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2011年2月 9日

大相撲八百長の問題とは?

大相撲が八百長問題で大騒動ですね。
マスコミもこぞって不祥事だ大問題だと騒いでいますが、
いったいなぜ、どこが問題なのかについては、触れられていない感じがします。

これが大相撲ではなく、公営ギャンブルとなっている競馬やサッカーで起こった八百長なら大問題なのは明白ですが、
......大相撲でのできごとですからね。

千代の富士が全盛だった時代。
まだ私も子供でしたけれど、星が苦しくなった大関たちは助け合っているんだなぁと幼いながらも感じていました。
特に印象深く、今でもよく憶えているのが朝潮vs北天佑。
場所も終盤となり、星が苦しかった北天佑と朝潮の大関同士の一番は、
すべって前に手をつきそうになった北天佑を朝潮が素早く差して抱き上げ、無事北天佑の勝利に終わりました。
見ていた私は、なんて美しい助け合いかと、心打たれたことを思い出します。
近年では、有名な若貴兄弟対決だって無気力相撲の最たるものでしたし、
星が大金で売買されていたかどうかはともかく、ある種の八百長が昔からあったことなど、
よほど純粋な方以外は誰しもが気づいていたことではないでしょうか。

もちろん、真面目に真剣勝負の格闘技として取り組んできた力士もたくさんいらっしゃるでしょうし、
そういう力士にとっては、はた迷惑で不愉快なことであろうと思います。
けれど、そもそも相撲というのは神事であり、現在となっては伝統芸能であり、また興行でもあるわけで、
肯定するつもりもありませんが、そこに互助があったところで格段の問題はないようにも思えます。
自分は勝ち越しを決め、対戦相手が7勝7敗で迎えた千穐楽。
仕事仲間である相手に100%の力で立ち向かえるかと問われれば、私だって難しいような気がします。

ですから、日本相撲協会は「八百長」ではなく「無気力相撲」として調査等を行っていますが、
星を売買する「八百長」と、「無気力相撲」には、大きな違いがあるのではないでしょうか。
つまり問題となるのは、これまで幾度となく八百長はないと言い張り、
八百長があると報じたマスコミを起訴し、偽証もしたことになる協会ということになりそうです。
大相撲は、歌舞伎のような伝統芸能であり、プロレスのようにスポーツの体をした興行である、
としていれば何の問題もなかったわけですものね。

とは言っても、娯楽性や物語があり、芝居のインプロのようなプロレスとは違い、
ただぶつかり合って勝敗を競うだけの相撲に台本があるとなってしまったら誰も見ることはなくなってしまうでしょうから、
本場所は真剣勝負でなければならない、ということを明確にしておく必要があったということなのでしょう。
ましてや日本相撲協会は公益財団法人で、力士は勝敗で地位番付が決まる仕組みなのですから、
八百長問題を内部で放置し、曖昧な体制を続けてきたこと自体に罪があるように思えます。

裏で話をつけ、汚いものには蓋をし、物事を曖昧に処理する......
密室での談合、裏取引、八百長などを蛇蝎のように嫌い、
極めて悪しきものと捉える人達が日本にも増えてきたと信じたいところですし、
これまでのいかにも日本的なファジーなやり方というものが限界に達し、
何かが変わろうとしているのかもしれないな、なんてポジティブに思いつつ。
落としどころの見当たらないこの相撲界のゴタゴタ、
いったいどうなることやらと心配しながら見ている今日この頃です。
結局、トカゲの尻尾切りで終わらなければ良いのですが。

八百長 -相撲協会一刀両断
八百長―相撲協会一刀両断

「大相撲八百長の問題とは?」奥付

  • Posted : 2011年2月 9日 16:12
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