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2003年6月 2日
自立と甘え
毎週1回くらい、深夜に首都高を走ることがあるのだが、
最近暴走車に出会うことが増えた気がする。
暴走車と言っても、暴走族や走り屋だけではなく、
煽ってきたり、幅寄せしてきたり、単にマナーの悪い運転をする奴のこと。
危ないことはもちろん、気分が悪いことこの上ない。
あたしはボロ車に乗っているので、舐められてそういうことに遭うのが多いのかもしれず、
あたしも人間なんで、そういう理由でムカつくことももちろんあるが、根本はそうではない。
他人に対する甘えが見えるからだ。
数センチの背後まで近づき煽る奴は、前車がブレーキを踏まないことを期待した上でやっている。
奴等は、前車が急ブレーキを踏み追突した時、自らに100%の責任が掛かり、そういうリスクを承知した上でやっているのだろうか?
あたしにはとてもそうは思えない。
トラックにも、そういう奴が多いからだ。
仕事上の運転で、そういうことをおこせば、法的責任はもちろん、免停により失職も間違いないはずだ。
自分が無茶をしても、きっと相手が回避してくれるという、奴等は他人に甘えた行為をしているだけだ。
元来日本人は企業に依存し、企業は社員を守るという体質の中で生きてきた。
時代が推移し、企業が社員を保護する時代でなくなりつつある今も
人間の方の甘えは抜けていない気がする。
それは、男女間や家族の中での甘えとは違う。
社会や他者への、子供のような甘えだ。
大人になっても、自立していないのだ。
企業の終身雇用や年功序列は、個人を自立から甘えへと誘う。
会社員であっても、独立や転職できるような能力や精神力を持っていれば、いくらでも自立することはできる。
「相手がなんとかしてくれるだろう」「なんとかなるだろう」
そんな、他者に甘えている人間は、独立などできるわけがないし、自立していないのだから大人だとも言えない。
大人でもないのなら、車の運転などするな、と言ったら暴言か。
自分は果たして自立できているだろうか?
自立とは、自分の言動に責任を持った上で言動を行い、
自分の生き方を自分で決めることができることだと思う。
「自立と甘え」奥付
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