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2008年10月 8日

■緒形拳と新国劇

5日に亡くなった緒形拳の、新国劇など舞台関連についてまとめてみました。

新国劇は、第1次芸術座を脱退した澤田正二郎などによって
1917年に結成された劇団で、当時の新派・新劇に対し、
新しい国劇(歌舞伎)という意味で「新国劇」と名付けられました。
現在、いわゆる大衆演劇といわれるジャンルの演劇の元になったと言われています。

1929年に中心的存在だった澤田正二郎が急逝しますが、
当時若手だった島田正吾・辰巳柳太郎を主役に抜擢。
これが奏功し、2人は新国劇の屋台骨を支えるスターへと成長します。
1950年代には、劇団と映画会社の日活が提携し、2人はスクリーンにも進出。
映画界でも大きな人気を誇りました。

緒形拳は、1937年7月20日生まれ。
1957年、東京都立竹早高等学校卒業、
1958年3月、劇団「新国劇」に入団し、辰巳柳太郎に師事。
初舞台は入団の翌日だったと言われています。
1960年、劇団の「遠い一つの道」で初主演。
同年、映画化された「遠い一つの道」でスクリーン・デビュー。
1965年にはNHK大河ドラマ「太閤記」で主役・秀吉役に抜擢されて大人気に。
この頃、何作か映画などにも出演していますが、新国劇の役者としても活動しています。
1966年、劇団の女優・高倉典江と結婚。
1968年、新国劇を退団。フリーの俳優となり、その後の活躍はご存じの通りです。

一方、劇団新国劇は、
1968年、新国劇はフジテレビと提携して株式会社になりますが、
1972年には提携を解除。
1979年に株式会社新国劇は倒産し、
1987年9月7日、劇団新国劇は解散しました。
解散後、劇団中堅メンバー18人は「劇団若獅子」を結成。
同劇団は現在も劇団新国劇の精神を受け継ぎながら活動を続けています。

緒形拳は、退団後も数々の舞台に出演。
近年では、2000年にベケットの「ゴドーを待ちながら」(演出・串田和美)に
挑戦したのが有名でしょうか。
最後の舞台となったのは「白野―シラノ―」。
同作は、大きな鼻にコンプレックスを抱くという有名な物語
「シラノ・ド・ベルジュラック」を元にした物語で、
新国劇の澤田正二郎が1926年に「白野弁十郎」として初演。
澤田の死後は島田正吾が一人芝居として上演を重ね、
緒形拳が3代目として新たな演出を加えて2006年に初演したものでした。

なお、1980年8月に読売ホールで上演された新国劇の舞台
「極付 国定忠治」のDVDが11月21日にNHKより発売されます。
主演はもちろん島田正吾と辰巳柳太郎。
緒形拳も出演している他、DVDのジャケット題字・リーフレット解説を手掛けています。

新国劇 極付 国定忠治
新国劇 極付 国定忠治


●緒形拳ひとり舞台「白野 -シラノ-」
日程:2006/10/14〜10/17 Bunkamuraシアターコクーン(東京)
   2007/10/17 早稲田大学大隈講堂大講堂(東京)
   2007/10/21 筑紫女学園中学・高等学校(福岡)
   2007/10/23 アルカスSASEBO(長崎)
   2007/10/31〜11/04 Bunkamuraシアターコクーン(東京)
   2007/11/15〜11/18 大阪ビジネスパーク(大阪)
演出:鈴木勝秀
原作:「シラノド・ベルジュラック」エドモンド・ロスタン
出演:緒形拳


緒形拳 オフィシャルサイト(閉鎖)
ミュージカル「シラノ」

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「緒形拳と新国劇」奥付

  • Posted : 2008年10月 8日 00:05
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