋、自分で書いた字、写メじゃ
ない添付か…… みなさんも、それぞれが色の違う便箋を使っています
けど 何か理由でもあるんですか?」
初子「私は、温かな橙色が好きなの。十人十色よ。人によって考え方や好みは
いろいろ。便箋の色や形、そこに書かれる文字。手紙にはその人の分身
のような個性があるのではないかしら」
寅田「俺の字も個性ってことか。そんな風に考えると、これも、会ったことが
ねぇのに、人柄みてぇなモンが分かるな」
戌塚「書いた時の状況も想像出来る」
酉居「温もりも感じられます」
未来「(手紙を見たままで)――手紙って、微妙ですね。『仙台七夕祭りには、
7種類の飾りがあり、それぞれ意味があるそうです。短冊は学問の上達、
折鶴は長寿、紙衣は病気や災いの身代わり。私は紙衣を飾らせてもらい
ました。この先も、油月を見上げ、六つの花を愛でられるようにと――
橋を渡り、年に一度だけでも逢えるのなら、幸せです。そのひと時が、
永遠にもなります』。去年の夏の手紙です」
亥狩「その頃には、もう病気のことを知っていたんですね。油月は油を引いた
ように鈍く光る秋の月のことです。夏から秋へ、そして――」
初子「六つの花は、六角形の結晶から付けられた雪の別名でしたね。そうした
四季折々の美しい自然を、この先も、生き続けて眺めたいと……」
酉居「この二人は、一年に一度でも逢うことが出来なかったのでしょうか?」
舞台全体が明るくなる(電力復旧)。
丑島「(天井を見上げて)あ、戻った。発電機、動いたみたいですね」
辰川「ええ、良かったです。ロウソクを探さなくて済みました」
寅田「いや。偶には、電気のねぇ時間っていうのもオツなもんだ」
酉居「滅多にありませんが、頼り過ぎると、電気は諸刃の剣のようなところも
ありますしね」
恵巳「止まってしまうと、慌てて大騒ぎになって」
戌塚「システムが停止すると、人命に関わることもある」
未来「データが消えちゃうこともありますよ」
寅田「充電が出来ねぇと、姉ちゃんみてぇにスマフォも使えねぇしな」
初子「デジタルなメールもいいですけど、こういうアナログな手書きの手紙も
偶にはいいものでしょう?」
全員「(手紙を見て)――」
工具箱を持った申庄が登場。
申庄「(辰川に)修理、終わりました」
辰川「――はい。ご苦労様」
申庄はしんみりとした雰囲気を感じながら壁の傷みの修理を再開する。
酉居「……この手紙の宛て先、相手の方は誰なんでしょうか?」
辰川「どれにも、名前などは書かれていませんよね?」
丑島「ええ。ただ、手掛かりになるかどうかも分からないんですけど、読んで
いると、その相手の方の状況が少し分かるような気がしますよ。去年の
1月に鹿児島県の出水というところから投函された手紙で、『北西部の
田園地帯は、九州といっても寒さが身に堪えます。それでも、ツルには
過ごし易いのでしょう。毎年、秋から春先にかけて、1万羽が』――」
男性の声「1万羽が、越冬のため、北風に乗って飛来します。あなたの元へ、
私にも翼があれば飛んで行けるのですが…… いいえ、今すぐには
行けません。まだ、巣立ちの時ではありません。せめて遠く離れた
九州の地から、見えない翼を持つ手紙を」
丑島「――『見えない翼を持つ手紙を』。この相手の方は、何らかの理由で、
住んでいる場所、この媒島から離れられないんじゃないでしょうか?
だからこそ、その人のために、自分の命がある限り旅をして、文面から
の想像だけでも、各地の景色を見せたくて……」
戌塚「(初子を見て)そちらの女性も、島から出たことがないと……」
初子「ええ……」
辰川「酉居さん、どうなさいました?」
酉居「(顔を手で覆って)すみません、チョッと……大丈夫です……いいえ、
大丈夫ではありません……」
寅田「泣いてんのか?」
酉居「(涙声で)……情けない。私は、何と小さな、弱い……みなさんと同じ
ように、私も、自分の部屋で手紙を書いていました。妻と息子へ宛てた
遺書を…… 私、証券会社の社員ですが、私の長い不在中に投資に失敗
して自殺を図ったお客様がいました、新聞や雑誌に載ってしまい、その
責任を負わされまして…… 家族揃って楽しい休暇を過ごしたここで、
最期をと…… 私は、逃げたんですよ。この方のように、命の限り人を
想い続けもしないで、自分勝手にすべてを、すべてを捨ててしまった。
情けない……」
恵巳「すべてではありませんよ。奥さんと息子さんへ、遺書を書いていたんで
しょう? 伝えたい何か、捨てられない何かがあったからですよ。私が
読んだこの手紙には、こうも書いてありました。『人の一生は、いろは
坂のように九十九折りです。上り坂が長く続きますが、周りに気付けば、
友人や恋人、家族が、自然の空や木々、草花のように見守っていてくれ
ます』。あなたは、まだ坂道の途中なんです。私もそうです。何もない
わけではありません」
寅田「生きているだけでも丸儲けって思わねぇとな。俺なんか、借金だらけで
ホームレスだった時もあるよ。まぁ、今も大して変わらねぇけど、それ
でもこうして生きている」
辰川「生きたくても生きられない方がいらっしゃるのですから」
酉居「……(小さく頷いて)はい」
戌塚「死んだ人間へ、生きている人間がしてやれることなんて何も…… 京都
からの手紙にも、宛て先の方の手掛かりになりそうな文章がありました。
『媒島での夏の夜、ホテルの窓から見上げた酒酔星は、ほろ酔い気分を
心地好くしてくれました。翌日、海辺に咲いていた日照り花は』――」
男性の声「海辺に咲いていた日照り花は、強烈な真夏の陽射しを柔らかくして
くれました。日照り花は、幼い頃、母に手を引かれて歩いた路地裏
にも咲いていた思い出の夏草です。女手一つで育ててくれた母に、
私は最期まで心配ばかり掛け続けてしまいました。今も日照り花に
出会うと、微笑んだまま亡くなった母と夏の日のあなたを思い出し
ます」
戌塚「――『微笑んだまま亡くなった母と夏の日のあなたを思い出します』」
亥狩「酒酔星は蠍座の一等星・アンタレス。日照り花は昼顔のことですね」
戌塚「たった一度だけだったかもしれませんけど、この人、島へ来て相手の人
と会っているんです。もしかしたら、ここの宿帳を見れば――」
辰川「寅田さん、どうなさいました?」
寅田「(涙声で)ゴメン、チョッとな」
戌塚「泣いているんですか?」
寅田「(涙声で)それ、母親のことが書いてあっただろう。俺の母ちゃんは、
ずっと寝たきりでよ」
恵巳「一緒にお住まいなんですか?」
寅田「(涙声で)いや、妹夫婦が面倒を見てくれている。本当は、長男の俺が
介護しなくちゃいけねぇんだよな。こんな不便な島で暮らさなくても」
丑島「この島にいるんですか?」
寅田「(涙声で)港の近く。心配ばかり掛け続けている親不孝な俺なんかよ、
どのツラ下げて会いに行けるんだ」
卯咲「申庄さんも、泣いているんですか?」
申庄「(涙をこらえて)女手一つで育てられた息子。不憫だ」
卯咲「わーッ、自分の子供に置き換えちゃっている」
戌塚「寅田さん、もしかして、お母さんへ手紙を書いていたんですか?」
寅田「(涙声で)笑いてぇなら笑え。チクショウ」
戌塚「笑いませんよ。笑えません、そんな…… 俺が手紙を出そうとしている
弟……刑務所にいるんです。殺人で懲役5年。何故そうなってしまった
のか、何故相談してくれなかったのか、何故気付いてやれなかったのか
……俺は今、後悔の連続です。死んだ人間へ、生きている人間がしてや
れることなんて何もない。寅田さん、連絡が出来るなら、した方がいい
と思いますよ。そのためにこの島へ来たんでしょう。心配を掛け続けて
いても、親子、肉親なんですから」
寅田「(涙声で)分かってんだけどよ……ゴメン、その手紙を読ませてくれ」
と、戌塚が持つ手紙を受け取って読み始める。
初子「カメラマンさんも、そうなさった方がいいわね。何があったとしても、
兄弟、肉親でしょう」
戌塚「そうしたいとは思っています。(初子に)あなたですか? この手紙の
宛て先、相手は」
辰川「どういうことでしょうか?」
戌塚「京都出身の男と聞いた時、動揺されていましたよね? この島を一度も
離れたことがない。それに、手紙の文章表現や内容などから考えると、
差出人とは年齢的にも近いような気がします。違いますか?」
恵巳「いいえ、それは……」
初子「そう思うでしょう? 私も、期待しました。最初は、あの人からの手紙
かもしれないと。でも、やはり違いました。私、一緒に泊まったことも、
一緒に昼顔を見たこともありません。手紙を書いている相手の方とは、
まだお会いしたことさえないんですよ」
戌塚「あぁ、そうでしたか。失礼しました」
初子「いいえ。私自身も思い違いをしてしまって……」
恵巳「すみません。差し支えなければ、話して頂けませんか? 先程、その方
からの返信のお手紙は届くことがないと、仰っていましたけど……?」
初子「(苦笑して)書いた手紙、出していないの。まだ一通も」
卯咲「えッ!? 出さない手紙をずっと書いていたんですか?」
丑島「初子さん、まさか……」
初子「イヤですよ。健忘症ではありません。その方は、昔の文通相手。京都に
住んでいたあちらからしてみれば、離島で暮らす女の子が珍しかったん
でしょうね」
戌塚「折角書いたのに、何故、出さないんですか?」
初子「……臆病なんですよ。遣り取りが途絶えてから、もう何十年も経って。
こちらが気紛れに思い立って、再び書き始めても、あちらは、チャンと
家庭を持って、家族がいらっしゃるでしょうし、突然手紙が届いたら、
迷惑に思われるかもしれません。それでも、懐かしい憧れのような想い
ばかりが膨らんで……臆病なんですね…… 約束をしました。40年後に
このホテルで会いましょうと」
酉居「その40年後とは、いつのことですか?」
初子「今年。今年の12月25日」
辰川「あぁ、今シーズンの後、閉館後ですか……」
初子「いいんですよ。こちらこそ、毎日のようにお邪魔させて頂いて。ここの
陽だまりの中で、あの方への手紙を認めていると、年甲斐もなく、奇跡
でも起きるような期待をしてしまって…… まだ、一縷の望みのような
ものを持っていますけど、手紙を出す勇気は持てなくて……」
卯咲「――そんなのダメです。ダメですよ、初子さん。結果を怖がっていたら、
何も出来ないじゃない。勇気を出さなくちゃ! 手紙出さなくちゃ!!」
と、初子の方へ詰め寄る。
辰川「(制して)卯咲ちゃん!」
卯咲「私だって、初めて手紙を書くのに勇気がいったし、私の彼だって、ギリ
シャへ修業に行くのに勇気を出したんです。そういうのって、年齢なん
か関係ないんですよ。初子さんも勇気を出さなくちゃ! 勇気を出して
挑戦しなくちゃ!」
初子「……(微笑んで)そうね」
午藤「あのぉ、申し訳ございません。この右上にあるボツボツは何でしょう?
(と、便箋を示して)和紙の繊維の塊ではないと思いますが……」
寅田「(自分が持つ便箋を見て)あッ、こっちもだ。これ、ムラじゃなくて、
紙の裏からポチッポチッて何か押されているな」
辰川「ええ。昔の予防接種の痕のようなモノですね」
寅田「(未来の便箋を見て)ホラ、これもだ。でも、ボツボツの点の配置が、
こっちとこっちじゃチョッと違うな。何だこれ?」
亥狩「すみません。その便箋、貸して下さい」
寅田は亥狩へ持っている便箋を手渡す。
亥狩「(それぞれの便箋の右上を指でなぞって)ザ・ラ・ム、デ・二、オ・モ
・イ――これは、多分点字ですよ。他の便箋も貸して頂けませんか?
届いた順番に並べてみて下さい」
卯咲と申庄を除く全員が、亥狩のテーブルの上に便箋を並べる。
亥狩はそれぞれの便箋の右上を指でなぞる。
雨音が消え、陽の光が射し込み始める。
寅田「詩人の兄ちゃん、どう? 本当に点字なのか?」
丑島「何て打ってあるんですか?」
亥狩「面白いことをなさる方ですね。でも、何故こんなこと―― 右上にある
点字を届いた順番に読んで行くと、一つの歌になります。これは、百人
一首にも選ばれた和泉式部の和歌です」
午藤「紫式部ではないんですか?」
亥狩「同じ平安時代の女性で、その紫式部も、『恋文や和歌は素晴らしい』と
感心した歌人でした。点字を辿ると、『あらざらん この世のほかの
思い出に 今ひとたびの 逢うこともがな』となります」
辰川「……どういう意味でしょうか?」
未来「『病気が重くなって、この世もあとわずか。あの世への思い出として、
せめてもう一度、あなたにお逢いしたいものです』。すごく簡単に要約
すると、こんな感じ」
寅田「何で知っているんだ? っていうか、合っているのか?」
未来「一応、大学では国文学専攻ですから」
亥狩「合っていますよ。亡くなった後もあなたを想いたいという恋の歌です。
その和歌を細かく区切り、一通ずつ点字で打っています。何故、こんな
ことをしたんでしょうね? 盲人ではない相手が点字も読める人物な
のか? もしかしたら、この差出人の方だけが分かる密かな細工、遊び
のようなものかもしれません。こんなことが出来るのも、手紙ならでは
の趣向ですね」
寅田「やっぱりキザな男だ。でも、何か――うん、面白ぇいいヤツかもな」
戌塚「もっといろんな場所へ行って、いろんな景色を眺めて、そこからもっと
手紙を出し続けていたかったんでしょうね」
恵巳「点字の和歌も、次の恋の歌へ続けたかったのかもしれませんよ」
酉居「便箋には、コーヒーを零した染みや誤字を訂正した箇所もありました。
でも、それが書いている時の様子を想像させて、親しみを感じさせます」
未来「何分か、何時間か掛かって書いている間、その相手のことを想い続けて
いるんでしょ? たった紙一枚が、羨ましいぐらいの重さですね」
卯咲「今日届いた手紙には、他に何て書いてあるんですか?」
辰川「(一通を手に取って)『夏の太陽は鰯雲に追われ、熱気は秋風に吹かれ
ました。秋、心地好い風に揺れるコスモスは、まるで、あなたのように
可憐に頷いています』――」
男性の声「まるで、あなたのように可憐に頷いています。窓から見える姿が、
短い花の命を語り掛けて来るようで。今は渋谷の自宅の近くにある
病院です。こうして心穏やかに手紙を認められるとは、人間は不思
議なもの。あなたに、伝えていないことがありました。……私は、
余命が、あと一ヵ月です』――」
舞台全体が徐々に暗くなって行く――
男性の声「しかし、その時を恐れてはいません。むしろ、あなたを想う時間が
増えたことに感謝しています。目を閉じれば、無邪気な笑顔、白く
細い指、癖のない長い黒髪が、鮮やかに甦ります。あの頃の面影は、
色褪せることがありません。記憶の中で、あなたはいつも微笑んで
います――」
暗転。
○第七場 同・ロビー(翌日)
亥狩・初子・戌塚・恵巳・寅田・未来・卯咲が、それぞれにいる。
亥狩はパソコンに向かい、寅田を除く他は便箋に向かっている。
寅田「詩人の兄ちゃん、もう手紙は書き終わったのか?」
亥狩「はい。書くというよりも、ペンで字の型をなぞっただけですが。でも、
目が見えなくなって初めて自分の手で書いた、形として残る手紙です」
荷物を持った酉居が登場、カウンターへ向かう。
寅田「おい、何処へ行くんだ? ダメだぞ、変なことを――」
酉居「帰ります。家に、帰ります」
卯咲が精算する。
寅田「遺書は? 遺書だけは置いて行けよ」
酉居「お断りします。妻と息子へ宛てて書き直しましたから。――もう一度、
坂道を上ろうと思っています。家族と一緒に」
寅田「おぉ、そうか。頑張ってくれ」
酉居「寅田さんは、結局書かないんですか?」
寅田「聞いて驚け。なんと、昨日の夜に書き終えました! ハハハ」
卯咲「じゃ、チャンとポストへ入れて下さいね」
寅田「いや、投函はしねぇよ。――郵便配達に任せねぇで、自分で届ける」
と、照れ笑い。
酉居「(微笑んで)そうですか。読み直して下さい。誤字や脱字は少ない方が
いいです。それでは、みなさん失礼します」
と、会釈をし、退場。
野菜の入った段ボール箱を抱えた申庄が登場。
辰川・丑島・低姿勢の午藤が、話しながら登場。
丑島「――ですから、何とかして頂かないとって言ったんです。結局、夜には
発電機が動かなくなって、ロウソクだったんでしょう?」
辰川「はい。雰囲気のある一夜でした」
申庄が立ち止まり、辺りをさり気なく見渡す。
丑島「雰囲気のある物件ということは分かっています。使えるかどうかが問題
なんですよ」
午藤「手前共と致しましても、誠に恐縮ではございますが、あの発電機はリサ
イクルすることが出来ません、はい」
辰川「(申庄に近付いて)申庄君、どうした?」
申庄「……」
丑島「おいおい。また、例のアマリリスか?」
申庄「キリギリスです。ホラ、あそこに! おぉー」
と、床を跳ねるキリギリスの影を追って退場。
午藤「あ、あちらにもキリギリスが」
辰川「何処から入って来たんでしょう?」
丑島「いろいろ現れたり、発生したりしますね。このお化け屋敷は」
午藤・辰川・丑島が、キリギリスの影を追って退場。
初子「今日も、賑やかね」
全員「(微笑む)」
寅田「(未来に)姉ちゃんは誰に書いてんの? 男か? まぁ、大学生なんだ
から、一度ぐらいはペンだこを作って――」
未来「あッ(と、急に立ち上がって)スマフォの充電が終わった頃だ。取って
来よーっと」
と、退場。
舞台全体が徐々に暗くなって行く――
寅田「……結局、スマフォか?」
恵巳「そう簡単には手放せませんよ」
初子「いいのよ。手紙もスマフォも、微妙に使い分ければ」
全員「(微笑む)」
亥狩が頭をゆっくりと項垂れ、戌塚は便箋とペンを持って壁際へ向かう。
○第八場 エピローグ
亥狩・初子・戌塚・恵巳・寅田・卯咲が、照明に浮かぶ。
卯咲は便箋を手にする。
卯咲「――いいじゃない! 誘われたってことは、料理の腕が認められたって
ことでしょう? メールにあったそのお店、勇気を出して挑戦だよ!
そういうのって経験になると思うしね。私なんか、元気しかないもん。
あッ、元気? 私、風邪ひいた。3日も寝込んだ。あぁ、前略? 拝啓
だっけ? どっちでもいいか。――ホテルに届いた謎の手紙の宛て先、
相手のことだけど、みんなは、最後の手紙で一応納得したみたいだよ。
便箋の最後の余白に、点字でこう打ってあったの――」
男性の声「追伸。もうすぐ、あなたへ逢いに行きます」
亥狩の頭上から、一枚の黄色の便箋がひらひらと舞い散る。
卯咲「――余命一ヵ月の人が、『もうすぐ逢いに行きます』だって。この二人
みたいになれるかどうかは分からないけど、私だって、いつも、何処に
いても想っているよ。今だって想いながら手紙を書いているもん。離れ
ているけど、一緒に頑張ろう。一緒にお店をやるために。……でもね、
やっぱり卯咲は、亀ちゃんに会いたい――」
卯咲を照らしている照明が消える。
寅田は便箋を手にする。
亥狩の頭上から、一枚の紫色の便箋がひらひらと舞い散る。
寅田「――会いたい気持ちは、ずっとあったんだ。子供の頃の思い出には必ず
母ちゃんがいる。母ちゃんの顔、母ちゃんの手料理、母ちゃんの温かい
手……懐かしいな。もしやり直せれば、親孝行の一つも出来るのに。…
…いや、無理だな。俺はバカだ。自分勝手で怠け者で、弱虫。会わす顔
がない。会いに行く勇気がない。すべて妹の桜に任せきりで……ただ、
こんな親不孝な俺でも、母ちゃんの体を心配している。季節の変わり目、
温かくしてご静養下さい。もし、最後の我が儘を聞いてもらえるなら、
いつか、笑顔で会いに行きたいと願っている――」
寅田を照らしている照明が消える。
恵巳は便箋を手にする。
亥狩の頭上から、一枚の藍色の便箋がひらひらと舞い散る。
恵巳「――お願いしたいのよ。あの頃のように、親友として見守ってほしい。
40歳近くにもなって、友情は可笑しいかしら? 今も記憶に残っている
の。同じメグミという名前が切っ掛けで仲良くなった肝試し大会。突然
出て来た幽霊に驚いて、一緒に水溜りの中に転んでしまったでしょう?
泥んこの顔を見た時、お互いに笑い出してしまったよね。その後、安心
したからか、一緒に泣き出して。覚えている? 今、思い出すと、あの
頃が眩しい。すべてが懐かしい。その子供の時のように、いいえ、人生
の坂道を半分しか歩いていない今だから、あの頃の好奇心や絆を大切に
したくてね。もう一度、将来の夢に挑戦してみたいの。また、見守って
ほしいの。――そちらは、もう冬支度かもしれませんね。春、大きな樹
の下で、あの頃のように話そう――」
恵巳を照らしている照明が消える。
戌塚は便箋を手にする。
亥狩の頭上から、一枚の緑色の便箋がひらひらと舞い散る。
戌塚「――話さなければ、分かり合えない。兄弟なのに、兄弟だからか、不思
議なものだな。ただ一人の兄として、俺は深く、自分を責め、深く後悔
している。いつの何処へお前と戻ればいいのだろうか? いや、心配を
するな。心配はいらない。……でも、自信がない。お前の顔を見た時、
衝動的に責めてしまうかもしれない。親戚は気持ちに整理を付けたのに、
情けないな……俺は、相変わらず各地を飛び回っている。撮影先のある
島で、手紙の強さが写真のそれと似ていることを知ったよ。人と人は、
強い想いで繋がることが出来る―― 今度会うその時は、俺も強さを、
お前を想う心の広さを持っていたい――」
戌塚を照らしている照明が消える。
初子は便箋を手にする。
亥狩の頭上から、一枚の橙色の便箋がひらひらと舞い散る。
初子「――持っていたいと思います、いつでも夢を。手紙も、私にとっては夢
の花びらのようなものです。あなたから届いた手紙も、夢の蕾のような
ものでした。それを若い方から微妙と言われて、唖然としてしまいまし
たわ。これも、時代の流れ、時の動きというものなのでしょうか。いい
え、愚痴を零すほど老いてはおりません。……ただ、色づく秋に合わせ、
寂しさも日々深くなって行くようです―― その後、いかがお過ごしで
しょうか? 私、長く患っている病気を治すことに致しました。臆病と
いう病気。一方通行の手紙と知り合いの女の子が、勇気という薬を処方
してくれましたの。臆病を治す勇気。――あの約束の日の翌日に、私が
認めた一通の手紙は、あなたへ逢いに行きます――」
初子を照らしている照明が消える。
時計の音色が3時を伝える。
亥狩だけが照明に浮かび上がる。
亥狩「(頭を項垂れたままで)……逢いに行く……さらさらと綴るには、今は、
ざらざらと突き刺さるような雑音ばかりが多過ぎる……}
と、目を閉じた顔をゆっくり上げる。
溜め息――辺りの気配を窺う――大きく深呼吸……
亥狩「(人の心が)……はらはらと、はらはらと、弾む……ゆらゆらと、ゆら
ゆらと、夢うつつ…… ひらひらと、ひらひらと、ひとひら…… 心の
カケラ、ひとひら……」
パソコンに向かい、キーボードを打ち始める。
その頭上から、一枚の白色の便箋がひらひらと舞い散る。
徐々に暗くなって行き、暗転。
『ひとひら』 終