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2008年10月 5日

■ポール・ニューマン追悼 ブロードウェイが照明を落とす

9月26日に83歳で他界したポール・ニューマンを追悼し、
10月3日、ブロードウェイの劇場が1分間照明を落としました。

ブロードウェイ・リーグはポール・ニューマンの死を悼む声明を発表。
10月3日20時からの1分間、劇場の屋根の明かりを落としました。
近年は映画俳優の印象が強かったポール・ニューマン(Paul Newman)ですが、
スクリーンデビューしたのは、ブロードウェイで初舞台を踏んだ後のことです。

1952年にアクターズ・スタジオに入学したニューマンは、
1953年2月にウィリアム・インジ(William Inge)の戯曲「ピクニック(Picnic)」でブロードウェイ・デビュー。
同作は翌年4月まで477公演のロングランに。
また、後に2度目の妻となるジョアン・ウッドワード(Joanne Woodward)が
同作で代役として控えており、これが2人の出会いだったと言われています。

ニューマンの映画デビューは、翌1954年の「銀の盃(The Silver Chalice)」。
しかし、同作は完全な失敗作と言われ、
失望してブロードウェイに戻ってきたニューマンは
1955年2月「必死の逃亡者(The Desperate Hours)」に出演。
同作はトニー賞で作品賞・演出賞を受賞するなど成功を収めました。

1956年、急逝したジェームズ・ディーンの代わりに
2作目となる映画「傷だらけの栄光(Somebody Up There Likes Me)」に主演。
同作で演技の評価も高まったニューマンは、
1958年の「熱いトタン屋根の猫(Cat on a Hot Tin Roof)」でアカデミー賞にノミネート。
ハリウッドでもその地位を確固たるものにします。

その後、ブロードウェイの舞台には、
1959年「渇いた太陽(Sweet Bird of Youth)」(1962年にニューマンの主演で映画化)、
1964年「Baby Want a Kiss」、
2002年「わが町(Our Town)」(リバイバル)に出演。
生涯5作でブロードウェイの舞台に立ち、
「わが町」では、トニー賞の男優賞にもノミネートされています。

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少年の心を持った反逆児ポール・ニューマン
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「ポール・ニューマン追悼 ブロードウェイが照明を落とす」奥付

  • Posted : 2008年10月 5日 18:55
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  • Category : 俳優 | 演劇ニュース | シアターリーグ