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「チロリンマンの逆襲」-あなたのお家の残酷喜劇-
作:吉原廣
 



登場人物
袴田 豊(父) 45才
袴田 寛子(母) 42才
袴田 早苗(姉) 17才
袴田 健(弟) 12才
チロリンマン



(1)

袴田家のダイニングキッチン
中央奥に台所、上手奥に玄関、下手に縁側
ステレオから、中島みゆきの「時代」が流れている
豊はコーヒーを手に、新聞を読んでいる
寛子はさも忙しげに片付けや掃除に立ち働く


豊:・・・横浜で殺人事件。またかよ、十七才の少年三人組だってさ。学校にも行かんでブラブラして、結局ろくなことをせん。・・・へえ、こいつら別れたのか。

寛子:誰が?

豊:一条アンナと大井一也だよ。

寛子:タレントでしょう、別れますよ。

豊:いいんだよ、別れたって。そう言っているじゃないか・・・そうか、別れたのか。アンナの奴今度は誰とひっつくんだ、タックンか。

寛子:若い人は平気だから、そういうの。

豊:エイズだよ、エイズ。

寛子:何が?

豊:だからエイズなんだよ。知らんぞ、俺は。

寛子:・・・コーヒー片付けますよ・・・(片付けながら)九時半ですよ。いいんですか?

豊:・・・

寛子:・・・何時にお出かけなんですか?


二階で物音がする


豊:・・・(二階を指して)あいつ、まだいるのか?

寛子:早く行けばいいのに・・・

豊:あいつ昨夜遅かったな。

寛子:二時ですよ、帰ったの。

豊:あの音なんとかしろ。だからバイクなんぞ買うなと言ったんだ。

寛子:あなたが許したんじゃないですか。

豊:お前がうるさく言うからだ。

寛子:あなたが結局いつも折れてしまうんじゃありませんか。

豊:あいつ遅刻だろう。いいのか・

寛子:干渉すると怒るんです。早く行けばいいのに・・・

豊:外で何やってんだか。エイズ、大丈夫か。知らんぞ、俺は。

寛子:・・・自分の娘じゃないですか!

豊:(二階の物音に)何ガタガタやってんだ。

寛子:・・・あなた、金曜日ですよ。会社、本当にいいんですか?

豊:いいって言ってるだろう。ほっといてくれ!

寛子:ああそう、それならそれでいいんです。私着替えますから・・・

豊:どこ行くんだ?

寛子:パートです。


寛子が階段を上ろうとすると、娘が降りてくる
緊張する父と母
娘、勝手にステレオのスイッチを切る


寛子:・・・聞いてるのに・・・おはよう。今日お仕事は?

早苗:お休み。あたし今日引っ越すから。

寛子:なんですって!?

早苗:住むとこ見つけたから。

寛子:ちょっと、早苗?

早苗:友達が荷物取りにくるから。


早苗は洗面所へ


寛子:何よ、そんなんじゃわからないわよ、早苗!

早苗:ママのドライヤーもらってくから。

寛子:駄目です!

早苗:(出てきて)いいじゃない、ドライヤーぐらい。

寛子:駄目って言っているでしょう! あなた・・・

豊:いいじゃないか、ドライヤーぐらい。

寛子:・・・ドライヤーのことじゃありませんよ!

早苗:(縁側で)いいお天気だあ!・・・ママ、コーヒー入れといて。


早苗、二階へ行く
茫然と窓の外を見つめる夫婦


豊:・・・いい天気だ・・・

寛子:なんとかしてください。あの子本気ですよ。

豊:知らんよ、俺は。

寛子:十七才なんですよ、まだ!


電話が鳴る
ドキリとする豊と寛子


豊:・・・おい・・・

寛子:・・・(受話器をとって)はい、袴田です・・・(ホッとして)いいえ、来々軒ではございません。電話番号をお確かめになって、もう一度おかけ直し下さい(切る)。

豊:(ホッとして)えらく馬鹿丁寧に応対するんだな。

寛子:多いのよ、こういうのが。

豊:パート、今日休みじゃなかったっけ?

寛子:・・・ええ、そう。よく知ってるわね。

豊:じゃあ、どこ行くんだ?

寛子:ちょっと・・・

豊:ちょっとって?

寛子:PTAですよ。


寛子が、二階にいこうとする
健が帰宅した様子。無言である


寛子:(驚いて)健ちゃん!

健:パパ、いるの。会社は?

豊:おお・・・あれ、学校もう終わったのか。


寛子がさり気なく夫を制して、細々と手を焼きながら


寛子:(優しく)忘れ物?・・・何かあったの? 頭が痛いの? 熱でもあるの? お腹壊したの? 先生にはちゃんとお話ししてきたの?

健:・・・(戸口にむかって)入っていいよう・・・あれ、いない。

寛子:健、ママが聞いてるでしょう!


庭先に立つ、少女のような女


女:・・・こんちわ・・・いいお天気・・・

健:入んなよ。

女:・・・パパとママに聞いてみて?

健:何を?

女:お部屋に上がってもいいかどうか。

健:ママ、上げてやっていい?

女:上がっても叱らない?

健:上がっても叱らないよね?

女:お仕置きしない?

健:お仕置きしないよね?

寛子:駄目です!

女:・・・(上がる)パパさん、退いて。


女、豊を立たせてソファーの上にでんと座る
驚き呆れて見守る親


健:玄関から入ればいいのに。

女:・・・(鼻をひくつかせている)。

寛子:駄目だといったんですよ。

女:あたし夢だったの。ここに寝そべって、牛乳飲むのが。

寛子:あのね、あなた・・・

女:ママさん、牛乳。

寛子:はい?

健:ぼく、コーラ。喉かわいた。

豊:俺、コーヒー・・・お代わり。


無言で、台所に消える寛子


健:(豊をさして)パパ・・・(台所をさして)ママ。

女:あたし可愛い?

豊:はい?

女:あたし可愛い?

豊:・・・おじさん小さい子のことはわからないから。

女:大きい女の子ならわかるの?

豊:・・・どうかなあ。

女:(健に)あたし可愛いよね?

健:うん。鼻ひくひくするのやめたら。

女:ひくひくって?

健:(女を真似て)こういうの。

女:やだ、そんなことしてる?

健:してる。

女:今度またしたら叱ってね。

健:いいよ。

女:ほんと、絶対?

健:ほんと、絶対。

女:嘘ついたら針千本飲〜ます。

健:わかった。

女:ほんとにわかった? 針千本飲むんだよ。できる? まず針一本、こんな太いの。針の先をこう舌に乗っけてゆっくり滑らせて押し込むの。ゆっくり滑らせて・・・ここが肝心。喉の奥に壁があるでしょ、この壁に針を引っ掛けないように、喉の下押して、広げて、ゆうっくり、押し込む・・・(ごくり)ふう・・・よし一本! 次二本目・・・あいたっ!

健:約束する! ほんと、絶対!

女:お願いね。


寛子、飲み物を運んできて、テーブルに置く


女:ワーオ!

健:なんで牛乳!?

寛子:コーラは駄目!


女、豊のコーヒー皿を取り、コップの中味をわざわざ開けてソファーの上に置き、ピチャピチャと舐める
驚く家族


女:・・・おいしい。

寛子:・・・この子、だれ!?


寛子の気迫に驚く一同


寛子:なんなの、これ? (女に)なんなの、あなた? (健に)説明しなさい、健!

健:それが、難しい。

寛子:(豊に)あなた!

豊:知らんよ、俺は、何も。

女:そこの公園でお友達になったの、ねえ?

健:うん、タイヤ公園で。

豊:お友達だって、健の。

寛子:聞こえてます。

豊:(笑って)健のガールフレンドかな。

寛子:お名前は?

女:はい?

寛子:お名前、お嬢ちゃんの?

健:チロリンマンちゃん!

豊:・・・(驚いて)チロリンマン・・・

寛子:・・ちゃん!・・・(怒り心頭)ふっ、ふざけないで! どこの子なの。二丁目の子? ほんとのお名前は。歳はいくつ。どうして学校に行ってないの?

女:クイズ、「あたしは何歳でしょう?」

健:十一!

豊:八つ、かな。

寛子:十三才。

女:ブブーッ。

健:いくつ?

女:わかんないの。

寛子:出ていきなさい。お巡りさんを呼びますよ!

女:呼ぶんだったらパトカーにしてね。

豊:おい、パトカー呼んでもいいそうだ。

寛子:聞こえてます!


早苗が降りてくる


早苗:パパ、お金頂戴。

寛子:駄目です!

豊:(同時に)いくら?

早苗:二〇万。

寛子と豊:二〇万!

健:姉さん、こちら、チロリンマンちゃん。

早苗:(両親に)早くう!

寛子:ありませんよ、そんなお金。

早苗:もう戻ってこないから。手切れ金だと思ってさ。

寛子:やめてちょうだい。

早苗:・・・仕方ない、ブルセラするかあ。

寛子と豊:・・・早苗!

早苗:・・・(健に気づいて)あんた、なんで今頃家にいるの、学校は?

豊:健、学校はどうした?

寛子:健、学校はどうしたの?


責め立てられて、怯える健


寛子:ママに説明しなさい。どうして早退けしたの? 頭痛いの? 熱あるの? お腹壊したの? 学校でいじめられてるの? 先生になにか言われたの?・・・そうなんでしょう、先生に意地悪されたんでしょう?・・・早く言いなさい。ママ忙しいんだから・・・健・・・


ますます怯える健
女がまじないをする


寛子:コケーッ、コケーッ、コケーコッコッコ・・・(鶏の声に変声する)・・・コケーッ、コケーッ・・・


びっくり仰天の一同


豊:・・・ママが、鶏になった・・・


女、おまじない
寛子、鶯の声・・・


豊:うぐいすだ・・・


女、おまじない
寛子、鈴虫の声・・・


健:鈴虫!

早苗:声、ないほうがいいみたい。


女、おまじない
寛子、無言で口をぱくぱくする
一同、複雑な表情で寛子を、そして女を見る


寛子:・・・健、聞いてるの?

健:聞いてるよ。

寛子:じゃあ答えなさい!・・・どうかした?


無言のままの家族


寛子:・・・どうしたのよ?

豊:・・・平気なのか、お前?

寛子:何が?

早苗:・・・(恐れて)この子、だあれ?

豊:・・・健の、ガールフレンド・・・

健:チロリンマンちゃん!

早苗:チロリンマン・・・ちゃん・・・!

女:こんちわ!


電話が鳴る


早苗:私だ!

寛子:(同時に)私よ!

豊:(同時に)俺?

健:(同時に)学校?


先に走った早苗が受話器を取る


寛子:よしなさい!

早苗:もしもし、サッちん?・・・

寛子:・・・!

早苗:もしもし・・・

寛子:(受話器を奪って)もしもし、袴田ですが・・・

早苗:無言電話。

寛子:まあ、どうも・・・

早苗:じゃないみたい。

寛子:はい、あの・・・申し訳ありません。少々遅れるかと思いますが。いえ、改めてこちらから・・・あ、そうでしたわね。困りましたわ、ホホホ・・・(小声で)後で(ガチャンと切る)。はい、失礼いたします。ホホホ・・・


不思議そうに寛子に注目する家族
鼻を引くつかせた早苗が、女に注目する


早苗:・・・臭い・・・

健:・・・ほんとだ・・・

女・・・(健に)私、臭い?

健:うん、臭い。

女:ママさん、香水貸してね(洗面所に走る)。

寛子:いやですよう・・・あなた、なんとかしてください!

豊:ちょっと、香水貸すのいやだって。

寛子:香水の問題じゃありません!

早苗:今の、何の電話?

寛子:PTA。私出掛けなくちゃ・・・

女:・・・(何かを振りかけて)これでいいかな・・・ありがと(寛子に放り投げる)。

寛子:・・・(見て)トイレの匂い消し!

女:(健に)匂い、消えた?

健:レモンの香がする。

豊:・・・お嬢ちゃん、あんたいったい、どういう子?


電話が鳴る


寛子:(走って)袴田です・・・後で!(ガチャンと切る)

女:今の誰?

豊:(同時に)今の誰だ?

早苗:(同時に)今の誰?

寛子:・・・みんなどうしたっていうの。金曜日なんですよ。金曜日の朝の9時半です。会社があるでしょう。学校があるでしょう。どうしてみんな家にいるの!

女:家族が家にいちゃ困るの?

寛子:お黙り! ともかく、ママ忙しいんだから!

女:なんかして遊ぼう。せっかく家族全員揃ってんだからさ。ゲームやろう。

健:ゲーム?

寛子:何言ってんの、この子?

早苗:あんた、出ていきなさいよ。

女:いやだ。

早苗:出てけ。

女:いやだ。

早苗:追い出してやる!

女:あれ? あたし、おっぱい大きくなった・・・また大きくなった!

早苗:・・・ほんとだ。

女:そんなに見つめちゃいや。

早苗:・・・この子、どういう子?

豊:少女の成長は早いって言うがな・・・

寛子:・・・あなた、いったい何者なのよ?

女:クイズ、「私は誰でしょう?」

健:チロリンマン!

女:ピンポン!

寛子:だから、それが・・・

女:おお、力がわいてきた。「一家団欒ゲーム」するかな。

早苗:一家団欒ゲーム・・・?

女:家族でしょうが。一家団欒、当たり前でしょうが・・・(健に)あんた、何すんの好き?

健:わかんない。

寛子:もちろんお勉強よねえ。

女:好きなこと聞いてんの!

健:ぼけーとすんの。

女:おちょくってんの?

寛子:もちろんおちょくってんのよねえ。

健:ほんとだもん。ぼけーとしてるの大好きだもん。

女:ぼけーとしてから、なにすんの?

健:・・・ママに聞く。

寛子:ママに聞けばいいのよねえ。

女:何を?

健:次ぼく何をしたらいいかって。

女:・・・! (母に)いいの、これで?

寛子:いいんじゃない。

女・・(父に)いいの、これで?

豊:・・・

女:あんたね、ボケーとすることがどういうことかわかってんの? たまにボケーとしてみたいってのはいいの。たまにはみんなボケーとしたいもんなんだから。だけど毎日となると話は違ってくんの。毎日毎日ボケーッとしててみなさい。一日二四時間ボケーッとしてんだから。それが毎日続くんだから。

健:ぼくボケーッとしたいもん。一日二四時間ボケーッとしてたいもん。二日でも三日でも、毎日毎日ボケーッとしてたいもん。

女:なんであんたがボケーッとしたいのよ?

健:ぼく忙しいもん。塾もあるし、プールもあるし、オヤコ劇場だってあるもん!

女:あんたは人間だ。あんたは人間なんだ!

健:そうだよ。おねえさんは人間じゃないの?

女:・・・いま、おねえさんと呼んだ?

健:・・・わかんない。

女:自分でもね、なんかちょっと大人になった気分。不思議。クイズ、「私は何歳でしょう?」

健:十六!

豊:十八かなあ・・・

早苗:十三!

寛子:一二三!

女:ブブーッ!

健:幾つ?

女:わかんないの、自分でも。あたし、きれい?

健:うん、まあ。

女:あたし、きれい?

豊:きれいです。

女:ほんと、針千本じゃない?

豊:ほんと・・・

女:感じる?

豊:はあ? まあ・・・

寛子:あなた!

豊:あっ、いや、だって・・・

女:早苗ちゃんとどっちがきれい?

早苗:あたしよ!

女:この子嫌い。ママとどっちがきれい?

豊:そんな、残酷な。

寛子:まあっ!

女:このまま一生きれいなままに生きて、きれいなままに死にたいなあ。

健:変な人。

早苗:・・・(寛子に)相当変よね?

寛子:ともかく出ていってもらいます。

女:よし、気分よく「一家団欒ゲーム」いこう!

寛子:そうじゃなくて・・・

女:題して「ザンゲの値打ちもないゲーム」。

豊:ザンゲの・・・

早苗:値打ちも・・・

寛子:ない・・・

女:・・・(健の声音で)「先生、静岡のお爺さんが死んだんです」

健:ああっ!?

女:「今からお葬式にいきます。だから学校を休みます」

健:(猛然と反発)なんだよ、お前!?

女:(無視して)健くんの「学校おさぼり事件!」

健:言わないって約束じゃないか!

女:パパ、ママ、あんた方はご存じですか。あんたんちの健くんは、四日も学校を休んでいるのですよう。

寛子と早苗:なんですって!?

豊:(同時に)何だって!?

健:出てけ! 出てけ、おまえなんか!

女:やあだよう。

健:・・・(女を追い掛け回して)出てけ・・・出てけよう・・・


健を注視する家族


早苗:・・・本当なの、健?

寛子:・・・まさか。

豊:・・・どうなんだ、健?


うずくまって、泣く健


寛子:まさか・・・!

豊:どういうことだ? 学校でいじめられるのか?

寛子:(夫を制して)どうなの? 答えなさい。・・・泣いてちゃわからないじゃないの! 嘘なんでしょう?

健:・・・頭がぼーっとしてきた・・・光が・・・光ってる・・・頭の中で、光ってる!

早苗:・・・健!

寛子:健、どうしたの? しっかりして!

健:・・・ぼくは死んでしまう・・・死んでしまう。


気を失う健
茫然とする家族


寛子:何か頭を冷やすもの、早く! ・・・しっかしして!


洗面所に走る早苗
介抱する寛子
茫然と突っ立ったままの豊
走り込んだ早苗の濡れ手拭いを奪って、健を介抱する母


女:・・・親に代われと言われないように、「急いでるから、後でママが電話するから」って。どうせすぐにばれる嘘なのに・・・

寛子:健ちゃん・・・


健、身を起こす。震えている。


女:月曜日の朝、健は授業中にお腹がきゅんと痛くなって、トイレにいった。ビチビチだった。教室に戻ってドアを開けると、クラスのみんなが一斉に振り向いた。尚也が「ウンコか?」と大声で聞いた。教室中がどっと笑った。また行きたくなったけど、我慢した。苦しかった。それでもう学校に行きたくなくなった。

健:ちがわい・・・

女:(指を折って)火、水、木、金・・・今日で四日。

健:ちがわい!

寛子:嘘よ、だって毎朝・・・

女:そう、毎朝、元気よく家を出た。でも学校へは行かなかった。火曜日はタイヤ公園の公衆便所の後にランドセル隠して動物園に行った。だけど、どこかのおばさんに「坊や、学校はどうしたの?」と聞かれて、園内の森に隠れて下校時間になるまで待っていた。水曜日、ゲームセンターで遊んでいて、店員に注意されて逃げ出した。行くところがなくなって公衆便所に三時間も閉じこもっていた。木曜日は江戸川だ。パンとコーラ買って、一日中茂みに隠れていた。

寛子:健・・・

女:ウィークデーの昼間って、子どもは学校以外に行き場がないのよ。学校に居場所のない子はどこへ行けばいいんでしょう。

豊:いったいどういうことだ。説明しろ、健。

寛子:あなたは黙ってて下さい!

豊:何だと?

寛子:子供のことなんて何ひとつわかってないくせに、あなたは黙っててください。

豊:何だと?

寛子:そうじゃありませんか。あなたが子どもの何を知っているというんです。


健、ぐにゃりとした姿勢で膝を抱える


豊:だってお前・・・

寛子:いいんです。ともかくあなたは何も言わないで、何もしないでいてちょうだい。今までそうだったんだから、これからもそうしていてちょうだい。さっさと会社に行けばいいでしょう!

豊:何だと?


豊が腕組みをする
寛子が右手を左肘に当てる
健が立ち上がろうとして・・・


早苗:・・・いい加減にしなよ!

寛子:・・・

早苗:手前等のせいじゃんかよ。わかんねえのかよ。健がこうなったのは、手前達のせいじゃんかよう!

寛子:早苗、何を言うの!?

豊:親に向かって、なんだ!


早苗がプイと横を向く
寛子が泣きだす


早苗:・・・すぐ泣く。

女:・・・(笑っている)楽しい家だなあ。

豊:・・・みんなどうしちゃったのかな、いつもはこうじゃないんだが・・・もっと静かな・・・そうなんだが・・・

女:そりゃ静かでしょ。会話がないんだから・・・


電話が鳴る


女:ママさん、電話よ。

早苗:(受話器を取って)袴田です・・ママ(手渡す)

寛子:・・・(変わって)はい・・・ああ・・・それどころじゃないわよ(ガチャンと切る)!


女、ステレオのスイッチをオンにする“中島みゆき”
暗転(短く)



(2)
家族4人がバラバラにいる
女はいそいそとテーブルの飾り付けをしている
先生に電話している寛子


寛子:・・・いじめです。決まってるじゃありませんか・・・いいえ、そんな・・・家の子に限って・・・いえ、先生はおわかりにならないんですよ、お子さんがいらっしゃらないから・・・子育てって、教科書通りにはいきませんのよ・・・ええ、もちろん明日からは登校させます。先生、あの、どうかあまりお騒ぎになりませんように・・・何言ってるの、あの人!

女:ねえ、誰か洗い物持ってって・・・いいわ、あたしやる。


コンピューターゲームに興じている健
寛子がステレオを切って、健に近づく


寛子:健ちゃん・・・

健:一時間だけ!

寛子:・・・学校へ行かなかったら、なおさらわからなくなっちゃうでしょう・・・学校休んで、どこで何をしていたの? 塾は? プールは? なんて塾でしょう、休んでるなら報せてくれればいいのに・・・お願い、なんとか言ってちょうだい。ママ、気が狂いそうになる。

健:・・・

寛子:健!


ゲーム機を取り上げる寛子


健:何すんだよう、ババア!


奪い返す健
茫然とする寛子


寛子:・・・ママ、負けないから、絶対・・・


寛子がティッシュの箱を手繰り寄せ、神経質に次々と取り出し、涙や洟汁を拭く


寛子:・・・健ちゃんが悪い子になったら、ママ、死んでしまう。死んでしまうわ。

健:・・・死ねば。

寛子:・・・健ちゃん!


離れた寛子、胸を押さえてうずくまる


女:(テーブルクロスを広げて)ま、こんなところか。

早苗:(近づいて)また発作?

寛子:胸が痛い・・・

早苗:・・・(背をさすってやる)

女:花飾ろう。

寛子:・・・早苗、あなたね!?

早苗:何がよ?

寛子:健に何吹き込んだの?

早苗:何言ってんのよう!

寛子:そうでしょう、健に何か吹き込んだでしょう。

早苗:くそババア!

寛子:やりかねないわ。あんたには負けたかも知れないけどね、健には負けませんから、絶対。

早苗:勝手にしろ。

寛子:ええ、します。あの子だけは、私がしっかり育てて見せます。

早苗:五年後辺りが楽しみだわあ。あの子あたし以上に活躍するな、男だもの、派手にやるわよ。五年後、健は十六。ママ四六か、十六才の息子の暴力に、ママ耐えられるかな。

寛子:お黙り!


早苗がぷいと二階にいこうとする


女:どこへ行くの?

早苗:二階。

女:ここにいなくちゃ駄目よ。

早苗:荷物の整理。

女:駄目。

早苗:あんたの命令なんて・・・

女:痛い目にあいたい?

早苗:・・・シーット!

女:どこ行くの?

早苗:トイレ(去る)!


豊が台所の片隅で煙草を吸っている
近所をちり紙交換の車が回っている「毎度お騒がせしております・・・」


女:パパさん、こっち来ない?

豊:我が家は換気扇の下でしか煙草吸えないんです。

女:あたしにも一本ちょうだいな。

豊:いいんですか、あなた吸っても。

女:(色っぽく迫って)あたし、いくつに見えます?

豊:お若く見えます。

女:花も盛りといった風情?

豊:わかりません。

女:この家の生意気な娘より女っぽく見えますでしょう?

豊:・・・私、女を見る目がないんですわ。

女:女だけじゃないでしょう。あなたには家族の誰一人見えてないでしょう・・・(煙草をくゆらして)ママさんが一人でとち狂ってるじゃないの。

豊:あれは、アレです。

女:アレ?


「毎度お騒がせしております・・・」の声大きく


豊:ほっときゃいつか収まります。

女:うまいこという。

豊:それとも「こけた自転車」ですか。

女:その心は?

豊:車輪の空回り、ガタガタガタ。ハハハ・・・

女:・・・鈍感な男。

豊:はあ?

女:あの時もそう。五年前・・・

豊:五年前・・・課長補佐になった頃だな。

女:早苗のことよ。

豊:ああ・・・困ったもんです。

女:本当にわかってんの?

豊:わかってますよ。

女:言ってごらん、何があったか。

豊:年頃の娘にありがちなことです。

女:言ってごらんて。

豊:いいですよ。

女:(すごんで)言えっての!

豊:(反射的に)急に反抗しだしたんですな、中学二年の夏ごろから・・・親と一切口を利かなくなりました。家族と一緒に食事をせんようになったんです。自分の分を部屋に運んで一人で食べとりました。でなきゃ、みんな寝静まってから一人でここで食事するか。そのうち夜遅くまで遊んで帰るようになりました。それからはもうよくあるパターンです。クラスの五番以内だった成績も落ちて、アレヨアレヨという間に最下位クラス。高校の志望校も次々と落として、ようやく滑り込めた高校も一年で退学・・・まったく訳がわからんです。

女:続きがあるでしょう。

豊:続き・・・?

女:定時制の高校に入学し直したでしょうが。今じゃ昼間働いて、真面目に仕事にも学校にも通っているでしょうが。あんたの娘にしちゃ出来すぎでしょうが。

豊:後のことは印象にないです。修羅場だったことしか覚えとらんです・・・本当にいい子だったんですわ。親思いの優しい子で。それが一夜にして豹変するんですから、娘ってのはわかりませんなあ・・・しかしあなた、よくご存じですなあ。

女:あなたは家にいるより会社にいる方が楽しいようね。

豊:我が家はまあ下宿屋ですなあ。

女:下宿屋・・・

豊:会社で神経使い果たして、家でまで神経使ってたんではもちません。

女:仕事おもしろい?

豊:おもしろくなんかないです。勤務時間なんてないも同然。なんでこんなに働かなくちゃならんかなあ、ほんと。夜は一杯やりながら、部下の愚痴を聞いてやる。挙げ句に翌日にはやっぱり尻たたいて戦場に送り出すんです。ノルマってものがありましてね、部下の一人や二人犠牲にしてでも課の成績を上げにゃならんのです。それが課長の務めです。

女:大変だよ、大人は、ねえ?

豊:でもまあ面白い時もありますなあ。売り込み先の連中とは事業拡大で散々苦労を重ねた仲。男同士の付き合いっていうか、今でも電話一本で「よし、待っとれ、すぐ行く!」と飛んでいく。そういう心のつながりね。それがあると、もう家のことなんかどうでもよくなります。子どももね、小さなうちは可愛いけど、生意気になるにつれて訳わかんなくなるしね。まあ、うるさいっていうか、面倒臭くなっちゃって。女房にすべてまかせ切りだし、俺がいなくてもこの家はなんとかやってるみたいだし、家族が困らないだけの稼ぎは入れてるつもりだし。

女:その会社が、「あんたはもういらない」と言ってる。

豊:・・・(体が震えてくる)あんた、どうしてそれを?


寛子が豊に近付く


寛子:・・・夫に話があるんです。

女:どうぞ。

寛子:・・・あなたが邪魔なんです。

女:あっ、そう。

寛子:・・・(夫に)今から学校に行ってきます。なにか学校に原因があるに決まってます。それを聞いてきます。会社、いつお出かけなんですか?

豊:・・・午後から・・

寛子:最初からそう言ってくれればいいのに。

女:この家出ちゃ駄目よ。

寛子:(花を飾る女に)あなたさっきから何をやってるんです。

女:解散式やるの。

豊:なんです?

女:解散式。この家族、今日で解散するの。

豊:はあ?

寛子:・・・何言ってんです、あなた!

女:こんな家族は必要ない。無くなったほうが世のため人のためです。

早苗:まあ!

健:いやだ!

女:決めたの!

寛子:我が家は解散なんてしません。

女:今にしたくなるって・・・「ザンゲの値打ちもないゲーム」の続きやりますか。

寛子:いい加減にしなさい!

女:今度のザンゲはママさん!

寛子:いやです。

女:ママさんはね、今日デートなの。

豊:デート?

寛子:嘘です!

女:パートじゃないのよ、パートは今日、お休みだから。

豊:そう、休みです。

女:木村さんに誘われてるの。

豊:木村さん・・・?

女:パート先の上司。最近しつこく言い寄ってくるの。

豊:・・・はあ?

寛子:嘘ですよ・・・

女:木村さんてともかく愉快なの。いつも冗談言って笑わすの。そのくせ時々すごうく熱い眼差し送ってくんの。わかってんのよ、女を引っ掛けるお芝居だってこと。でもやっぱし気になるの。

豊:はあ?

寛子:やめてください。

女:今日デートで何が起こるかわかんないのよ。わかんないけど、何だか興奮するの。ママだって女だもの、わかるわあ。ところがどういう訳か今日はみんなが家にいるもんだから、ほんと困ってんの、ね?

豊:・・・本当なのか?

寛子:なに言ってるんです。馬鹿馬鹿しい!

豊:ああっ、さっきの電話・・・!

寛子:出ていってください! お願いだから出ていってください!

女:いやだ。

寛子:・・・馬鹿!

女:・・・あたしはね、ただのお邪魔虫じゃないの。今、あたしは、この家を、支配してるの・・・あたしは、この袴田家の、ボスなの!

寛子:・・・(膝が崩れる)

女:そう、ボス。あたしはこの家の偉大なるボス・・・!

豊:・・・そうだよ、おまえ、無闇に逆らっちゃ危険だ・・・その、なんだ、この際だから告白してしまいなさい。怒らんから、俺は。俺は何があったか事実を知りたいだけだから。スーパーの売場主任だろ。その程度の男だろ、うん? 何があったんだスーパーの売場主任程度の男と、うん?

寛子:何もありませんよ!

豊:・・・本当か? 本当なんだな?・・・(女に)何もありませんよ、あなた!・・(笑って)ある訳ないじゃないですか、こんなばあさんに・・・なんだ・・・

寛子:・・・馬鹿!

女:ほんと、馬鹿・・・(豊を見て)もっとおもしろい話してやろうか。

豊:やめろ!


早苗が近付く


早苗:ねえママ、お金ちょうだい。

寛子:・・・?

早苗:じゃあ貸して。返すから。

寛子:今それどころじゃないでしょう!

早苗:あたし関係ないもん。

寛子:この人、我が家は解散しろって言うのよ。

早苗:すれば。

寛子:なっ?・・・あなたの弟が四日も学校休んでいるのよ。

早苗:休めば。四日ぐらい何よ。あたしなんて二ヶ月行かなかった。

寛子:だから、健があなたみたいにならないように・・・

早苗:ねえ二〇万貸して?

寛子:いやです!

女:そのお金何に使うの?

早苗:あんたに関係ないでしょう。

女:「関係ない」って言葉、あんた好きね。

早苗:だって関係ないもの。説明してよ、この騒ぎあたしに何の関係あるの?

女:関係あんじゃない、やっぱり・・・

早苗:解散したっていいんじゃない。あたし前からそう思ってたもん。

寛子:早苗!

早苗:そのほうがよっぽど気が楽。

健:いやだ!

早苗:そんで健が学校行きたくないって言うんなら仕方ないじゃない。行きたくなったらまた行くわよ。そんでまたママがフリンしそうなんでしょう。いいじゃない、したって。

豊:馬鹿言うな。

早苗:パパだって、どうせやってんじゃん。

豊:ウウウ・・・

早苗:ママの人生だもん、好きに生きれば・・・好きに生きれなくて、好きに生きる勇気もなくて、それを家族のせいにされたんじゃこっちが迷惑。ママっていっつもそうなのよ。やりたいことやらずに、できないこといつも人のせいにすんの。前っからそうなの。いい加減そういう生き方やめれば。

寛子:私がいつ人のせいにしました?

早苗:ほらね、四一年間そういう生き方してきて、まだわかってない。自分をわかってない人と議論したって意味ない。時間の無駄だ。解散しましょ。

寛子:早苗!(バシンと叩く)


早苗、反射的に叩き返す
その刹那、泣いたのは寛子の方である


早苗:十七年付き合ってる娘のことも、まるでわかってない。

女:やるなあ!・・・母親をひっぱたいた罰に、今度は早苗のザンゲ行こう。ここんちの娘はね・・・

早苗:・・・(にらみつける)!

女:夜学の高校で知り合った先輩と意気投合して、「アメリカに行こう」って約束してね。「ニューヨークでファッションの研究やろう」って、今からその費用を貯めるために、二人で共同生活して夜のアルバイト始めようってしてるのよね。

豊:アメリカ?

寛子:ファッション?

女:そんでアパート借りるのにねえ、どうしても二〇万円足りないのよ。その先輩が貸してもいいって言ってくれてんだけど、先輩には借りを作りたくないのよ。

早苗:(笑って)ザンゲでも秘密でもないわ。しゃべってないだけ・・・あんたの脅しなんかに負けないわ、誰の脅しにも負けない。前の高校やめた時から、私自分でいいと思ったことしかやらないことにした。だから学費を含めて一切自分で稼いでる。今の学校に入るとき親にお金だしてもらったけど、それはいつか必ず返す。まして、あたしがこれから何をやろうが、誰にも干渉させない。

女:いい度胸ね。

寛子:水臭いだけよ、家族なのに。

早苗:十七なんですもの、好きにするわよ。

寛子:十七ではまだ好きにできません。

早苗:どうして? あたしもう自由よ。就職も、学校も、結婚も自由に決めるわ。

豊:結婚・・・!

女:結婚・・・!

寛子:あなたのことはとっくに諦めてます。そうでなきゃやっていけませんよ。

豊:先輩ってのは男か? そいつと結婚するのか?

早苗:・・・あんたの関心てそれだけなんだから。娘がどういう男とひっつくか、それだけ!

豊:・・・

女:結婚・・・したいなあ!

早苗:(女に)わかった? ばらされて困ること、あたしにはこれっぽっちもないの。わかったら、あたしに対して横柄な態度とらないで。あたしそういう態度とられると、すぐ反抗する人だから。

女:いい男いないかなあ・・・

早苗:(豊をさして)この人のザンゲって何よ?

豊:この女を追いだせ! 相手は女一人、おれたちは家族四人じゃないか。さあ一家団結してこいつを追い出すんだ!

健:どうやって?

豊:力付くで。首に縄かけてでも!

女:(逆上して)首に縄!? 首に縄だと? 頭にきた! よし、あんたのザンゲ暴露してやろうじゃん。

豊:やめろ・・・

女:このパパさんはね・・・

豊:こいつを追い出せ! こいつを追い出せ!

寛子:あなた・・・!

健:パパ・・・!

女:(笑って)このパパさんはね・・・

豊:それ以上言ったらただじゃすまさん!

女:会社、首になりそうなんだよう。

豊:黙れ!

寛子:ええっ!?

女:(逃げながら)会社のリストラにあっちゃってね、出向か退職か迫られて、今日はその返事をしなきゃならないんだよ。

寛子:・・・あなた!

豊:(子どものように)嘘だ! でたらめだ!

女:信じてたのに、会社だけは自分を裏切らないって信じてたのに。だって一生懸命働いてきたもん。上役から蔑まれようが、同僚から白い目で見られようが、すごく気にしてるくせに気にしてない振りして、お世辞言って媚売って、奴隷のように働いてきたもん。その会社がパパのこと、もういらないって・・・

豊:出てけ! 出てけ、おまえなんか!・・・出てけ・・出てけよう・・・


息子と同じようにうずくまる豊
ティッシュの箱を手繰り寄せ、もてあそんでいる


寛子:・・・どうして黙ってたんです・・・

女:わかんないのよ、パパは、どう返事していいか。だから会社に行きたくないのよ。昨日も一昨日も、会社に行きたくなくて、街ん中ぶらついて、パチンコして映画見て、喫茶店と飲み屋で時間つぶして、ぐったり疲れて帰ってきたんだ。今朝はとうとう家を出る気もなくなっちゃって、どうにも身体が動かないのよ。・・・考えてみれば、パパはいつもそうだった。大事な決断を自分でするってことがなかった。今までの人生で、何一つ自分で決断するってことがなかった。仕事のことでも家庭のことでも、いつも結局成り行きまかせでやってきた。


沈黙


寛子:・・・新しい会社はどういう会社なんです?

女:レンタル・リース。

寛子:・・・お給料は減るんでしょうね。

女:減るよ。

寛子:節約しなくちゃ・・・(去ろうとする)

女:・・・それで終わり?

寛子:えっ!?

女:それで終わりなの?

寛子:他に何があるんです?

女:あ、あるでしょうが、夫婦なら他に言いようがあるでしょうが。

寛子:新しい会社に行くしかないじゃありませんか。この人だってそれくらいわかってますよ。それとも何ですか、首になって家族が路頭に迷ってもいいっておっしゃるんですか?

女:そうじゃなくて、あるでしょうが、その前に? 「大変ですね」とか「かわいそうに」とか「家族のこと考えて、ずいぶん悩んだでしょうね」とか、あるでしょうが?

寛子:そんな言葉・・・忘れてしまいました!(去る)

女:・・・(呆れて)解散、決まりだな。・・・乾杯しますか。


健に近寄る早苗


早苗:弟よ・・・

早苗:我が家が大変になってきたぞ。

健:関係ないよ。

早苗:・・・わかってんの、あんた?

健:関係ない。

早苗:それあたしの台詞・・・あんたも年頃なんだねえ。この小さな頭でいろんなこと考えるようになったんだねえ。

健:何も考えてないよ。

早苗:あんたはね、考えてんの。今一生懸命考えてんの。なんか違うと思ってんの。でもそれが何なのかわかんないの。わかんないけど、心の奥の奥の方で何かが吹き出すように動いてて、とんでもない行動起こしちゃうの。あんたのやってることあんたがわかるようになるにはねえ、あと二、三年かかるんだなあ。ひょっとしたら五、六年。いや一生わかんないままかも。

健:あっち行けよ。

早苗:相談のってやろうか。人生の先輩だからな、あたしは。

健:今さら何だよ。

早苗:今さらって?

健:いいよ、もう・・・

早苗:あたし、今日家を出るから。

健:・・・

早苗:だから、最後だから、相談のってやるから。どうしたらいいかわかんないんだろ? 四日間学校休んだけど、この先どうしていいかわかんないんだろ?

健:うるさいったら。お前なんか早く出ていけ。お前なんか大嫌いだ!

早苗:あっ、そう!(去ろうとする)

健:姉さんのせいだ。

早苗:・・・!

健:こうなったのは姉さんのせいだ。

早苗:・・・なんで?

健:・・・

早苗:何でなの? ねえ、何でなの?


健が豊からティッシュの箱を奪い、鼻を咬み、神経質に次々と取り出す


健:・・・みんな自分のことばかり言ってる。いつも喧嘩ばかりやってる・・・パパはお酒飲んで嫌なことばかり言う・・・ママはパパに嘘をつく・・・姉さんはパパとママに逆らってばかりいる・・・頭がおかしくなる・・・うう、おかしくなる・・・おかしくなる・・・ぼくは、頭がおかしくなる・・・


ティッシュの山ができる
家族が寄ってくる


早苗:・・・健・・・

豊:大丈夫か、健?

寛子:いいから、あなたは口出ししないでください。

豊:だって、お前・・・

寛子:「子育てはお前の仕事だ」と言ってたじゃないですか。ご忠告どおり家のことは私が、一人で決めて、私、一人で、全部やってきました。今さら介入しないでください。

豊:だって、お前・・・

寛子:だって、だって、だって・・・言い訳ばっかり! ・・・死んでもあなたなんかの手は借りませんから!

豊:・・・(殴って)そんな言い方があるか!

寛子:暴力ですか? 今度は暴力ですか!?


立ち上がった健が身体を震わせ、ティッシュを何枚も鼻に当てながら親をにらみつける
奇声を上げながらティッシュの山を投げつける健
茫然と見つめるままの家族


女:・・・(笑いながら)この家族を、ぶっ壊してやるんだ・・・


恐怖の表情でチロリンマンに見入る家族
音楽
暗転



(3)
全員が食卓を囲み、「最後の午餐」といった雰囲気でラーメンを食べている
家族四人の首には、なんと首輪がはめられ長いロープでつながれている
元気よく食べているのはチロリンマンだけである
彼女は油の乗り切った年増といった風情になっている


女:・・・ラーメンか、これがラーメンかあ。うまいなあ・・・(泣いて)あたし、ラーメン食べさせてもらったことなかった。人がうまそうに食べてるの、「あれ何だろう」って、いつも横目でにらんでた。悔しい。人生返せ! ・・・食べないの。もらっていい?

寛子:・・・(無言で差し出す)

女:ありがと。袴田家の最後の午餐はラーメン。洒落てるなあ・・・みんなもっと楽しそうに食べようよ。・・・パパ、会社行かなくていいの?

豊:・・・

女:ママ、デート行かなくていいの?

寛子:・・・

女:健、学校行かなくていいの?

健:・・・

女:早苗・・・

早苗:いいの。迎えがくるから。

女:・・・ママ、お料理とっても上手・・・あたしね、いつも独りで黙って食べてたの。味気ないのよ、クスン。家族ないの。独りぼっちなの。ちっちゃい頃むりやり母親と引き離されて、よそん家にもらわれていって、そのまま生き別れなの。おかあさん、一人で子ども育てていく力なかったのね。兄弟五人、みいんなばらばら・・・おかあさあん! おにいちゃあん! おねえちゃあん! クスン。

早苗:・・・おとうさんは?

女:あんな奴知らねえ。おふくろ胎ませたまま、プイといなくなっちゃてい!

早苗:すごい話ねえ・・・

女:男なんて、やるだけのことやりゃ後は知らんぷり・・・(泣いて)あたし、子どもほしかったあ。

早苗:はえ?

女:あたしね、子ども産めない身体なの。ああ、どこまでも不幸せな女よねえ。

寛子:・・・(豊に)会社にいつ言われたんですか?

女:あたしの聞くも涙、語るも涙のお話興味ないの?

寛子:はい。

女:子ども持った女って、薄情ねえ。

寛子:会社にいつ言われたんですか?

豊:・・・

女:今週の月曜日。

寛子:どうして一週間も黙ったまま・・・いつだってそうなんだから。

豊:・・・

早苗:ママ、いつから付き合ってるの、木村さんと?

寛子:・・・

女:二週間前の慰安会の後申し込まれたの。でも安心して、未遂だから。

早苗:そういやママ、この頃下着が派手ね。

寛子:・・・

健:姉さん、いつアメリカ行くんだよ。

早苗:・・・

女:来年五月。三〇〇万の資金貯めたら出発。

健:もう帰ってこなくていいからな。

早苗:・・・

豊:健、前にも学校さぼったことあるのか?

健:・・・

女:あるよ。

寛子:いつ!?

女:九月六日。木曜日。体育で跳び箱あるからさぼったの。跳び箱嫌いだから。

健:・・・

早苗:(女に)なんであんた、そんな、何もかも知ってんのよ!?

女:この家のボスだから。


沈黙の中で、女がラーメンをすする音


早苗:(首輪に手をやって)なんとかしてよ、これ。

女:いや?

早苗:犬じゃないんだから・・・

女:犬ならいいの?

早苗:犬ならいいわよ。

女:(怒って)どうして犬ならいいの。犬に聞いてみた。犬なんて言ってた?

早苗:なに興奮してんのよう。

女:ガキが生意気言うんじゃないよ。何でい、あんたが人生の何を知ってるってのさ。若いってことは若いってことだけで、自慢でも何でもないんだよ。

早苗:自慢なんかしてないわよ。

女:してるじゃない。肌ピチピチ光らせて、身体全体プリンプリンさせてんじゃん。座ってるだけで若いって自慢してるし、立ってても食べててもあくびだって「若い」ってやってんじゃん、頭くる!

早苗:そういやあんた急に老けたわね。

女:・・・女の一生は短いのねえ。ウッ、胃がもたれる・・・

豊:・・・(健に)もっと食べなさい。

寛子:(健に)食べたくないわよねえ、こんな時に。

豊:朝だってほとんど食べなかったじゃないか。

寛子:食べたかったら食べるわよねえ。

豊:チャーシューとわかめとほうれん草食べなさい、後はいいから。

寛子:チャーシューとわかめとほうれん草嫌いだもんねえ。

豊:(寛子に)とめるなよ。

寛子:えっ?

豊:・・・俺が息子に話し掛けるのをとめるなよ。

寛子:止めてませんよ。

豊:止めてるじゃないか。俺が何か言うたびに、おまえ必ず止めるじゃないか。

寛子:そんなことありませんよ。

豊:やってるじゃないか、前から一度言おうと思ってたんだ。

女:前からって、いつから?

豊:・・・早苗が生まれてからだ。

女:あの子十七才よ。

豊:じゃあ十七年前からだ!

寛子:・・・!


夫婦の会話が途切れる


女:・・・もっと何か言ったら?

豊:・・・(食べながら独白のように)二人でやり合うと切りがない。俺はいい加減でやめようとしても、こいつは一度火がついたらやめない。それが三〇分つづいて、最後に俺が無責任だと非難されてやっと解放される。家庭平和のために夫婦は会話せん方がいいんだ。

寛子:あなたこそ、自分で言いたいことだけ言うと、後はいっつも知らん顔じゃないですか。いっつもですよ。あなたの永劫不変の態度です。

女:永劫不変・・・!

豊:夫婦なんて、どっちがどっちの責任ということはないんだ。

寛子:誰が責任なんて言いました。

豊:(気色ばんで)そうじゃなくて・・・!


豊が箸を放り出して、腕組みをする
寛子が右手を左肘に当てる
健が奇声を上げて、立ち上がろうとする


寛子:(捕まえて)健ちゃん・・・ごめんなさい・・・ごめんね。


寛子は健を座らせ、その背を撫でる


寛子:・・・あなたがそれでいいなら、私はもういいんです。


健がおさまる
家族が無言になる
先刻からのこの一連の動作はまるで儀式のように展開される


女:ごちそうさまでした・・・はい、全員で!

全員:(小さく)ごちそうさまでした・・・

女:じゃあ、解散。


戸惑う家族


豊:解散て・・・!

早苗:遠足じゃないわよ。

女:みんな出ていきなさい。何ならみんなでこの家ぶっ壊して出ていこうか。

寛子:ローンが残ってます。

女:あたしがボス、この家の。

豊:挑発に乗るな。

女:なぜ解散しちゃいけないの。こういう家族は必要ない。あること自体犯罪的です。

豊:馬鹿を言うな。

女:馬鹿言ってるのはあんたでしょうが。家族って何?・・・陽が落ちて、からすがカーと飛び去る頃、父親が疲れた足どりで帰ってくる。真っ先に気付くのは、可愛いかしこい器量のいい飼い犬。主人の匂いを嗅ぎ分けて、一声ワンと吠える。「あら、おとっつあんのお帰りよ」。

寛子:おとっつあん・・・!

女:出迎える家族の顔、顔、顔。「お帰りなさい、お疲れさま」「ただ今、ほら、今日の稼ぎ賃。あまり稼げなかったよ」

豊:家は銀行振込だ。

女:「家族のために頑張っているおとっつあんってほんと頼もしい。ありがと」「何言うんだ、おまえや子どもたちの喜ぶ顔が見たいから辛い仕事にも励めるんじゃないか」

早苗:うそっ!

女:息子が座り込んだ父の背中においかぶさって甘えてくる。「おっとう、お帰り!」

健:おっとう・・・!

女:「おっとうの背中でっかいね。お日様と汗の匂いがする。ぼくこの匂い大好き」「息子よ、おまえも大きくなったらおとっつあんのように一生懸命働いて、家族を守っていくんだぞ」「うん、ぼく大きくなったらおっとうのような大人になる」

健:ならない!

女:傍らで、思春期にさしかかった娘がちょっと恥ずかしげに声をかける。「おとうさん、お風呂わいたわよ。汗を流したら」「そうか、ありがと。でもおまえ髪を洗いたいんだろ。先に入っていいんだぞ」「ううん、後でいいの。おとうさんの垢と匂いが髪にしみついたって、あたしうれしいくらい」

早苗:ウエーッ!

女:「じゃあ先に入らせてもらおうかな」「お風呂から上がったら、冷たいビールが待ってますよ。一本だけだけど。あたしも一口もらっていい?」「ああいいとも、家族四人で一本のビールをなめ合おう」「ぼくと姉さんはまだ子どもだから、ビールは飲んじゃいけないよ」「アハハ、そうだった。おとっつあん、いけない親になるところだった」「じゃあ、弟よ、あたしたちは冷たい麦茶で乾杯しましょ」「どれ、ひと風呂浴びて汗と疲れを流させてもらうかな。ドッコイショ」「やだおとうさん、ドッコイショだなんて」・・・娘はつい大きく笑ってみたものの、自分たちを養うために必死で働いている父の後ろ姿に、ふと涙ぐんでしまうのだった・・・このイメージにどこかひとつでも当てはまるものがあんたたちにありますか。この袴田家にありますか。


沈黙する家族


早苗:いつの時代の話・・・?

豊:うちはサラリーマンだから・・・

寛子:ビールぐらい好きに飲めますよ。

健:パパの汗って見たことないもん。

女:・・・こんな家族は、解散しろ!

豊:無茶な!

女:ぶっ壊してやるんだ!

寛子:やめてください!

女:よし、最後の一押し。家族四つどもえのバトル・ロイヤル。

家族:いやだ!

豊:抵抗しろ。家族で団結するんだ。家族を守れ。団結こそが家族を救う。(急に歌い出す)♪「ああ、インターナショナル、われらがとも・・・

女:それ何の歌?

豊:「インターナショナル」、昔とったキネヅカ。

女:青春の血を思い出したか。負けるものか! (歌い出す)♪「十五、十六、十七と、私の人生暗かったあ・・・

健:パパ、影響されてる。

早苗:すぐ興奮する。

寛子:馬鹿っ!

女:あるでしょうが、こういう男に対して、溜りに溜まった不満があるでしょが。

早苗:あるわよ。

女:吐き出せ。一気に吐き出せ!

健:いやだ!

豊:挑発に乗るな!

女:ママ、結婚生活二〇年、一度は思い切り不満吐き出したらどうなの! 「なんて男だこいつは・・・」

豊:だまれ!

女:自分勝手、無責任、無節操。外面はいいくせに家のなかではむっつり不機嫌。何かといえば会社会社、仕事仕事、会社と結婚したのかおまえは!

早苗:そうそう!

寛子:・・・家族のことなんかに関心ないんです、この人は。

豊:やめろ、おまえ!

女:それから?

寛子:帰ってくるのはいつも十二時。残業があろうがなかろうが毎晩飲んで帰るんです。

女:それから?

豊:やめろったら!

寛子:たまには早く帰るように頼んでも、翌日もやっぱり十二時。休みの日にゴルフにも行かず、珍しく家にいるかと思えば一日中ごろ寝。子どもが淋しそうに近寄ってきても知らん振り。どこに連れて行ってやるでも、キャッチボールの相手ひとつしてやるでもない。

豊:おい・・・

寛子:自分の物はなんだってホイホイ買って帰るくせに、子どもやわたしの為に何か買って帰るといったこともない。一緒に暮らしている者を気遣うということがないんです。家族の喜ぶ姿を見て楽しむということがない。思いやりがない。気配りがない。あたしが側にいても何一つ話し掛けるでもなく、ごろんと腕枕でテレビを見てるだけ。たまに出すのは「あれ取れこれ取れ」の命令とオナラとゲップ。新聞で読むところは株価とスポーツとテレビ欄。持ちかえる雑誌はいやらしい記事と写真ばかり。無教養。無責任。芸術性文化性まるでなし。

健:ママ・・・!

女:・・・それから?

寛子:しゃべらない。笑わない。冗談のひとつ言えない。食べる時だってむっつり黙り込んで口をくちゃくちゃ言わせて、気持ち悪いったらありゃしない。センスもないくせにやたら見栄っぱり。でっ腹を気にしてお腹の肉摘んでため息ついてるくせに自分から努力してダイエットしようって気がまるでない。お風呂から出た後いつまでも裸でいて、それで風邪ひいたって人のせいにするの。やたら嫉妬深くて何だかんだあたしを拘束するくせに、まともな愛情表現がまるでない、忘れた頃に要求してくるセックスだってまるで自分勝手な一方通行。

豊:寛子・・・

寛子:子供との約束を平気で破って、それをみんなわたしと仕事のせいにする。真っすぐ子どもの目を見たこともなければ強く抱き締めたこともない。薄情で、人生の喜怒哀楽ってものがないんです、人間としてどこか変なんだってことに気付いてないんです。こんな男と二〇年一緒にいるんです。二〇年ですよ。もうどうしたって取り返しがきかない。諦めるしかないんです。

豊:そんな・・・

寛子:やっぱりやめた。子どもの前で喧嘩したくありません。

女:もうやってるよ。

早苗:自分はどうなのよ。いつだってこうなんだから。いつだって人のこと責めてんだから。自分勝手で、自分本位で、心が渇いてて、ぎすぎすしてて、まわりじゅうの人間の気分を暗くしちゃうの。

寛子:なんであんたがパパの味方するのよ。

早苗:味方してない。ママという人間を分析してるの。

女:いいぞう、やれやれ!

豊:やめろって、早苗・・・

早苗:ママの側にいるとイライラしちゃう。どうしてこう周りの人間をいらつかせるんだろう。甲高い声で、どうでもいいようなことをベラベラクチャクチャ、人が聞いていまいがのべつまくなし独り言。独り言ならまだ我慢できても、何かというと「あれやれこれやれ」って先手打って命令する。そのくせこっちから何か聞いても、肝心なことには何一つ答えられない。自分じゃ何一つ努力しないくせに、他人にはいつも努力を要求すんの。自分の人生あきらめてる母親に限って子どもに厳しいの典型。親の欲求不満のはけ口で子ども育てられたんじゃ、子どもはいい迷惑よ。

健:ママの悪口を言うな!

女:よっ、大統領!

寛子:健ちゃん、ママを助けて。

健:おまえこそ人をいらつかせるじゃないか。

早苗:あんただっていらつかせるよ。

健:昼間部屋に閉じこもって、夜になると降りてきて、家中歩き回る。まるで熊だ。

早苗:それ五年前の話。

健:豚みたいに家中の食べ物食っちゃうし、トイレでオットセイみたいな声上げるし、牛みたいに黙り込んだかと思うと、狼みたいに吠えまくるし、猿みたいにママに喧嘩吹っかけて、ぼくには猫みたいに冷たいんだ。

女:犬は出てこないな。

寛子:健ちゃん、偉い、よく言った。

健:朝出てった切り夜遅くなっても帰ってこないし、日曜日だって出掛けてばかりだし、脱いだものその辺にほったらかしだし、家の手伝いなんてやったことないし、口の利きようが横着だし、すぐカッとなって喧嘩腰。家の中でテレビ見てるとき以外に笑ったことないんだ、こいつは。

早苗:あんたなんて笑ってばかりじゃない。おもしろくもなんともないのに、パパとママの顔ちらちらのぞいて、ニタニタゲラゲラ、顔歪めて無理して笑っちゃって。あっ、無理してんだ、あんた!

健:うるさい!

寛子:健、頑張れ! 弟いじめて何がうれしいのよ。

早苗:いじめじゃない。喧嘩よ。

豊:姉弟喧嘩にいちいち親が口を挟むな。だいたいおまえは・・・

女:おうっ、真打ち登場!

豊:お前は・・・(表情が険しくなる)いかん。子どもを叱ってばかりいる。

女:そうそう・・・

寛子:・・・あなたが叱らないからよ。

豊:俺が叱ったら、もっと悪くなる。早苗で失敗したじゃないか。

早苗:ははあっ!


次の会話の間、女が手近な武器(ゴルフクラブやホーキなど)を探して、「あんた、これ持つ?」といった調子で手渡していく


寛子:それを恐れて、自身がないもんだから、いつも黙り込んで無関心を決め込んで。覚悟を決めればいいのよ。

早苗:ははあん!

豊:こいつが悪くなるのは、お前がいつもこいつの神経を逆撫でするからだ。俺までそれをやったら地獄だ。

寛子:(怖い顔で)私を叱らないで、この子を叱ってよ。それができるんなら、堂々とやってごらんなさいよ。子どもに勝手ばかりさせて、親だけ我慢してるなんておかしいわよ。

豊:お前が何を我慢してるんだ。早苗を無視してるだけじゃないか。

寛子:あなたに子どものことをいう資格なんてないのよ。

豊:だったら、陰で愚痴愚痴文句言うのをやめろ。

寛子:あなたなんて、何もわかってないのよ!


腕を組む豊
肘をつかむ寛子


健:・・・頭がボーッとする。光がパチパチする!

寛子:健!

女:怒れ、怒れ、みんな怒れ!

寛子:たすけて! 健がおかしくなる!

豊:だいたいおまえは・・・

女:ほうら、乗ってきた!

豊:だいたいおまえは・・・

寛子:もう嫌。私やりません!

豊:お前は口喧しい。何かというと喚きたてる。ヒステリーだ。

寛子:あっそう、それならそれでいいじゃないの。もう話し掛けないで。

豊:ほら、最後にゃ必ずそれだ。後はだんまり。自分勝手。自分本位。世間体第一の見栄っぱり。しゃべる言葉はいつも他人との比較と愚痴ばかり。息子への過大な期待と構いすぎ。そのくせ気の合わない娘の方はほったらかし。子どもと亭主を管理して、自分の思い通りにしないと気が済まないんだ。手柄は自分の力と思い、不都合は亭主や世間や学校のせいにしてすませる。そのくせ自分てものがまるでない。夜のことだって俺から誘わないかぎりちっとも乗ってこない。それも義務的でくそおもしろくもなんともない。色気がない。子どもに対して俺を立てない・・・


豊が腕を組む
寛子が肘をつかむ


健:・・・パチパチする。頭の中で光がパチパチする・・・

寛子:健!

健:悪魔がいる。この家には悪魔がいる!

早苗:(反射的に)健・・・

女:(笑いながら)いいぞ。ぶっ壊しちゃえ。家族崩壊、解散だあ!


健をなだめようとする母と姉
父は一人、自分のなかにいる


豊:・・・だいたいおまえは、俺に優しい言葉をかけてほしいんだろが、俺うまく言えないんだ。お前も俺の気持ちがわかってない。

寛子:(突然泣きだして)優しい言葉じゃない。何度言ってもわかろうとしない。仕事仕事、肝腎の時には決まって逃げる。

豊:俺だってお前に我慢してる。

寛子:何我慢してるのよ。

豊:お前は・・・俺と向き合おうとしない。

寛子:あなたのことよ。あなたが私と向き合わないのよ。あたしが話し掛けて、まともに答えてくれたことがあった。子どものことでも、学校のことでも、近所のことでも、あたしが何か言うたびに、「うるさい、好きにしろ」と横を向いてしまうのは誰?・・・いっつも同じ。まったく同じパターン。それがもう二十年続いてる。二十年よ。あなたにとってあたしはいったい何? 家政婦? 埃をかぶった置物? あたしは生きているのよ。あなたと同じ屋根の下で、あなたと同じ空気を呼吸して、ひとつの家族を作っているのよ。夫婦ってこんなものですか。あなたは男でもあり、夫でもあり、父でもあり、社会人でもあるのよ。それが大人ということでしょう。なのにあなたには会社のことしかない。大人として完全に欠陥人間なのよ。二十年間ずうっとこうだった。諦めるなと言うほうが無理よ。

豊:お前だって、俺が何か話題にしようとすると・・・

寛子:会社の誰がどうした、誰がどう言った、そんな話題に関心ありません。

豊:それを聞いてほしいんだ! ・・・お前に、それを聞いてほしいんだ。俺の愚痴に、一緒になって悔しがってほしいんだ。「本当に憎らしいわね、あいつそんなこと言ってんの。なんて上役なの」って一度でもいいから一緒に怒ってほしかったんだ。そうすりゃ俺だって、いつまでも愚痴ばかり言ってちゃつまらん。もっと楽しい話をしようって思う。女房の愚痴も聞いてやらにゃあ、他の話も聞いてやらにゃあって思う。それをお前は、最初の俺の一言でピシャリと断ち切っちまう。「つまんない人ね」って目で睨みつける。黙り込むしかないじゃないか。思いやりってものがないんだ、お前は。この二十年、お疲れ様、ご苦労様といった言葉さえ聞いたこともない。

寛子:言ってます。

豊:晩酌の一本でも付けて「はい」ってにこやかについでくれる思いやりがほしいんだよ。亭主をちょっといい気に、ほんのちょっとでいいんだ。ほんのちょっといい気にさせてくれるような心配りがあれば、俺だって家の中が・・・

寛子:あなたには思いやりがあるって言うの。(健を指して)この子が四才の頃よ、あなたと一緒にお風呂に入ってすぐ、この子が身体も頭も洗わずに出てきたんです。「パパが出ろと言った」というじゃありませんか。お風呂の中で楽しく騒ぐ子に、あなたは「うるさい。早く出ろ」と怒鳴ったのよ。

豊:だって、それは・・・

寛子:そういう人よ。お義母さんが亡くなった時だって、自分の母親なのに涙一つ見せなかった。なんて薄情な人だろうって・・・

豊:そうじゃない。俺が泣かなかったのは、泣けなかったのは・・・


豊が腕を組む
寛子が肘をそえる
健がもがきだす


女:そろそろ殴り合ったら?

健:・・・頭の中に悪魔がいる・・・ぼくの頭の中に悪魔がいる!

寛子:健!・・・しっかりして!

豊:俺が泣けなかったのは、俺が一度・・・寛子、こっちを向け!

寛子:黙ってて! 健が・・・!

健:悪魔がぼくを食いちぎる。ガリガリ食いちぎる。ガリガリ、ガリガリ・・・!

豊:寛子、こっちを向いてくれ。俺はお前と話をしてるんだ。

寛子:後にして!

健:痛あい。痛あい・・・(何かに向かってホウキを振り回して)この野郎、この野郎!・・・

豊:(すごい迫力で、健に)うるさい! 俺は、今、寛子と、話をしてるんだ!!


健がぎょっとして立ちすくむ。静になる
全員が父親に集中する


豊:・・・俺が泣けなかったのは、俺は一度、お袋を・・・殺しているからだ。

全員:・・・!

豊:・・・お袋は、俺がいくつになっても追い掛けてきた。大学を家から遠いところに選んでやっと離れられるとホッとしたのに、お袋はそれでも追い掛けてきた。大学を出て、働きだしても、「どの会社がいい。誰それにどういう手紙を書け。お中元やお歳暮はこちらから贈るから心配するな。花嫁さんは私が選ぶから楽しみにしてろ」・・・俺はいやと言えなくて、うるさいと言えなくて・・・心の中で、二四の春、お袋を殺した。

早苗:パパ・・・!

寛子:・・・(ぽつりと)そんな・・・

豊:お前を家に連れていって、「この人と結婚する」と宣言した。お袋はにこやかに応対してくれた。それが不思議だった。俺は修羅場になるのを覚悟していたんだ。

寛子:・・・あなたはやたら緊張していた。お義母さんから歓迎されてない、そう直感した。

豊:あの時、お袋はお前を親父に任せて、俺を自分の部屋に呼び込んで、大事にしまっておいた見合いの写真の束を黙って俺に投げ付けた。その目が狂ったようにぎらついていた。その瞬間、俺とお袋の関係は終わったんだ。・・・病気がちの親父の代わりに一人で家族を支えて、俺だけが生きがいという人生を送ってきたお袋を・・・俺は、捨てた・・・(子どものように泣きながら)母さん、あんたは弱い親父を憎んでいたんだ。そして俺に期待した。小学二年の時だよ。友達にいじめられて泣いて帰った俺に、「お父さんみたいになるな」と怒鳴って、ひっぱたいた・・・母さんが鬼になった・・・怖かった・・・母さんは鬼だ。どんなに優しくても、どんなににこやかでも、母さんは鬼だ・・・僕、怖かった・・・


泣きじゃくる豊
沈黙


早苗:・・・(叫ぶ)同じじゃない。私と同じじゃない!・・・私も親を捨てた! あたし、昔からパパとママがいがみ合うのが一番怖かった。ママがパパの悪口を言う。私を捕まえて、「パパとママ、離婚したら、あんた困る?」って、何度も何度も聞いてくる。私に聞かれたって、私どう答えたらいいか、私まだ小学生なのに・・・ママはそんな時とても優しかった。いつもは怖いのに、優しい目で私の顔色うかがいながら話してた。怖いママと優しいママ、一緒にいると何だかドキドキしてくる・・・自分が怖い。口を開くと嫌いではないはずのママを攻撃してしまう。攻撃してママを傷つけた自分を駄目な人間と思い込んで、また落ち込んでしまう・・・私、自分がどこにいていいか、何をしたらいいか、自分がなくなってしまって、ここから逃げなくてはって・・・だから親と会話するのをやめた。存在を無視した・・・自分を殺したくないから、親を殺した。

寛子:・・・早苗!

早苗:私が悪い子になって、親に迷惑かけているかぎり、パパとママ、喧嘩しなくなった・・・そう、私、悪い子でいるほうが楽だった。ママだってそうだわ、パパと喧嘩してるより、私と喧嘩してるほうが楽だった。・・・(悲鳴のように)健も! ・・・健も! ・・・この子、私と同じことやってんだ!

寛子:健!?

豊:・・・どういうことだ!?


三人の視線が健に集中する
ティッシュをもてあそんでいる健


早苗:・・・気づいてたの。健のこと、私、どこかで気づいてたの。でも健に目を向けたら、また昔の私に戻ってしまう・・・せっかく無視してきたのに・・・親のこと、無視してきたのに・・・

健:・・・朝起きて、ママの顔を見ると、ムカムカしてくる・・・体のなかに変な虫がわいてくる・・・虫歯の角のはえたバイ菌みたいな・・・この辺にいて、それからゆっくり上がってくる・・・何千匹も、バイ菌が・・・ぼくの体のあっちこっち歩き回って・・・それが頭にやってくる。頭の中をバイ菌が歩き回って・・・ぼくは・・・おかしくなる・・・


立ち尽くす家族


早苗:・・・この子、あたしの身代わりやってんだ。それが重たいって・・・あたしの分まで背負おうとして、頑張って、へとへとになって・・・


早苗が自らの首縄を外して、近づき、静に健を抱く


早苗:・・・(泣きだして)健・・・ごめんね・・・ごめんね・・・

寛子:・・・健・・・


展開の意外さにとまどうチロリンマン


女:・・・あれ、どうしちゃったの? 首縄勝手に外しちゃ駄目よ。もっと喧嘩しなよ。ほら、これで殴りあったら? 手伝おうか?・・・あれ?・・・


豊が自ら首縄を解く
女を押し退け、静に健に近付く


豊:・・・こいつは見抜いていたのか、おれ達の嘘を・・・いいんだぞ、健、お前はまだ子どもなんだ。自分のことだけ考えていればいいんだ。パパとママのことはパパとママだけで解決していく。もうおまえは早苗の身代わりにも、パパとママの裁判官にもならなくていいんだ。・・・すまなかった。


豊が、健の首縄を解いてやる


寛子:・・・(驚いて)あなた?

女:取っちゃ駄目よ、首縄・・・

豊:(妻に)お前も謝れ。子どもたちに謝れ・・・(子ども二人に、土下座して)すまなかった。すまなかった・・・(妻を振り向いて)寛子!?

寛子:・・・(突っ立ったまま)わかりません、あたし、わかりません!

豊:(土下座を繰り返して)すまなかった・・・すまなかった・・・

女:あれ? 何? どうしたの? もっと喧嘩・・・取っ組み合いの・・・殴り合いの・・・あれ?・・・


音楽
暗転



(4)
家族が虚脱している
家族の首輪とロープが取られ、チロリンマン一人にかけられている
チロリンマンにいくらか老いの表情が見える
外を「物干し竿の販売・・・」といった車が通っている
玄関先で、訪問者に応対している寛子の声がする


寛子の声:ええ、まあ・・・ですから・・・いえ、もう・・・壁の塗り替えどころじゃないの。この家ぶっ壊れそうなの(男の悲鳴)・・・間に合ってます!


ドアがバタンと閉まる


健:この女どうする、姉さん?

早苗:散々いじめられたからな。仕返ししてやる。芸でも仕込むか。

健:家事のただ働きさせるってのはどう。

早苗:いいわね。

女:一気に連帯しちゃって、乗りの軽い姉弟。

早苗:この人急にふけこんだと思わない?

女:(ワッと泣いて)あなたはそんなにも若くて美しい。あたしは醜くしわくちゃになるばかり。

早苗:美しさとは心の内面からにじみ出るものなのよ。

女:ウソッ! 醜い女の心の内面なんかに男は興味持ちません。ああ、息切れがする・・・

早苗:一生を一日で生きる変わりよう。

健:蝉より短い。

女:お腹すいたなあ。ご飯まだですか。

健:さっきラーメン食ったろう、他人の分まで。

女:そうだっけ。あれ食べたいな、ほらあれ、なんでしたっけ、ほら、赤くて甘くて柔らかくて、お汁がポタポタたれてる、ほら・・・?

健:お肉?

女:お肉。食べたいなあ。うんと柔らかいとこ。歯がガタガタしだしたから。さっきの、なんでしたっけ、ほら、黄色くて長あくて塩辛くて、ほら・・・?

健:ラーメン?

女:ラーメン。あれだけじゃお腹がもちませんもの。でもほんとにいただきましたっけ?

健:ぼけてやんの。

女:(首輪をさして)これ、外してくれません?

健:いやだ。

女:なんでこうなるの。

健:おれ達のボスになろうなんて、フテエばばあだ。

女:そのへらず口を閉ざしてやりたい。

健:こっちころ閉ざしてやる。ばばあの口も目もカンオケの蓋も。

早苗:健・・・

女:なんて口を利くんだ。ああ、あたしに子どもがいたら、こんな子どもには育てなかった。

早苗:どうして子どもを産まなかったの、おばあさん?

女:お黙り。ひまわりをタンポポって呼んだら、ひまわりは怒るだろう。

早苗:どうして子どもを産まなかったのですか、おばさん?

女:お黙り。子どものいない女をつかまえて「どうして?」なんて聞くんじゃない。産みたくても産めない事情の女がいっぱいいるんだから。

早苗:おねえさんの場合は?

女:残酷な質問するんだね。手術を受けさせられたんだよ。貰われてきてすぐ、子どもを産めない手術を受けさせられたんだ。

早苗:ほんと!?

女:ほんの小娘だったのに。憎いんだ、あたしゃ。あたしを子どもの産めない女にしやがった、そいつらが。

早苗:何かすごい話ねえ。

女:信じないの?

早苗:なくはないけど・・・あたしね、あんたに感謝してんの。

女:感謝?

早苗:あんたのお陰で、家の中の何かが壊れて、かえってすっきりした。

女:・・・台風か、あたしゃ。

早苗:パパとママの、あんな激しいやりとり始めて見た。二人とも、堂々と本気だった。何か、かえってすっきりした。健だってそうでしょう。あんた、すっきりしてるじゃん。

健:・・・わかんない。

女:馬鹿野郎。すっきりされてたまるか。この首輪外せ!・・・あら、膝が折れた。


別の一角に、夫婦が並んでかしこまっている


寛子:あの人どうするんです。寝込まれでもしたら困りますよ。警察に電話してみましょうか・・・(ぼそっと)「もう一度生き直したい」。

豊:えっ?

寛子:結婚のプロポーズの時のあなたの言葉。「もう一度生き直したい」・・・

豊:「もう一度生き直したい」・・・

寛子:どういう意味かって聞いても、あなた答えては下さらなかった。

豊:答えようがなかった・・・君との結婚に期待していた・・・期待していたんだ。それなのに・・・


見つめ合う夫婦


寛子:・・・駄目な人ね、あなた。

豊:・・・駄目な奴だ、おまえは。

寛子:・・・母親としての資格がない、あの子たちあたしにそう言っているのかしら・・・頑張ってきたのに、あんなに一生懸命頑張ってきたのに・・・

豊:健の奴、そんなに学校を嫌がっていたのか。

寛子:そんなこと・・・考えられませんよ。

豊:(ぽつりと)学校に行く行かないってことが問題じゃないのかもしれん。

寛子:・・・?

豊:おれ達を困らせたいだけなのかもしれん。さっきの身代わりってやつ。健が早苗の代役で親を困らせている限り、俺たちが健に振り回されてる限り、俺たち夫婦はいがみ合わなくてすむ。健は無意識にそれを狙ってるんだ。


夫婦は改めて不思議なものをみるように、健に注目する
豊が立ち上がって、健に近付く


寛子:・・・あなた。

豊:どうだ、健、久しぶりにパパとゲームやろうか。

女:あたしゃそんな元気ありません。

豊:何年ぶりかなあ。パパが覚えているかぎりで言やあ、おまえが四年生になる前、一日中オセロゲームをやって・・・

健:三五勝十七敗で、ぼくが勝った。

豊:そうか・・・パパも覚えてる。本当だよ。・・・さあゲームをしよう。


豊、部屋の中央に、椅子をひとつ据える


豊:「椅子取りゲーム」だ。

健:・・・?

豊:健、お前が今座っている椅子、それは「パパとママの椅子」だ。そして、これが「健の椅子」。お前はいつもそれに座っている。座り慣れた椅子だ。だがそれは「パパとママだけの椅子」なんだ。もうお前に座ってほしくない。パパとママはなんとかしてもおまえが「パパとママの椅子」から離れて、「健自身の椅子」に座るようにしようと思う。おまえは抵抗するだろう。おまえが勝つか、パパとママが勝つか、これがゲームだ。いいか・・・?


ハラハラと見守る寛子と早苗
息子に向かい合う父
そわそわとし出す健


女:あたしを無視して、ゲームなんぞやらないでくださいな。

豊:・・・さあ、お前の椅子に座れ

健:・・・いやだ。

豊:座るんだ。

健:いやだ。

豊:いつまで自分を誤魔化すつもりだ。

健:かまうもんか。

豊:もう、お前の狙いは通じない。パパとママはお前なんかに負けちゃいない。

寛子:・・・座りなさい、健。

健:いやだ。

寛子:ママはもうあなたに味方になってもらわなくてもいいのよ。

健:・・・


女、ステレオのスイッチ・オンにしてふてくされたように寝そべる
中島みゆきの歌が聞こえてくる


豊:言葉だけじゃ聞かないみたいだな。

寛子:座りなさい、健。

健:嫌だ。どうしても座らせるなら、死んでやる。

豊:死なせるものか。親を舐めるな・・・座れ。


豊が健の体を抱え、「パパとママの椅子」から引きずりおろす
健は暴れながら、「健の椅子」を蹴飛ばす
寛子がそれを元に戻す


寛子:・・・(躊躇して)あなた・・・!

豊:親が躾けるんだ。親が勝つんだ。


乱闘になっていく
涙ながらに見守る早苗


豊:座れ。

健:いやだ・・・助けてくれ・・・ママ、ママ、助けて。姉さん、助けて・・・馬鹿、馬鹿、馬鹿野郎!・・・

豊:座れ!

健:いやだあ!

早苗:・・・パパ!

豊:お前の出る幕じゃない。引っ込んでろ!


壮絶な戦いの果てに、力ずくで「健の椅子」に座らされる健
その前に仁王立ちする豊


豊:・・・(荒い息で)どうだ、逃げられるものなら逃げてみろ・・・パパとママの勝ちだ!


泣きじゃくる健


女:・・・格好ぶっちゃって(がっくりする)。


音楽高まる
暗転(短く)



(5)
虚脱後の開放感にふけっている家族
健が、父にもたれるようにしてソファーに座っている
その表情は落ち着いている
チロリンマンがめっきり老けて弱っている
外で、車のクラクションが鳴る


早苗:来た! ・・・(縁側から身を乗り出して)ハアイ、サッチン、電話待ってたのよう。待ってて、すぐ行く!

寛子:親を捨てるの、早苗?

早苗:・・・捨てなきゃならないじゃない。・・・(女に)あたし出ていっていい?

女:どうぞ。

早苗:ありがと。我が家の解散式中止ね。

女:延期よ。


二階に上がる早苗


豊:申し訳ありませんが、あなた、もう出ていってくれませんか。

女:あんたつくづく見ると、結構いい男だったのねえ。・・・最後の頼みがあるんですけど。

豊:なんです?

女:あれ戴けません。ほらあれ、なんでしたっけ、赤くて柔らかくて、お汁がぽたぽた・・・

豊:肉、ですか?

女:お肉、なるべく上等なとこ。

豊:・・・寛子、チロリンマンさんが肉だって。

寛子:・・・焼くんですか?

女:生でいいんですよ。

豊:なま!?

寛子:・・・(肉を渡して)ほんとの生肉ですよ。お土産になさるんですか。包みましょうか。

女:・・・(奪い取って包装を破って、むしゃぶり食う)おいしい!

家族:ああ!?

女:やっぱりお肉が一番ですわねえ。


食いながら、よたよたと出ていこうとする女


健:おばあさん、出ていくの?

女:ああ、行くよ。坊やにお会いした朝にはまだほんのネンネだったのに、出ていく今はもうお婆さん。「光陰矢のごとし」って、ほんとね。


よろけるチロリンマン


豊:だいじょうぶですか?

女:追うな!・・・あたしを追わないでくださいな・・・あたし死ぬのかしら・・・死出の道連れ、最後の逆襲、したかったのに・・・あんたたちを憎みきれなかった・・・愉しい時もあったものねえ。

寛子:あの・・・

女:追うなと言ったでしょう!

寛子:いえ、ロープが・・・


女が延びきったロープにつんのめる


女:・・・あいたたた・・・忘れてた・・・!

豊:大丈夫ですか。

女:(手助けしようとする手を振り切って)自分でやります。あたし、一度、この綱と首輪、自分の手で、外してみたかった・・・(外して)はずれた・・・外れたわ・・・


泣き笑いするチロリンマン
やがて、「クイーン」と鳴いて、四つ足で庭に這い出していく


寛子:・・・あの人、いま逆襲って言いました?

豊:逆襲と言った。

寛子:あたしたちが何かしました?


早苗が荷物いっぱいで降りてくる


早苗:あの女は?

豊:出ていった。

早苗:そう・・・じゃあ、行くね。健、がんばるのよ・・・

豊:早苗・・・

早苗:・・・なに?

豊:・・・いや、あの、お金は?

早苗:・・・もういい。パパ、ママ、ありがと・・・(外へ大声で)サッチン、お待たせ!

寛子:たまには顔を出してね。

早苗:・・・じゃあね!


玄関から出ていく早苗


寛子:あの子、行ってしまいますよ・・・いいんですか?

豊:おまえ、ちょっと見てみろ。

寛子:何を?

豊:相手、男か、女か・・・

健:(縁側から身を乗り出して)姉さん、さようならあ!


早苗が戻ってくる


健:あれ?

豊:戻ってきたのか!?

早苗:チロのこと忘れてた。ご飯もやってない。散歩もお願い。じゃあね(去る)!

寛子:チロ・・・忘れてた、すっかり!

豊:チロか・・・全然構ってやってないな。

健:ほったらかしだね。

寛子:あんまりおとなしいから。もう歳ですもの・・・あの子を飼い始めた頃は、我が家ももう少し楽しかった。

豊:早苗の三歳の誕生日だったな、貰ってきたのは。・・・(思い出し笑いをして)俺、あいつにだけはいろんなことをしゃべってたな。

寛子:・・・お酒飲んで帰って、犬小屋の前でくどくどといつまでも。

豊:犬はいい。犬は黙って聞いててくれる。

寛子:そう言えば、私も! ・・・散歩の時にチロを相手にいつも愚痴の独り言。

健:ぼくもだ! ・・・ぼく、チロと散歩に行ってくる!


玄関から走り出る健
電話が鳴る


豊:・・・(受話器を取って)袴田です・・・ああ、今から行くと伝えてくれ・・・何?・・・会社より、家族が大事だ(切る)!・・・(妻に)会社、行くよ。

寛子:・・・あなた?

豊:うん?

寛子:あなたにとって、あたしは必要ですか?

豊:必要だよ。

寛子:あたしも、あなたが必要です・・・会社のことは、あなたの気の済むようになさってください・・・ごくろうさま。


深々と礼をする寛子


豊:・・・ありがとう。


外で健の叫びが起こる


健の声:パパ! ママ! チロが死んでる!


先程から流れていた、中島みゆきの“ファイト!”が、だんだんと大きくなり、場内を圧倒して・・・



−幕−



 
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